アングラデスの迷宮第四層
『イグナシオ・ワルツ』が四層に降り立った瞬間、彼らの行く先を照らしていた灯りの呪文<大照輪>の効果が急に消え失せ、視界が闇に包まれた。
「ここは呪文無効化地帯のようだね。灯りの呪文だけでなく、回復呪文も攻撃呪文もこの先使えないか。どうするんだいジェラルド?」
トニーノがそう尋ねるとリーダーであるジェラルドは慌てることなく仲間たちに指示を出す。
「先頭は私とムックとベンケイ、後ろはマナとヴェロニカとトニーノの『3・3』隊形で進もう。誰か松明の用意を」
「心得た也」
ベンケイが松明を灯すと、迷宮の奥からゆっくりと謎の一団がこちらに向かってくるのが見えた。
その先頭に立つのは忍者装束を身に付けた忍者と思しき人影、どうやら冒険者のようである。
「忍者……悪のパーティか。我々より先にこんなところまで来ている者がいたとは、正直驚きだな」
ジェラルドがそう口にしたが、その忍者は近くまで来るといきなり忍者刀を抜き放ち、問答無用、恐るべき速さで襲いかかって来た。
「おおっと、悪い奴なのでーす」
ズバシュッ!
ムクシがすぐさま一刀の下にその忍者を斬る。
だが、忍者は内臓がはみ出しているにも関わらず全く平気な様子で手にした忍者刀を振り抜き、ムクシに傷を負わせた。
その様子を見てマナが悲鳴を上げた。
「やだ、こいつ『ゾンビ』だよ!」
確かによく見るとその忍者の目は眼球のない空洞で、蛆が湧いた肉はところどころ腐り落ち一部骨が見え、死臭も漂わせている。
にも関わらず、動きだけは普通の忍者と何ら変わりがない。
「これはまこと厄介な相手也。細切れになるまで切り刻まねば恐らく倒せまい。しかも見よ、あの数を」
ベンケイが長巻で指し示した方向には、実に30体以上のバラエティに富んだゾンビがうじゃうじゃと群れをなして控えていた。
ボロボロのローブを着た頭が半分だけの賢そうには思えない魔術師風ゾンビ、黒い網目のガーターストッキングを履いたセクシーな衣装の胸が腐ってこそげ落ちた女忍者、下半身のないただの中年男性、下顎と腹のない空腹そうな虎のゾンビまでいる。
ゾンビ。
それは死した肉体を死霊術によって無理やり蘇らせた不死生物。
既に死んでいるだけあって、首を刎ねるなど体の一部を失わせる程度ではそれらは倒すことはできない。
完全に倒しきるには全身の重要部分を全て切り刻むかミンチにするしかなく、相当の労力を要する。
果たして記憶があるのかないのか、彼らは生前と同じように動き、生者を全力で襲う。
映画のようにゾンビに襲われても感染しないのが不幸中の幸いである。
「これはひとまず逃げた方がいいかもなのでーす。こちらが切ったのに、平然と切り返されるのは割に合いませんぞ」
「あたしもそれに賛成。エレベーターまで逃げれば態勢も立て直せるし、一度みんなで戻った方がいいんじゃないかな?」
ムクシとマナはそう言うが、ジェラルド、トニーノ、ヴェロニカの様子がなんだかおかしい。
「はっはっは、ゾンビだってさジェラルド! こいつは最高のジョークだね。あいつらにふさわしい言葉は『ジンギ・スラング』で何と言ったかな? 『シンデ・モライヤス』かな?」
「もうトニーノったら。ゾンビはとっくに死んでいますわよ。それにしても、うふふ。やはり神様はわたくしたちの味方ですわね」
「ああ、ヴェロニカ。この層の敵がもしもゾンビばかりなら最大の好機。一気に突破できそうだ」
彼らの意外な態度にムクシ、ベンケイ、マナはいまいち事態が飲み込めなかった。
そうこうしている内にゾンビの魔手が迫ると、イタリアから来た3人は一斉にその声を合わせて同じ言葉を呟く。
「<解呪>」
するとあれほど大量にいたゾンビたちが一瞬で跡形もなく消え失せる。
「ちょ、ちょっとヴェロニカ! 今の技は一体何?」
マナが驚愕の目でヴェロニカの肩をがくがくと揺さぶると、黒髪の女僧侶がにこっと微笑んで答える。
「聖イグナシオ教会でも選ばれし者のみが授けられる特別な神の力、それが<解呪>ですわ。不死生物を滅する力がありますのよ」
「おまけにこの力を授かれるのはロードとビショップと僧侶だけで、僕たち3人はちょうど全員<解呪>を使うことができるのさ。不死生物には無敵とはいえ、経験値が入らないのだけが残念だね」
トニーノが茶目っ気ある笑顔で説明した。
「さあ、中立と悪の連中に追いつかれる前にさっさと攻略してしまおう」
ジェラルドは愛剣スラッシャーを高々と掲げ、死者の棲む四層を勇ましく歩き出した。
少し遅れてから『イノセント・ダーツ』もまた四層に到着し、ゾンビたちと交戦を続けていた。
四層の恐るべき呪文無効化地帯により、一番得意とするクロトが盾となり後方からフェアリーたちが攻撃呪文を唱えるというメイン戦法の火力を失った『イノセント・ダーツ』であったが、それでも彼らは果敢に戦った。
襲い来るゾンビの群れに対してクロトはデュランダルを手に立ちふさがり、その合間からヤヨイが弓で援護。
間隙を縫うようにクロトの鉄壁のガードを掻い潜ってきたゾンビはすぐにチヒロがク・ナイフで切り伏せるが、片手には闇を照らすための松明を持っているため本来の二刀流の実力を発揮できていない。
それでも普通の敵ならばとっくに全滅させていたであろう『イノセント・ダーツ』の強力な攻撃も、ゾンビ相手にはいまいち通用していなかった。
「もーっ、ミーミの呪文さえ使えれば、こんな気持ちの悪いの<命奪魂呪掌>で全部倒してやるのにー! ゾンビ嫌いなのー!」
「ミーミのその呪文は不死生物にはあまり効かないんじゃないの? ニーニの光のエーテルなら明るくもなるし、きっとこいつらの弱点よ! どっちにしろ今は使えないけどね」
ふわふわと安全な上空に浮かんだ呪文職のフェアリーたちがわいわいと騒ぐ。
「どうしよう。もうちょっとで矢が全部なくなるよぉ」
ヤヨイが泣きそうな声を出して、四肢をしならせクロトに飛びかかろうとしたゾンビ虎の脳天に矢を命中させた。
子供のような振る舞いに似つかわしくなく、ヤヨイの弓の技量は凄まじいものがある。
両親が共に冒険者であの有名な迷宮調査員ダイヤ&ハートの血筋であるというのと、幼い頃から道場で一流の剣士たちの剣を間近で見て育ち、目が異常な程に戦闘慣れしていたのもその理由だろう。
とてもただの少女が花嫁学校で身に付けただけの腕前ではなかった。
頭蓋を叩き割ったその一矢でもほとんどゾンビ虎の勢いは衰えず、別の甲冑を着たゾンビの相手をしていたクロトの肩にガブリと噛みつき、その牙を食い込ませる。
硬いスケイルアーマー越しとはいえ、ゾンビ虎の強靭な牙は完全に鎧を貫通したようで、クロトの肩からはだらりと血が流れた。
「よくもクロトの筋肉に傷を付けたわね! この腐れ虎!」
ニーニが手にした小さな杖で、ヤヨイの矢によってかち割られた虎の頭蓋からはみ出た脳をえいえいと攻撃しているが、蚊に刺された程も効いていないようだ。
「下がるん、だ」
ようやくクロトはゾンビ甲冑の胴体をデュランダルで真っ二つにして片付けると、自分の肩に食い込んだゾンビ虎の顎をめきめきと素手で引き裂いて投げ捨てた。
相手は半分腐っているとはいえ、恐るべき膂力である。
「みんなー、残りあと23体なのー」
呪文が使えずにやることのないミーミが敵の残存数を上空から教えるが、戦い始めてから数十分は経過したというのにほとんどその数は減っていない。
なかなか死なない相手に手こずっている間に、またどこからかウジャウジャと集まって来るのだ。
ネオトーキョーで活動中のパーティで実質最強である凄腕の彼らも、かつてこれ程までの苦戦を強いられたことはなかった。
「先に降りた『イグナシオ・ワルツ』たちはこんな連中相手に一体どうやって進んだんだ? これじゃあキリがないぜ」
身を低く屈めたチヒロがゾンビ忍者の足を切り落としながらぼやくと、さらに追加の群れが回廊の先から現れミーミが絶望的な声を上げる。
「残りあと32体に増えたのー!」
さらに6体ほど倒した後で、チヒロは無念の撤退を決断した。




