イタリアから来た少女
「ふう、ご馳走様でした」
訓練学校で侍の礼儀作法をキチンと学んでいた僕は行儀よく合掌する。
『みやび食堂』で僕たちは晩ご飯を済ませたのだった。
「いやー食った食った。満腹ね。ここは味はそこそこだけど、とにかく安いのがいいアルよ」
わりと失礼な発言を店内で堂々としながら、テーブルの隅に置かれた爪楊枝で歯の掃除をするヤン。
「お水のおかわりはいかがですかあ?」
ヤンの失礼な言葉が聞こえたらしく、スリットがセクシーなチャイナ服を着た、猫科から進化したといわれるフェルパー族の女性店員が笑顔ではあるが毛を逆立てつつ聞いてきた。
フェルパーは耳もいいのだ。
スリットからチラリと見える足、というか全身にしなやかな体毛がびっしりと生えているのが僕としてはちょっぴり残念だ。
もっともこれがたまらないのだという人間も非常に多いのだが。
「もらうアルよ。あ、氷ガッツリ入れて欲しいね」
フェルパーの女性店員は水の入ったコップをヤンの前に乱暴に置くとツカツカと奥に引っ込んだ。
ヤンは結構デリカシーに欠けているんだよな。
「アタシもウッカリ食べ過ぎちゃって、体重が気になっちゃうわ。お嫁に行けなくなるかも」
アンナは苦しいのかお腹をさすっている。
太ろうが痩せようがお嫁には絶対行けないと思うのだが、ヤンと違い多少はデリカシーのある僕はそれを口にはしない。
気が付けばテーブルの上に所狭しと空になった大皿たちが並んでおり、一体どれほどの量平らげられたのかを雄弁に物語る。
かくいう僕もこんなにたくさん満腹になるまで食べたのは久々だ。
きっと初の迷宮探索と戦闘で、自分でも思わぬほどのカロリーを消費していたのだろう。
『マルホーンの迷宮』では、合計6Gの稼ぎと大した収穫は得られなかったが、それでもこの安食堂での食事代には十分事足りたのだった。
腹も膨れたので話題は今後の冒険方針についての話に移る。
「明日はもう少し大きく稼ぎたいアルね」
そう言って氷をぼりぼりと噛み砕くヤン。
「アキラの実力も思ったより高かったから、明日は本格的にマルホーンの二層に潜ろうと思うの。今日行った一層とは敵の強さも桁が違うから覚悟しておくのヨ」
「第二層か。腕がなるな」
アンナの言葉に恐れをなすどころか、今日の興奮がまだ収まらない僕は俄然やる気が漲っていた。
「アラ、頼もしいわネ。それじゃ今日はここで解散しましょう。明日に備えてゆっくり休んで英気を養わないとネ」
「ヤンさんは賭博仲間とマージャンする約束があるから今日の宿は取ってないアルね。徹マンね」
丸眼鏡を光らせて鼻歌交じりに両手をわきわきと動かすヤン。
そういえばヤンは昨夜も朝までギャンブルをしてそのまま僕らと合流したはずだが、一体いつ眠っているのだろうか。
僕はこの丸眼鏡のノームの男の体が本気で心配になった。
もしかしたら眠くならない呪文でも使っているのかも知れない。
「もう、ヤンったらホント懲りないわネ。どうせまた負けるのに。そういえばアキラは『堀田商店』でアカリさんにコロッと騙されてアタシに借金までして今無一文なのよネ、今夜の宿どうするのヨ? 何ならアタシの取ってる部屋に一緒に泊めてあげてもいいけど。"サービス"するわヨ」
アンナが"サービス"という単語を意味ありげに強調してウッフンとウィンクした。
ひええ、くわばらくわばら。
君子危うきに近寄らずだ。
「はは……遠慮しておきます。勝手知ったる訓練学校の寄宿舎に泊まるよ」
「アラ、でもあそこは現役の訓練生以外は使えないんじゃないかしら?」
片手の指を唇に当てて思案顔のアンナ。
「なーに、こっそり忍び込めばバレやしないさ」
自信満々に僕は答えた。
「ウシャシャシャ、やっぱりアキラは根っからのワルね。ノーマルのヤンさんも惚れ惚れするワルっぷりアルよ」
ヤンが丸眼鏡を光らせて笑う。
この人もチヒロやアンナと同じく、やっぱりそっちの気があるんじゃないだろうなと、少し警戒を強める僕であった。
「それじゃ、明朝7時にまたここで合流しましょう。バーイ」
アンナの言葉で僕たちは『みやび食堂』にて解散した。
「しかし、さっそくまたここに戻って来るなんてね」
数日前に卒業したばかりの訓練学校の門を前にして僕は思わず感慨にふける。
「おっと、ここで誰かに見つかると厄介だ。急がなきゃ」
我に返ると、僕はいつもの裏口から最短ルートを通って寄宿舎に侵入した。
規則としては寄宿舎を使えるのは現役の訓練生だけなのだが、最悪見つかっても舎監を務めているカンキチとは3年間顔を突き合わせてここで共に生活した仲である。
きっと軽い小言程度で見逃してくれるはずだ。
いや、訓練生から『鬼のカンキチ』と呼ばれて恐れられていたあの人に一度飲酒がバレて見つかった時は、学校の屋上から一晩中縄で吊るされて死ぬ思いを味わったんだった。
なるべく見つからないよう迅速かつ慎重に行動しなくては。
僕はかつての自室へと迷いなく進む。
つい先日僕が退去したばかりのあそこならおそらくまだ無人だろう。
きっと朝まで誰にも知られることなく眠れるに違いない。
3年間使っていた懐かしのマイルームの前までやって来たが、その扉に手をかけると違和感に気付く。
「あれ、おかしいな。鍵がかかってるぞ」
仕方なく僕は鍵を取りに舎監室に向かう。
これはちょっと難易度が高くなった。
「神様、どうかカンキチがいませんように……」
幸いにも舎監室は無人でカンキチとエンカウントすることもなく、鍵を難なく入手して戻ると懐かしのマイルームの扉を開ける。
「!!」
しくじった。
薄暗い室内に誰かいる。
目を凝らして見ると、それは僕とさほど歳も変わらない栗色の髪をした外国人の少女だった。
しかも寝間着にでも着替える途中だったのか、下着姿だ。
スタイルもかなりいい。
下着のお尻の部分にはデフォルメされた可愛らしいドラゴンがガオ、と火を吐いているイラストが描かれている。
黒のきわどい下着などで変に背伸びしないのも僕的には好印象だ。
「っ……き!?」
彼女が叫ぼうとしたので僕は自分でも驚くほどのスピードでその口を塞いだ。
今の身のこなしは我ながらまるで忍者のようだった。
もしかしたら素早さが上がったおかげかも。
「シーッ、待った待った。この状況で叫ばれて誰か来たら、まるで僕が君を襲ってる変質者みたいじゃないか。違うから」
ジタバタと暴れて僕を物凄い目でにらむ彼女。
マズイぞ、最悪の状況だ。
この状況を打破する手段を今すぐ考えろ、考えるんだ。
よし、正直に話してみよう。
「僕はつい先日までこの部屋を使っていた訓練生なんだけど、お金がなくてちょっと一晩ベッドを借りに来ただけ。もう新しい訓練生が使っているなんて知らなかったし、君に変なことをするつもりもないから信じて、ね?」
矢継ぎ早の説明を聞いて分かってくれたのか、彼女が暴れるのをやめたので僕は彼女の口を塞いでいた手をそっと離した。
僕の手にちょっとだけ彼女のよだれが付いたが嫌な気は全然しない。
むしろ大歓迎である。
「まず服を着たいんだけど」
彼女が冷たい声で僕に言う。
「あっ、ごめん。気が利かなくて」
慌てて僕が後ろを向くと、瞬く間に両腕をガッチリと捻り上げられた。
「いたたた! ちょ、ガチで折れるって! ギブギブ!」
秒速で情けない声を上げる僕に少しだけ彼女は少しだけその手を緩める。
「もう一度ちゃんと説明してちょうだい。話次第ではこの腕、へし折らせてもらうわよ」
僕は涙目で包み隠さずに今までの経緯を語った。
将来ロードか侍になろうとここで毎日頑張って訓練に励んでいたことから、判定球で悪の属性になってしまい悪の戦士の道を選ばざるを得なかったことまで包み隠さずベラベラと話してしまった。
すると彼女は僕を解放して
「絶対に振り向かずに動かないこと」
と、言うと少ししてから部屋のランプを灯した。
「もうこっちを向いてもいいわよ。君、困っているみたいだし、変なことせずおとなしく床で寝ると聖イグナシオに誓えるなら一晩ここに居てもいいわ。そういう私もここを使うのは今夜だけなんだけど」
どうやら僕の話の中の何かが彼女の心の琴線に触れたらしく、先ほどまでの剣幕とガラッと変わりまるで女神のように寛容な情けをかけてくれた。
僕が後ろを向いている間に着替えを済ませた水玉模様のスライムの寝間着も、数割増しで愛らしく見えてくるってものだ。
「ってことはさ、君も同じく現役の訓練生ではないの? 僕と同じ侵入者だったとか」
「馬鹿言わないで。私は来日したばかりの今日、冒険者登録をここで済ませたから訓練所の好意で一晩だけ空いていたこの部屋を使わせてもらっているだけよ」
「ふうん。来日って君はどこの国から来たの。そういえば名前もまだ聞いてなかったけど」
「イタリアよ。私の名前はサラ。聖イグナシオ教会は分かるわよね。この『城塞都市ネオトーキョー』にも支部があるはずだし」
「サラ、君ってもしかしてイタリア王国の教会本部の人? すごい、エリートじゃないか」
サラはちょっと恥ずかしそうにその豊かな栗色の髪の毛を指でくりくりする。
うん、カワイイぞ。
「私はただの教会付きの訓練生だったのよ。でも兄がエリートを絵に描いたような優秀な人でね。それを見習って立派な冒険者になろうと、将来は兄と同じロードを目指していたの」
「へえ、お兄さんはロードなんだ。うんうん、やっぱり冒険者になるからには目標は上級職だよね」
サラの話に共感する部分を感じて相槌を打つ僕に、淡いブルーの瞳が寂しげな笑顔を返す。
「その兄が日本で一番難易度の高い『アングラデスの迷宮』に挑戦すると言うから、私もこっちで冒険者登録をして兄と一緒のパーティに入ろうと思って無理やり付いてきたんだけど」
ふうっと息を吐いて棚の上に置かれた何かを手にするサラ。
「私も君と同じね」
そう言って自分の冒険者登録証を見せた。
そこには『レベル1・悪・戦士・サラ』と書かれている。
なんてこった。
サラもまた属性によって夢を絶たれた僕の同士だったのだ。
「兄には一緒のパーティを組むどころか悪だなんて一族の恥だと絶縁宣言されるし、実績のない私は教会のコネも使えないからイタリアに帰るお金もないし。はぁ、この街でレベル1の冒険者として頑張らないともう生きていけないのよね」
「じゃあさ、サラ……」
ため息をついて途方に暮れるサラに、僕はある提案をした。
◇
気が付くとまたあの夢の中だ。
見慣れた木製の丸い卓上にちょこんと座るクロの姿。
「元気かい、クロ」
僕がいつものように相棒に声をかけるとクロはガウーと低く吠えた。
どうやら今回は時間がないらしい。
急いで手にしている例の輝くダイスを振る。
慌てたせいかいつもより力が入ってしまい、ダイスは派手に卓上を転がっていくと縁にぶつかって大きく跳ねた。
「うわっ、しまった!」
思わず情けない声が出る。
長年の経験から分かったことだが、一番最悪なのは真っ赤なドクロの描かれた1の目を出した時。
卓上からダイスがこぼれるのはその次に悪い結果を現実世界で招く。
ダイスは縁の上に着地すると、そのままなぞるように転がりテーブルの内側へと無事に落ちた。
出目は、狼人間ラウルフ族と耳長エルフ族と人間の意匠が鮮やかな深緑色で描かれた3の目。
「ふう……何とかセーフだ」
ホッと胸を撫で下ろす僕にクロがクーンと甘えた声を出して寄り添う。
クロの頭をナデナデしながら、僕はこの謎の儀式は果たして一体いつまで続くのだろうかと考える。
この謎を解き明かせる日がいつかは来るのだろうか。
すると徐々に景色が薄れ視界がぼやけていった。
「じゃあまたね、クロ」
そろそろ目覚めの時間のようだ。