外伝 ファースト・ロード
ここはアメリカのかつてワシントンと呼ばれた場所。
今では核攻撃により崩れ去った建物の残骸が無残な姿を晒している。
ホワイトハウスと呼ばれた建物の地下からは、時折この世のものとは思えない不気味な怪物たちが現れては街を彷徨う。
人々はここを『地獄都市デビルシティ』と呼ぶ。
そんなデビルシティには屈強な人間たちが世界中からこぞって集まる。
ある者は何日もかけて大陸を馬で、ある者は熱気球に乗り空から、またある者は帆船に乗って危険な旅路の果てに。
彼らは『冒険者』である。
一体彼らがこの街に何をしに来ているかというと、今から5年前に現れた『はじまりの迷宮』に挑むためだ。
その最深部に潜む、世界中のありとあらゆる機械を動かなくするという災厄を振り撒き、人類の文明レベルを衰退させた諸悪の根源『魔王イブリース』を討伐するためである。
人が集まれば自然と必要な施設も作られ商売も始まる。
冒険者たちの疲れた体と心を休ませる『宿屋』に『酒場』、モンスターとの戦闘で必要な武具や各種道具の売買を行う『商店』、僧侶呪文の使える有志たちが集まり傷ついた冒険者を回復させる『治療院』、さらにはおおっぴらには言えないような夜の商売まで始まり、荒れ果てた廃墟同然の街並みにも関わらずデビルシティは非常に活気にあふれていた。
国連こと国際冒険者連合が発足し、冒険者という概念が作られてまだ4年。
その4年で、危険なモンスターたちがひしめく『はじまりの迷宮』の踏破状況も着々と進み、いよいよその攻略は佳境へと差し迫っていた。
つい先日九層から十層へと降りる階段がついに発見されたのだ。
だが、ここまで無事に進んだ百戦錬磨のパーティたちも広大な迷路のような十層でそのほとんどが大打撃を受ける。
「なんだあのグレーターデーモンってやつは……呪文もほとんど効かないし、自動再生能力もある。だが一番恐ろしいのは仲間呼びだ。あいつらは延々と仲間を呼びつつける……キリがない」
最初にその悪魔に遭遇し、運良く逃げ延びることに成功したあるパーティの魔術師はそう語った。
壊滅させられたパーティの数も一つや二つではない。
幸いこの地にいる冒険者同士の連帯感は高く全滅したパーティの遺体が見つかればすぐに蘇生、もしくは連絡が行き、地上の救出班の手によって運び出され、死亡者のおよそ半数は蘇生に成功して命拾いをしていた。
だが真に恐ろしいのはグレーターデーモンだけではなかったのだ。
冒険者の生命力と経験値を吸収するエナジードレインという最悪の力を持つ、非常に強力な不死生物ヴァンパイア。
その巨体から繰り出す一撃をまともに食らおうものなら確実に即死となる、恐るべき巨人ジャイアント。
硬い鱗に覆われたその体には半端な攻撃は一切通用せず広範囲に致命的な威力のブレスを吐き散らす、強力無比なドラゴン。
いずれも冒険者としてのレベルで得られる各職業の能力だけでは、もはや太刀打ち不可能になりつつある強敵揃いだった。
この状況を打破するためには、盗賊たちが"迷宮王の贈り物"と呼ぶ、迷宮内の玄室の片隅にある罠の仕掛けられた宝箱、そこからごく稀に手に入る神秘に包まれた謎のアイテムの数々。
その入手が最重要となり、いずれのパーティもアイテム探しに躍起になっていた。
しかし、そのアイテムに込められた忘却の呪いを解き放ち鑑定できるのは中級職のビショップだけであり、宝箱の罠を安全に解除できるのは戦闘ではまず役立たずな盗賊たちだけであった。
より貴重なアイテムが眠る深い層になればなるほど、強力なモンスターに太刀打ちできるパーティ構成も限られ、その入手率は格段に下がっていったのだ。
冒険者名アカリこと本名、紅里・ローゼンバーグ。
彼女の参加するパーティは現在の最深層である十層にまで潜ることのできる数少ない攻略上位パーティ、その名を『ブルー・リボン』という。
その日、『ブルー・リボン』に所属する二人の戦士が、十層の玄室で偶然手に入れたアイテムの所有権を巡って激しく口論していた。
「このドラゴンスレイヤーは俺のモンだ! 誰にも渡さねぇ!」
「ふざけるな! ドラゴンが出現するこの層で、それが一体どれだけの値打ちがあるのかおまえは理解しているのか!? 地上の商店に持ち込んで利益を全員で公平に分けるべきだろう!」
戦士のトリンとカーライルがまるで敵でも見るような険悪な目で互いを睨み合う。
共に力を合わせてここまで一緒に戦ってきたはずの仲間なのに、たった一本のレアアイテムのせいでここまでいがみ合うとはアカリには到底信じられなかった。
「二人ともやめて、冷静になりましょう。アカリはそんなトリンとカーライルの姿を見たくありません……」
アカリがそう言って止めに入るとトリンはパーティで唯一の女性である彼女を激しく突き飛ばした。
「痛っ……」
迷宮の硬く冷たい床にしたたかに尻を打ちつけるアカリには目もくれず、トリンは大事に剣の収まった鞘をぎゅっと胸に抱きしめる。
「そう言っておまえも油断させてこの剣を狙っているんだろう! 女のおまえの力は同じ戦士として俺よりも格段に劣っているからな!」
血走った目でトリンが口から泡を飛ばして叫ぶ。
アカリは赤髪の男の口から飛び出したこの言葉にとてつもないショックを受けた。
すぐにパーティ唯一の中級職であるビショップの青年メスメロが、アカリを優しく助け起こして申し訳なさそうに呟く。
「すみませんアカリ。私があの剣をこの場で鑑定なんてしなければ、こんなことにはならなかったのですが」
「いいえ、メスメロのせいではありません。でもあんなに優しかったトリンが……ううっ」
アカリは信頼していた仲間のあまりの豹変ぶりに、両手で顔を覆いシクシクと泣き出した。
「あーあー、泣かしちゃった。にしてもトリンがこんな強欲で身勝手な野郎だったとはね。オイラもう『ブルー・リボン』抜けよっかなー」
パーティで唯一の異種族、ホビットの盗賊フーバーがやる気のない声を出すと、カーライルはそれを鼻で笑った。
「ならフーバー、おまえの取り分はナシだな。ドラゴンスレイヤーの分け前が増えるのは僕としても喜ばしい。さっさと消えろ、薄汚い"デミヒューマン"の盗人め」
カーライルの口からとんでもない人種差別的発言が飛び出す。
人間社会の裏側でひっそりと生きてきたが、魔王の出現で混沌と化した状況を見て迷宮のモンスター討伐に力を貸すと申し出た友好的な人類の友、異種族たち。
歴史の影に隠れていた異種族たちで構成される欧州魔術師ギルドは魔法使いと魔法の存在を公表し、エルフの一族は聖イグナシオという神の信仰によって奇跡を起こす技を人間たちに公表した。
ところが他の神や魔術を認めない他宗教を信仰する一部の人間たちから激しい反発を食らい、アメリカの主導で異種族を"デミヒューマン"などという蔑称で呼び始めると、彼らをモンスターの仲間だと決めつけて迫害が始まった。
4年前に国際冒険者連合が発足すると直ちに異種族差別の禁止を法で定めたが、一度根付いた意識が拭い去られるには人間も異種族も互いに時間が足りなかった。
それでも世界各地の迷宮で少しずつではあるが、力を合わせて異種族と共に戦う冒険者のパーティも現れ始めていた。
アカリたちの仲間であるフーバーもその一人で、ホビットという種族である彼は優れた運動神経と勘で盗賊としての力をフルに発揮し、いくつもの宝箱を無事に入手してきたパーティに欠かせない仲間だ。
そんな仲間であるフーバーに、カーライルは決して言ってはならない"デミヒューマン"という差別的発言をしたのだ。
カーライルは決してこんな発言を口にするような男ではなかったはずだと、アカリは涙ながらに思った。
「なんだって? 異種族だからってオイラを甘く見るなよカーライル。おまえの首なんかいつでも掻っ切ってやれるんだからなっ!」
そう言ってフーバーは短剣を抜き放つと、なんとカーライルの喉元に一瞬でそれを突きつけたではないか。
この信じられない行動に、今まで事態を静観して口を閉ざしていた僧侶のクウカイも大声で仲間を一喝する。
「やめんか! 仲間同士一体何を争う必要がある? いざこざが法で禁じられておるのを忘れたか、たわけめ!」
「うるさいうるさいうるさい。ドラゴンスレイヤーは俺のモンだ俺のモンだ俺のモンだ……」
その隙にトリンはブツブツと同じ言葉を繰り返しながら剣を抱えて玄室を飛び出して行った。
「あの馬鹿めが。安全な玄室を出てこの危険な十層でたった一人、どう生き延びるつもりだ?」
クウカイの言う通りだった。
十層には強力な悪魔や不死生物、巨人や竜たちがウヨウヨしている。
フルパーティでも全滅の危険があるのに、一人で歩くなど完全な自殺行為に等しい。
「くそっ、おまえのせいで逃げられたじゃないかフーバー! 責任を持ってあいつからドラゴンスレイヤーを奪い返せ!」
カーライルが叫ぶと渋々ながらホビットの盗賊はトリンを追いかけ、仲間たちもその後を追った。
「トリンもカーライルもフーバーも変です……どんなことがあっても仲間を罵ったりする人たちではありませんでした」
アカリが涙声でそっとメスメロに打ち明けると、彼は優しくその肩を抱き寄せて囁いた。
「今は彼らを刺激せずに様子を見ましょう。大丈夫、私がついていますよアカリ」
「ありがとうメスメロ……」
アカリは泣くのをやめて青年の均整の取れた体にその身を預ける。
メスメロは蘇生に失敗して消滅した魔術師ニッキーのかわりに先日『ブルー・リボン』に加わったばかりの青年だったが、回復攻撃両方の呪文に精通し、さらにはアイテムの鑑定能力も持つとあって全員から大歓迎で迎えられた。
メスメロの気品漂う振る舞いと誠実なその性格、長い黒髪の奥に隠れた知性あふれる瞳は、アカリにはとても魅力的に映り密かに恋心を抱いていたのだ。
「いたぞ! ちっ、トリンだけじゃなくモンスターも現れやがった。おいトリン! 一時休戦だ、おまえも戦え!」
カーライルが剣を抜いて叫ぶと、トリンとフーバーの立つ回廊の奥から不気味な人影がぬらりと現れた。
それは一見するとグールのような醜い姿の尖った耳と鋭い牙を持った不死生物、ヴァンパイアであった。
たった1体ではあるが油断はできない。
何故なら連中は攻撃を受けても自然回復する自動再生能力を持ち、その上エナジードレインという恐るべき攻撃をしてくるのだから。
「キキキ」
猿のような鳴き声を上げてヴァンパイアは非常に素早い動きでトリンの腹に鋭い爪を叩き込んだ。
見る見る戦士の顔色は真っ青になりぐったりとその場に倒れる。
ヴァンパイアの一撃はその体から生命力と経験値を奪い取ったらしい。
トリンはエナジードレインを食らったのだ。
「今だ!」
ザザザッ、バシュッ!
短刀で3回斬りつけるフーバーの連続攻撃と、剣で狙いすましたカーライルの重い一撃がヴァンパイアに決まる。
攻撃を食らって怯んだが、まだ倒れないヴァンパイアにアカリの剣が届いた。
ヒュン――。
一瞬空を切ったかのような鋭い音がしたかと思うと、次の瞬間ヴァンパイアの胸に赤い筋がパッと広がり、盛大な血しぶきを上げた。
「やりますねアカリ」
メスメロがヴァンパイアを仕留めた彼女に称賛の声を投げかける。
アカリのレベルは53。
この街でも珍しい女の戦士で、しかもかなりの腕前を誇る彼女は"瞬速の青い薔薇"と呼ばれ、デビルシティでも一躍その名を轟かせていた。
名前の由来はパーティ名のきっかけともなった、彼女の髪を束ねる青い薔薇の形をしたリボンである。
「クウカイ、早くトリンに手当てをお願いします!」
アカリは愛剣スラッシャーを鞘に収めるとトリンの下に駆け寄る。
「大いなる神よ我が祈りの声を聞き届け癒やしの力と恵みの祝福を授け給え<真慈癒>」
僧侶のクウカイが最上位回復呪文を詠唱すると、弱っていたトリンの体は元通りに回復していく。
「手間をかけさせやがって。これは僕が預かっておく」
カーライルがそう言って男の握りしめている剣を取り上げようとした時、トリンは急にカッと両目を見開き飛び起きると手にしたドラゴンスレイヤーを引き抜いた。
ズバシュッ!
「な、何をする……」
信じられないという目をしたまま、カーライルの体は真っ二つに両断されてダンジョンの床にドサリと崩れ落ち息絶えた。
「野郎っ! 血迷ったか!?」
盗賊のフーバーが素早く手にした短刀で凶行に及んだ男の首を狙いに行くが、トリンはそれを蝿でも払うかのようにドラゴンスレイヤーで切り払った。
ビュッ、コロコロコロ。
盗賊の首がまるでボールのように勢い良く転がる。
アカリはそのありえない光景に声も出せずガクガクと震え、動けずにいた。
『ブルー・リボン』のリーダーとして自分は今どう行動すべきか。
戦士であるトリンのレベルは61とアカリよりもはるかに高く、本気で仲間を殺しに来るつもりならアカリとクウカイとメスメロが束になっても恐らく敵わない。
「アカリ、クウカイ。ここは一旦下がりましょう」
メスメロが冷静に仲間にそう呼びかける。
本来なら自分が指示を出さなければならないのに、何も出来ずにいた己の不甲斐なさと情けなさにアカリは歯を食いしばりながら、先ほどの玄室へと引き返した。
玄室に逃げ込みひとまずモンスターと出くわす危険は回避されたが、トリンが何を考えているのかは全く分からなかった。
あの剣が欲しいだけならわざわざ仲間を殺す必要はないはずなのだが……きっと追いかけてきて自分たち全員をその手にかけそうな……アカリにはそんな不吉な予感がしたのだ。
「クウカイは蘇生呪文を使えますよね。私がトリンを引き付ける囮になるので、その間にカーライルとフーバーの蘇生を頼みます。私は蘇生呪文だけはまだ使えないので」
「あいわかった。だが今のトリンは狂っていると言ってもいい。とても話の通じる相手ではない。危険な役回りだぞ、よいのか?」
長い黒髪を揺らして青年が頷くとアカリが尋ねた。
「アカリは一体何をすればいいのか、教えて下さいメスメロ」
だが青年は目を伏せて首を横に振る。
「仲間殺しという残酷な場面はあなたにはショックが大き過ぎたようです。アカリはここでしばらく休んでいて下さい。何かあれば大声を出して知らせますよ」
そう言って二人はリーダーである女戦士を残して玄室を出て行った。
一体自分は何をしているのだろう。
ぼんやりと天井でトカゲが這う様子を見つめながらアカリは考える。
リーダーだというのにこの危機的状況で何の役にも立っていないのが悔しい。
いざという時に女の弱い部分が出てしまったのだろうか、悲しいことにトリンも『女のおまえの力は同じ戦士として俺よりも格段に劣っているからな!』と言っていた。
十層まで数々の苦難を乗り越えてきた大切な仲間である優しいトリンが一体何故あんな凶行に走ったのか、全く理由が分からないのもアカリはとても悲しかった。
(やはりあのドラゴンスレイヤーが原因なのでしょうか……)
それが入っていた宝箱の方に視線をやると、アカリはその中にボロボロになった錆びた剣を見付けた。
ドラゴンスレイヤーというレアアイテムも見付かり、そんなガラクタになど誰も興味を示さなかったのである。
冒険者の鉄則として、未鑑定の武器は絶対に装備してはならないというのが徹底していたのだが、半ば放心状態であったアカリはそれを手にすると抜いてしまった。
案の定、装備した瞬間に異様な感覚がアカリの体を襲う。
『スペシャルパワーを使いますか?』
「えっ?」
突然アカリの頭の中に謎の声がそう囁いた。
「大変ですアカリ! クウカイもやられてしまいました!」
その声で玄室を飛び出たアカリは、血まみれのドラゴンスレイヤーを持ったトリンがゆっくりとメスメロに迫る姿を目撃し、急いで愛剣を抜いて走る。
「アカリが戦います。メスメロは下がっていて!」
そう言って傍らに目をやると、厳しくも頼もしかった僧侶の無残な死体が目に飛び込んだ。
(武器を持たない僧侶のクウカイまで殺すなんて、トリンは本当に狂ってしまったのですね……)
そう思い、共に今まで戦ってきた戦士と本気で戦う決意を固める。
トリンのレベルは61、『はじまりの迷宮』に潜る冒険者たちの中でもトップクラスの実力を持ち、その髪の色から"赤き破壊王"の異名で呼ばれる凄腕の戦士だ。
アカリがまともにやりあって勝てる相手ではない。
勝機があるとすれば、先ほどのエナジードレインでトリンがどれだけの量の経験値を奪われたかに尽きる。
だが今のトリンはドラゴンスレイヤーという名剣を手にしている。
アカリの持つ愛剣スラッシャーも切れ味鋭い業物ではあるが、はるか以前に七層で手に入れた物であり、十層で見付けたドラゴンスレイヤーとはとても比較にならないだろう。
(でも、ここでアカリが負けるわけにはいきません)
この時、アカリの胸の中で愛しいビショップの青年を死なせたくないという思いが自分の死の恐怖よりも勝った。
「俺の俺の俺の俺の……」
トリンは口から泡を吹き、血走った目の焦点は合っていない。
それでも剣を頭上で引いて腰を深く落とし、得意とする必殺の一撃を放つ構えを見せてトリンは呟く。
「<烈線壊破斬>」
何度も見慣れたその動きに合わせてアカリも自らの必殺の奥義を放った。
「<青き薔薇の崩壊>」
バキィィーン!
派手な破砕音が轟くと、アカリの愛剣スラッシャーがトリンのドラゴンスレイヤーを粉々に打ち砕いた。
だが同時にスラッシャーもまた音を立てて砕け散った。
互いの剣は相打ちとなったのだ。
一瞬遅れて、トリンの胸にまるで薔薇が咲いたかのように真っ赤な血が舞う。
アカリの繰り出した<青き薔薇の崩壊>がトリンの体に決まっていたのである。
「ぐふっ、俺は一体今まで何を……アカリ……すまない」
トリンはそう口にして悲しげな微笑みをアカリに向けると息絶えた。
「トリン、最後の瞬間に正気に戻るなんて……ううっ」
アカリはその胸にしがみついて泣き、何らかの言葉を口にしようとした。
パチパチパチパチ。
急に背後から拍手の音がして振り返る。
「メスメロ……?」
長い黒髪を揺らしてビショップの青年が笑った。
「驚きましたよアカリ。目にした者を狂わせ、殺し合わせる復讐の魔剣アベンジャー。あなたはそれに囚われないばかりか、まさか打ち砕いてしまうとは」
アカリは彼が一瞬何を言っているのか理解できなかった。
「何を言っているのメスメロ? あの剣はドラゴンスレイヤーとあなたが鑑定したはずですよね……?」
「いいえ。私には鑑定能力などありませんよ。あの魔剣アベンジャーは私があらかじめ用意しておいたものです。ヴァンパイアのエナジードレインもトリンから吸いとったのは生命力だけ、経験値は奪わないように命じておきました」
そう言って一歩、また一歩とゆっくりと歩み寄るメスメロにアカリは底知れぬ恐怖を感じた。
「知っていますかアカリ。もっとも強力な不死生物を作るために必要なものを。それは親しい友の手によって殺され現世に激しい恨みと憎しみを持ったまま死んだ遺体。その様な遺体も墓を探せばいるのですが、それだけではただのゾンビやグールどまりの下級の不死生物にしかなりません。ではどの様にすればゴーストやヴァンパイアの様な上級の不死生物が作れるのか。答えはあなたたち、冒険者。イブリース様がおわすこの十層にまで土足で踏み込んで来るような凄腕の冒険者こそが最高の素材となりうるのです」
メスメロは魅力的な瞳で優しい笑みを浮かべたが、今のアカリはそれに恐怖と嫌悪しか感じない。
「私があなたたち『ブルー・リボン』に接触出来たのは幸運でした。後はこの極上の素材で作った不死生物で、厄介な『心剣同盟』さえ片付けてしまえば、この迷宮での冒険者による探索は事実上終わるでしょう。もう誰もイブリース様に近づくことさえ叶いません」
"重撃の戦車"戦士カーライル、"草原を走る疾風"盗賊フーバー、"解決一喝和尚"僧侶クウカイ、そして"赤き破壊王"戦士トリン。
デビルシティで勇名を轟かせた大切な仲間たちは全員死んでしまった。
つい先日パーティに加わったばかりのこの卑劣な男の仕組んだ罠によって。
今までの優しい態度も全て仲間を欺くための仮面に過ぎなかったのだ。
「メスメロ……あなたは一体何者なの」
互いが触れ合うほどの距離にまで近づくと、メスメロはアカリの震える手を取ってその甲に優しくキスをする。
「私の真の職業はもちろんビショップなどではありません。当然人間などという下等な生物でもありませんよ。私は夜の王『ヴァンパイアロード』メスメロ伯爵と言います。アカリ、他の者たちは我が眷属としてヴァンパイアにするつもりですが、友の手で殺されなかったあなたは特別に上級の淫魔、サキュバスへと生まれ変わらせてあげましょう。そして私に生涯仕えるのです」
そう言ってアカリの首筋を愛しげに指で撫でると、青年は今までずっと隠していた牙を剥いた。
「さあ、真祖の牙にその身を委ねて、人間の体とはお別れするのです」
その牙が首に触れる前にアカリは凛とした声で彼を拒絶する。
「嫌です。アカリには夢があります……いつか、冒険者たちを育成する学校を作り、次世代の強い冒険者たちを育てあなたのようなモンスターから平和な世の中を取り戻すという、大切な夢が」
そう言ってアカリはメスメロを両手で思いっきり突き飛ばした。
「残念ながら今のあなたは"瞬速の青い薔薇"と呼ばれたレベル53の戦士ではなく、剣を持たないただの無力な女に過ぎません。無意味な抵抗をして苦しむより、もっと賢い選択をしたらどうですか?」
まるで鼠をいたぶる猫のような目で見つめるメスメロに対し、アカリはきっぱりと首を振った。
「あなたの言う通りですメスメロ。今のアカリは戦士ではありません。アカリの職業は『ロード』。僧侶呪文と剣を使いこなす、剣の王……」
まるで何かに導かれるかのようにそう口にした。
「何ですって?」
アカリが玄室の宝箱で見付けたメスメロも仲間たちも無視したガラクタのひとつの、ボロボロに錆びた剣。
その剣こそは聖剣エクスカリバーであった。
異次元よりもたらされたそれは、長い悠久の年月の果てに剣としての機能を完全に失っていたが、戦士を『ロード』に転職させるという秘められた力だけは失っていなかったのだ。
錆びた聖剣はアカリに力を与えると役割を終えたかのように消滅したが、ロードに生まれ変わったアカリにはある特別な特殊能力が備わっていた。
「剣の王、ですか。この期に及んで何を世迷い言を。それとも本当に気でも触れましたかアカリ? あなたの愛剣スラッシャーは先ほど砕け散ったばかりではありませんか」
アカリは夜の王に毅然とした目を向けて、迷うことなく心に浮かんだある言葉を解き放つ。
「<真祖退散>」
するとメスメロの体はサラサラと音を立てて指先から塵となって消滅していく。
「馬鹿な、私の体が塵になっていく!? 自動再生も効かない……一体何をしたアカリっ!! イブリース様の側近であるこの私が」
そこまで喋ったところで完全にヴァンパイアロードの肉体はこの世から消え失せた。
「さようならメスメロ……」
アカリは涙をひとつこぼした。
メスメロの策略で死んだ仲間たちを、覚えたばかりの蘇生呪文で全員蘇らせることに成功すると、アカリたち『ブルー・リボン』は地上へと生還した。
国連は彼女の語った話に半信半疑であったが、魔術師たちがその魔力で判定すると確かにアカリの職業は、既存の戦士ではなく存在しない職業ロードであった。
この隠し職業の発見は大ニュースとなって世界中に知れ渡り、国連から正式に上級職として新たにロードが認定される。
だがその転職条件はとてつもなく厳しく、おまけに転職後はレベルがまた1からとなるのでなかなか後続のロードは育たなかった。
しかしスペシャルパワーによってレベルそのままで上級の職業へと転生させるアイテムがあることは冒険者にとって大いなる希望となった。
事実、『心剣同盟』の戦士マルティーノはアカリに続いて二本目の聖剣を発見し、そのままのレベルでロードへと転職して大活躍をしたのだ。
『はじまりの迷宮』が攻略されると『ブルー・リボン』は解散、仲間たちはそれぞれの道を歩き始める。
彼女が使った不死生物を滅する能力<真祖退散>は他のロードたちは覚えることができない特殊な固有能力であったが、それは後に<解呪>の原型となり、マルティーノ公爵によって設立された聖イグナシオ教会の信徒たちに受け継がれていく。
紅里・ローゼンバーグはその後『冒険者訓練学校』という次世代の冒険者を育成する施設を運営、自ら教鞭を執り若者たちに高度な冒険者としての教育を施した。
後に国連にその活動が正式に認められ、世界中の迷宮攻略都市に訓練学校は作られるまでになる。
だが偉大な功績を成し遂げた彼女の私生活は恵まれたものではなく、愛しあった男性とは結婚直前に破断、一人で手塩にかけて育てた愛娘の雷花は冒険者となった後に消息不明と悲しみの連続であった。
紅里の娘、雷花もまた悲劇の人生に見舞われ、目の前で愛する夫を殺され、自らも深手を負ったまま遠い異国の地に転移し、名を明かさぬまま身籠った子供を出産。
自分の名に付けられた、母の名と同じアナグラムを生まれてくる息子の名前にも残して息を引き取るのだが、それはまた別の話である。
冒険者を引退したアカリの個人情報は国連によって秘匿され、その名は表舞台から忘れ去られたが、この世界で最初のロードが女性であったという事実だけはいつまでも語り継がれた。




