歌舞伎が教えてくれたもの その1
「ふわーぁ……おはようヤン。もう朝だよ」
ここは<トョーキョーイン>の僕とヤンが泊まっているエコノミールームだ。
昨夜<バタフライナイト>で僕たちは話し合った結果、急遽本日は例の『アングラデスの迷宮』第一層にて発見した、エレベーターで降りた先を攻略するための準備日として充てることとなり、迷宮探索の方はお休みとなったのだった。
にも関わらず、サラはこの早い時間からもう『アングラデスの迷宮』第一層に向かっているはずだ。
無論一人で迷宮攻略に向かったのではなく、何でも海外の高名なハルバードの達人から直接そこで指導してもらえるらしい。
ハルバードって名前はよく聞くけど、槍とどう違うんだろう?
実のところ、刀剣以外には僕はそんなに詳しくないのだ。
お酒も入っていたこともあり、僕はその辺の事情を今ひとつ理解できなかったのだが、サラが妙にやる気を出していたのは覚えている。
ロングウェポンに武器を変えようと言ってたことだし、そんな達人から教わる機会があるなんてちょうど渡りに船だよね。
「さてと。僕は今日どこに行こうかな。休みの日に限ってまたトリプルGとか出てこないよね、まさか」
現在僕の所持金は5431G。
せっかく貯金も大台の1万Gを超えていたのに、訳の分からない高額な漢方を買わされてしまったのが実に痛い。
ロンファは"精力剤"とか言っていた気がするけど使う機会あるのかな……ないよね。
とはいえこれだけの大金があれば今日はなんだってできちゃうぞ。
そういえば確か期限が今日までの歌舞伎のタダ券を、昨日漢方を買った時にロンファから貰ったんだっけ。
まだ起きる気配のないヤンを放置し、僕は袋からその券を取り出して確認すると本日のプランを決めた。
そんなこんなで、ネオトーキョーが誇る大型老舗歌舞伎劇場である『ザ・カブキ』へとやって来た僕。
なんと一番安い席でも50Gもする。
今はお金もあるとはいえ歌舞伎には特に興味もないし、これはとてもタダ券がなければ見に来ようなどとも思わなかっただろうな。
「えーと、本日の演目は『勧進帳』と『寿司政』か。稀代の名人『市川恋十郎』引退披露興行ねぇ……」
知識も興味もない僕にとっては全然ピンとこないのだが、いい時に来たのかな?
チケットを見て自分の席を探すと、とても豪華な桟敷席だった。
おおー、なんか得した気分だぞ。
「お弁当食べている人も多いな。小腹も空いたし僕も食べようかな」
席に置いてあるメニューを見て10Gの『豪華絢爛大江戸寿司政弁当』を頼む。
名前もいいし、見本写真の玉子が妙に気になって美味しそうに思えたんだよね。
「もぐもぐ……美味しいのは美味しいけど、何だろう。寿司政の玉子はもっと美味しかったような……って初めて食べたお弁当なのに。何言ってんだろ僕」
僕が独り言を呟きながら弁当を食べていると、隣の席に座っていた頭のすっかり禿げ上がったお爺さんがニコニコと話しかけてきた。
「お兄ちゃん、まだ若いのにこんな真っ昼間っから桟敷席で寿司政弁当とは通だねェ。さては、よっぽど恋十郎に入れ込んでると見た。当たりかい?」
キセルを小粋に構えてお爺さんが僕にそう尋ねる。
いや、タダ券を貰ったからたまたま来たたけなんですけど。
とはいえ通と見られるのは僕の自尊心をくすぐり悪くない、ちょっと嬉しいものがあるぞ。
「いやー実はそうなんですよ。引退だなんてホント勿体無いですよね~稀代の名人なのに」
とっさに少ない情報量から適当に話を合わせた。
お爺さんは機嫌を良くしたようで、僕の席の方に思いっきり寄ってきてパンっといい音で僕の肩を叩く。
「さすが! お兄ちゃんもそう思うかい。おいらも今日が恋十郎の見納めかと思うといてもたってもいられなくて、なんたら教会の鐘楼修繕の仕事を放っぽり出して来ちまったい。やっぱり江戸っ子、いや男は遊び心がねぇといけねえよな!」
へえー、お爺さんがサボってまで観に来たくなるような特別な興行なんだな。
あまり興味のなかった僕もちょっぴり期待が高まったぞ。
そして最初の演目である『勧進帳』が始まった。
勧進帳は剛力無双のモンク『弁慶』とその主である侍『義経』が、関所を越えるために身分を偽り山伏姿に変装して通ろうとする話だ。
関所の番人を前に白紙のスクロールをアドリブで大胆に読み上げる弁慶の姿は痛快で腹の底から笑えたし、その後の番人の抱いた疑惑を晴らすために、弁慶が主である義経を六角棒で涙を飲んで打ちのめすシーンは僕も感動して思わず目頭が熱くなってしまった。
歌舞伎って初めて見たけどこんなに面白いんだ……。
映画とはまた違う、生の役者の迫力に僕は圧倒されっぱなしである。
これはぜひ今度サラでも連れてきて、歌舞伎デートでもしてみたいよ。
『アキラ、あなたって強いだけじゃなく日本の伝統芸能にも精通しているのね。私、こんな古典的で素敵なデート、生まれて初めてよ』
『フッ……それじゃ君という名の白紙のスクロールも、弁慶のように僕色のアドリブで染めてあげるよ』
『ああっ、アキラ! もう私の心は義経のように八艘飛びしちゃいそう……』
思わずそんなバカな妄想をしていたら、お爺さんの声で現実に引き戻された。
「助八もやるようになったなぁ。あの難しい弁慶の役どころを見事に演じきってるぜ、グスッ」
隣の席のお爺さんは目に涙を浮かべてしきりに感心している。
さすがにその域の感想が出るまで僕は達してないからチンプンカンプンだけど、面白いのは確かだね。
「続いての演目は『寿司政』、市川恋十郎最後の一幕、心ゆくまでお楽しみ下さい」
アナウンスが流れるとお爺さんがそっと僕に呟く。
「さあ、いよいよ始まるぜお兄ちゃん。おいらたちが恋十郎の晴れ姿、しっかりと目に焼き付けてやらねぇとな」
寿司政は江戸の街に現れた化け物、『愚零太泥衛門』を寿司屋の政という男が稲荷明神の導きにより打ち倒すという単純明快な話だ。
場面はいよいよクライマックス、侍たちが数人がかりでも敵わず江戸の庶民が絶望したその時、ようやく政が現れて愚零太泥衛門相手に大見得を切るシーンに入る。
「捨てられ育った橋の下、親の顔は知らずとも、捌いた魚は数知れず、包丁一本腕一本、花のお江戸のけんか寿司、切った張ったは当たり前、江戸の寿司政ここに参上、とくらあ!」
鬼気迫るその役者、市川恋十郎の魂の込められた演技に、思わず僕は全身に鳥肌が立った。
それと同時に、この話を僕は以前から知っていたことも思い出す。
あれはそう、まだ小学校に上る前に『恵みの家ハートハウス』のマザーが聞かせてくれたおとぎ話だ。
ただの寿司屋である政が、稲荷明神のお告げで己の商売道具である鮪包丁を刀へと打ち直すそのシーンが印象に残って、僕は刀剣に興味を持ったんだっけ。
それに政も捨て子から身を立てたというのも、同じ境遇である僕の心に深く残ったのかもしれない。
あの頃と記憶がリンクして、僕の胸の奥がかあっと熱くなった。
「よっ、恋十郎!」
思わず感極まって僕が声を張り上げると、政役の市川恋十郎が一瞬こちらに目線をくれてニヤリと微笑む。
うわー、テンション上がるな!
話はどんどん進み、ついに政が愚零太泥衛門を見事討ち取った。
そのシーンだけは何故だか僕は少し物足りない気がした。
いや、これは多分実際にモンスター相手に迷宮で戦っている冒険者の僕目線だからだろう。
そこを指摘するのはお門違いってものだ。
初めて見た歌舞伎のそれとリアルの戦闘を一緒にしちゃいけないよね。
全体的にも大満足の演目でこれは本当に来て良かった、ロンファにも感謝しなきゃ。
「恋さまー!」
「最高だったぞ恋十郎!」
「お疲れ様、恋ちゃん!」
会場から労いの声も飛び交い惜しみない拍手喝采の中、幕が閉じようと……あれ、閉じないぞ?
「クククク……実に面白い芝居だったぞ人間よ。我らが祖を滅ぼした"あの技"は伝承されずに途絶えたか。賭けは我らの勝ちのようだな」
突然不気味な声が舞台から聞こえてきた。




