アングラデスの迷宮第一層 Good
チュン、チュンチュン。
小鳥たちが目覚めの歌声を聞かせ始めたばかりの、まだ朝もやに包まれた教会。
その礼拝堂では澄みきった声で、シスターたちの賛美歌が天上のハーモニーを奏でている。
壇上で歌う顔ぶれの中には、らんらんと目を輝かせて楽しそうに歌う、一際目を引く美しい容姿をした背の高いヴェロニカの姿と、シスターたちの中でただ一人、ボーイッシュなショートカットで堂々と胸を張り、朗らかに大きな美声を響かせるマナの姿もあった。
「……ささやーき、いーのり、ささーげよー♪」
パイプオルガンの演奏が止まるとシスターたちは一礼し、揃って壇上を降りた。
「あのっ、ステキでしたマナ先輩の歌!」
そばかすの残る少女たちが何人かマナの下へ駆け寄り、顔を赤らめてきゃあきゃあと騒いでいる。
「ありがと。でも、もう少し静かにね。子猫ちゃんたち」
マナが唇に指を当てて微笑すると、少女たちはその顔をますます紅潮させる。
「わたくしも惚れ惚れするような美声でしたわよマナ。神もきっとご満足なされたことでしょう」
ゆっくり十字を切ると、その顔に満面の笑みをたたえるヴェロニカ。
「ヴェロニカさんにそう言ってもらえると何だか照れちゃうな」
マナが短い髪を照れくさそうに掻くと、ヴェロニカは頭を振った。
「さん付けは不要です。ヴェロニカと呼び捨てで構いませんわ。それは他のみんなもです。わたくしたちはそう年も変わらないのだし、同じパーティの仲間なんですもの。今後はもっと親しいお付き合いをしていきましょう」
「わかったよヴェロニカ。女同士、これからもよろしく」
そう言って頷くと爽やかな笑顔で握手を交わした。
するとエルフのトニーノがその切れ長の目を細めて、手を叩きながら近づく。
「ブラボー、ブラボー! 我がパーティ自慢の二人の女神たちの歌声を朝から拝聴できるとはね。二人を『ヤンキー・スラング』でも例えるならそう、『マブイ・スケジャン』ってやつかな、うん。僕も早起きした甲斐があったってものさ」
それを聞いてどう反応したものかと若干困った顔をするマナと、ため息をつくヴェロニカ。
「ただ、次のコーナーは少々退屈なご拝聴の時間になりそうだ。よりによって彼の説教を聞かされる羽目になるとはね」
トニーノが顎をしゃくるとちょうどジェラルドが壇上へと上がっていくところだった。
「神は弱き人々を見捨てられたのか? 否、神は大いなる御手で善良なる者を救い、祝福を与えたもう。おお! 偉大なる我らの聖イグナシオよ!」
教会の礼拝堂でノリノリで説教をするジェラルド。
その説教のコーナーはなんとかれこれ1時間近く続いていた。
「なあ、こんなノンビリしててもいいのかな」
ウンザリした顔でトニーノが仲間たちに問いかけた。
「朝の礼拝は教会の者にとって基本中の基本です。さすがはわたくしたちのリーダーにしてロードたるジェラルド、信仰の深さにきっと日本の教会の方たちも感銘を受けたことでしょう。それに比べてトニーノ、あなたは少し彼を見習うべきですわよ」
そう言って祈りを捧げるヴェロニカ。
揃って『ナインテイルの湯』に朝風呂に行ったムクシとベンケイの二人もとっくに帰還して、礼拝堂の片隅に座ってジェラルドの説教が終わるのを待ちぼうけている状態だ。
昨夜、互いの持つ価値観について遅くまで議論を交わしてすっかり意気投合したらしく、以来ムクシとベンケイはえらく仲がいい。
「拙僧はやはり朝は白米と味噌汁、それに数切れのたくあんさえあれば十分と考えるが、ムックはいかがか?」
「むふふ、ベンケイ殿は通ですな。ワガハイはご飯に味噌汁をぶっかけて、豆腐をぐちゃぐちゃにかき混ぜてから食べるのが大好きでーす」
「なんと、作法に囚われぬ豪快な発想也。では拙僧も一度試してみよう」
「やだ、ムックってそんな食べ方するんだ。猫まんまじゃないんだから」
いつの間にか側で話を聞いていたマナが眉をひそめた。
「これは弥生殿に教えてもらった食べ方なのですぞ。騙されたと思ってマナ殿も一度やってみるといいのでーす。きっと病みつきになりますぞ、むふふ」
「いや、ならないって。弥生も一体何をムックに教えているんだか……」
そう言って、眼鏡をかけたあどけない親友の顔を思い浮かべるマナ。
そんな話をしていると、
礼拝堂にいた人々が一斉に立ち上がって散り散りになり、外へ出て行く。
ようやく朝の礼拝の時間が終わったようであった。
「待たせたなみんな」
1時間の説教を終えてどこか清々しい顔をしたジェラルドが仲間の下に歩み寄る。
「ジェラルドが気にしていた例の男だが、既にアングラデスでの探索を始めているとの情報を風呂で得た也」
荒々しい髭をいじりつつ、リーダーであるジェラルドにそう報告をするベンケイ。
「おまけに、たった4人のパーティらしいのでーす。みんな口を揃えて『イカれてるぜ』と申しておりましたぞ」
「たった4人でこの国最高難易度を誇る『アングラデスの迷宮』に潜るなんて、自殺行為にも程がありますわ」
「逆に、それだけの自信があるのかもしれないね」
ムクシ、ヴェロニカ、マナの3人もその会話に加わる。
「まずいんじゃないかジェラルド。最速攻略を狙っている僕たち『イグナシオ・ワルツ』としては、一歩彼らに出遅れている形になるが」
ジェラルドが前髪をさっと払ってトニーノの言葉に大きく頷いた。
「奴らは今何層まで到達しているか分かるかな?」
頭を振るベンケイ。
「確証は得られぬ也。拙僧はまだ階層の主が倒されておらぬ三層までは到達してないものと予想した。いかがするか、リーダーよ?」
全員の目がジェラルドへ注がれた。
「よろしい、では行こうか諸君」
そう言うとジェラルドは確固たる足取りで皆を率いて向かった。
教会の食堂に。
「神よ、今日も恵みの糧を与えて下さったことを感謝いたします」
一行は簡易な焼きたてのパンと温かいスープの朝食を終え、ジェラルドとヴェロニカが食後の祈りを捧げて十字を切った。
ムクシとベンケイは白米が食べたかったのか、まだ物足りなさそうな顔をしている。
「行くっていうからさっそく迷宮に向かうと思ったら、まさか食事にとはね。いやはや、うちのリーダーの考えは僕たち凡人には理解しがたいよ」
大仰に両手を広げると、同意を求めるようにマナへとウィンクをして見せた。
そのイケメンの行動にマナも思わずつられてクスッと笑う。
「君は凡人ではないだろうトニーノ。朝食をしっかり摂るのは、これから迷宮に赴く冒険者として基本中の基本だぞ。さてと、それではアクラたちを一気に挽回してやるとしよう」
ハンカチで口を拭くと優雅にジェラルドは席を立った。
ジェラルドたち『イグナシオ・ワルツ』は朝食を摂ってからわずか30分足らずで『アングラデスの迷宮』に足を踏み入れていた。
迷宮入り口の近くにいた迷宮判定員に確認を取ったところ、今日は他のパーティはまだ姿を見せていないという。
「まさに神のお導きだな。今の内にどんどん進もう」
一層にはモンスターらしいモンスターもおらず、『イグナシオ・ワルツ』の面々はただ階段を探して歩き回っていただけだった。
「この小部屋はまだ調べていないのでーす」
ムクシが扉を開けた瞬間、横たわっていた着ぐるみがムクムクと動き出した。
「なんだこの薄汚いモノは」
ズバッ!
遭遇するなり一刀の下に愛剣スラッシャーで片付けたジェラルドが、嫌悪感たっぷりの声を出す。
「どうやら悪霊の類みたいですわね。大したモンスターではないようですし、特に気にすることもないでしょう。先を急ぎましょう、ジェラルド」
ヴェロニカの声に促されて進むと、また別の部屋を発見した。
扉を開けて入ったそこを見てジェラルドが言う。
「ここは行き止まりのようだな。戻ろう」
全員がその場を後にしようとしている中、トニーノがジェラルドを呼び止めてその場に二人っきりとなった。
「どうしたんだトニーノ? 急に呼び止めたりして」
「なあ、サラのことなんだが」
トニーノがそう切り出すとピタッと突然ジェラルドが動きを止めて固まった。
「そろそろ許してやってはどうだい? 悪属性だったとはいえ、あの子自身に問題があるわけではないだろう」
返事はなく、ただ無言で壁を見つめているだけのジェラルドに、なおもトニーノは言葉を投げかける。
「僕も君たち兄妹と知り合ってからもう長いこと経つが、なんだかんだ心の中ではちゃんと通じあっている、本当は仲の良い兄妹だと知っているさ。街に帰ったらサラを探して迎えに行こう、な、ジェラルド」
ジェラルドの顔面の色が見る見る赤くなっていき、額には大きな青筋がピクピクと浮かび上る。
「確かに君の言う通りだトニーノ。あの場でサラに絶縁宣言をして追放したのは私の間違いだった。『教会送り』にしてでもあいつは一緒に連れて帰る。そして、シスターとして教会に預けて、その曲がった悪の性根を悔い改めるまで叩きなおしてもらうとしよう。それが一生でもな!」
ジェラルドはそう言って扉を足で蹴ると、怒りの表情で仲間の下へと去って行った。
「あそこまで怒るなんて、まだ時は解決してくれていないのか……って、何だこの壁のメッセージは!? だーっ、一体全体、君は迷宮で何てことをしているんだサラ! ウソだと言ってくれ、よりによってこんなタイミングでウルトラCを決められちゃ……」
そこには『この場所、サラ専用トイレにつき立ち入り禁止』と書かれていた。
角を曲がると突然チワワの頭を持った4匹のコボルドたちが現れた。
だが攻撃してくる気配はなく、大きな瞳を潤ませて耳を垂らし、ぷるぷると互いに身を寄せあって震えているだけだ。
「きゅううーん」
「友好的なコボルドか。私たちは修羅ではない。見逃してやろう」
ジェラルドはそう言って抜いていたスラッシャーを収める。
「ワガハイもその意見に賛成ですぞ。"正義の侍"ムクシの剣は悪を倒すための剣なのでーす」
ムクシも象牙色の毛を振るわせて賛同した。
「とてもおとなしくて可愛らしいわ。こんないいコたちに攻撃する人なんているのかしら」
ヴェロニカが思い切ってコボルドの頭を撫でると、ハッハッハッと舌を出して喜んでいる。
そしてまるで道案内でもするかのように、コボルドたちはちょっと進んでは皆が来るのを待つ。
そうやってしばらく進むとそこには下層へと続く階段があった。
「ほう、二層へ降りる階段にわざわざ誘導してくれたみたいだな。親切なコボルドたちだ」
「悪を憎んで友好的なモンスターを憎まず也」
(なんかみんなあのコボルドたちを信用しちゃってるけど、あたしは何だか嫌だな。特に目が)
マナだけはみんなと違う印象を受けたが、自分だけ異を唱えて空気を悪くする必要はないと判断し特に意見はしなかった。
そうしてコボルドたちに見送られ、『イグナシオ・ワルツ』は二層へと続く長い階段を降りていった。




