アングラデスの迷宮第二層 Getaway
『アングラデスの迷宮』第二層へと降り立った僕たちを待ち受けていたのは、極小の相手だった。
「ねえ、ヤン。あれってもしかしてモンスター、なの?」
サラが不安そうに宙に浮かぶそれを指差す。
それは蚊柱だった。
ブーーン、ブーーーン、ブーーーーン。
不快な羽音が徐々に大きくなるにつれ、少しずつその大群は僕らに迫って来る。
「ヤンさんに任せるねサラ。何匹いるか教えてあげるアルよ。光の精霊よ天より来たりて見えざる者を包みその姿を明らかにせよ<光視>」
すぐさまヤンが対象鑑定呪文を使ってくれた。
「種族名ゾンビユスリカ、数は1万8561アルね」
「はあっ?」
サラが素っ頓狂な声を上げる。
「確かに蚊って1匹1匹は小さいからそのぐらいはいても全然おかしくないけど……」
僕がゴクリと唾を飲み込む。
「というかこいつら『ゾンビ』なの? もしかして血を吸われたりしたら、僕らもゾンビ化しちゃったりする?」
「安心するね。それはないアルよ。おまけに攻撃力もほとんどないから大丈夫よ、ただこいつらは……」
ヤンがそう言いかけ、僕の後ろの方を一瞬見て頷いた。
「まあ何事も経験よ経験、初体験はとっとと済ませておくに限るアルね、ウシャシャシャ!」
そう言って僕とサラの背中をどんと押して、ヤンは安全な場所まで下がる。
確かにその通りだ、何事も経験あるのみ。
1万8561匹、相手にとって不足なし!
「よし、行こうサラ」
僕はいいところを見せようと剣を手に、先陣を切って蚊柱目がけて突っ込んだ。
その数分後、僕とサラはゾンビユスリカの大群から必死に逃げ回っていた。
こいつらは確かに攻撃力こそないものの、頭上にまとわりついてきて非常に鬱陶しい。
ブンブンと飛び回る相手に剣は空を切るばかりか、おまけにゾンビだからたまに攻撃が当たってもまるで効いていないようだった。
「うわっ、ぺっぺっ! もう勘弁して、また口に入ってきた!」
「私なんか髪に相当くっついて、もう気持ち悪いったらないわ……泣きそう」
見ればサラの明るい栗色の長髪に、死にきれていないゾンビユスリカたちが大量に絡み、その羽と足をバタバタさせていた。
うわっ、サラには悪いけどこれはちょっと夢に出てきそうなグロさだ。
ようやく蚊柱を振り切ると、僕とサラはアンナが用意してくれた濡れタオルで首から上をしっかりと拭いた。
「まさか剣でどうにもできない敵がいるなんて……」
「あれとまともに戦うなら攻撃呪文しかなさそうな感じね」
サラの言葉に頷く。
ゾンビユスリカ、地味だがとても恐ろしい相手だ。
「いい勘してるアルねサラ。ヤンさんの<霊刃>の呪文なら一発であの群れ倒せたよ」
「ええーっ!? じゃあ最初からとっととそれで倒してよ! 僕らは無駄にイヤな思いしただけじゃないか」
信じられないという顔でヤンを見る僕とサラとは対照的に、一人含み笑いをしているアンナ。
きっとアンナも知っていた共犯者に違いない、くそー。
僕の恨みがましい視線に気付くと、アンナは楽しげに人差し指を横に揺らした。
「アラ、やっぱりこういうのは体で実際に覚えないと、カ・ラ・ダでネ。いいこと、迷宮にはああいう剣が通用しない敵がいるということを二人ともしっかりと覚えておくのヨ。そういう相手に出くわした時は、頭を切り替えて瞬時にどう動くか判断すること」
やっぱりアンナは厳しい、レッサーコボルドとの戦いで加勢してくれた時みたいに甘えさせてはくれないようだ。
まるで訓練学校時代の『鬼のカンキチ』や『<最強の百合>』を思い出させるスパルタ指導に、僕はなんだかハードな女教師というイメージをアンナに抱いた。
オカマだけどね。
その後、僕たちは二層を進みコカトリスと遭遇しこれを撃退した。
コカトリスとは蛇の尻尾を持つ鶏で、その嘴でつついた相手を石化させる能力を持った意外と怖いモンスターだ。
最強最悪の石化能力『邪眼』を持つ、バジリスクというモンスターを参考に作られた合成生物が野生化して繁殖したものらしく、コカトリスのその石化能力はバジリスクよりもはるかに低い。
とはいえ、もしも運悪く石化なんてさせられたら一大事である。
数ある状態異常の中でも特に厄介なのが石化だ。
これは自然に治癒することはなく、治すには教会の力を借りるか迷宮で僧侶呪文を使うしかない。
おまけに石化した仲間を抱えて移動するのも一苦労だろう。
もしも輸送中に落っことして砕けようものなら……例え石化を治しても想像するだに恐ろしい結末となるのは明白だろう。
そんな石化の危険性を孕んだ慎重さを要求される戦いであったが、僕とサラの連携攻撃の前にコカトリスは末期の叫びを上げて絶命した。
「でかしたよ、こいつらのトサカも結構高そうアルね」
ヤンが嬉しそうに丸眼鏡を光らせてコカトリスの死体から必要な部分を剥ぎ取ろうとした、その時である。
物陰から突如巨大なミミズのような何かがうねりを上げて、コカトリスの死体にバクッと勢い良く食らいついた。
その大きな口には鋭い歯が円形状に並び、バキバキと音を立てて死体を噛み砕いていく。
「あ、危ないアルね、ヤンさん危機一髪よ」
難を逃れたヤンが転がるようにして後ろに下がる。
「気を付けて、こいつらはコープスワームだわ!」
アンナが警告の声を上げた。
コープスワーム。
死体があるとどこからともなく現れ、跡形もなく食い尽くす"ダンジョンの掃除屋"の異名を持つ、とんでもなく強靭な歯を持つ虫。
迷宮内で全滅したら、救助が来る前に大抵こいつらに食い散らかされて手遅れとなる。
恐ろしいことに、プレートメイルですらいとも簡単に噛み砕いたという逸話もあるぐらいだ。
『冒険者ルルブ』の『絶対に戦っていけないモンスターランキングベスト100』でも20位の強敵である。
「アキラいいニュースと悪いニュース、どちらから聞きたいアルか?」
またヤンの二択か。
「いい方は?」
「今ならまだ逃げられるアルね」
その体をうねうねと蠢かせて、コープスワームがこちらに迫った。
「じゃあ、悪いニュースは何?」
サラが油断なく剣を構えて不安げに聞く。
「もう逃げられないアルよ!」
コープスワームは予想外に素早い動きで距離を詰めると、避ける間もなく一気に僕の脇腹へと噛み付いた。
「ぐわぁぁっ!」
火の付いた鉄串でも刺したかのごとく、焼けるような痛みが僕の脇腹に広がる。
ちょっとでも気を抜けば気絶してしまいそうな痛みと必死に闘いながら僕が剣を振るうと、サラとアンナも横から剣と短刀でコープスワームの胴体を攻撃しているのが見えた。
その拍子に口を離し、僕は何とか恐るべき鋭い歯から逃れることができたものの、体がふらつく。
それもそのはず、僕の脇腹からは物凄い量の血がドクドクと流れ続けていたのだ。
あれ、これって死ぬかも……。
そして標的を変更したコープスワームが今度はサラの太ももに食らいついた。
「きゃあああっ!!」
「やめなさいこのっ!」
鮮血が迸る中、またもやアンナが胴体を狙い短刀を食い込ませて、懸命にサラからその標的を逸らそうとしている。
「ヤン、早く!」
「光の精霊よ天より来たりて傷つきし者らを慈愛の光にて包み活力を取り戻し給え<快活大光>」
アンナの声で素早くヤンが回復呪文を詠唱し、今まで続いていた焼けるような痛みがふっと楽になる。
「みんな、今の内に撤退するわヨ! アタシがコイツを引き付けている間に急いで来た道を戻って!」
囮となってサラを救出したアンナに殿の役目も任せて、僕たちは無念の敗走をした。
街へ帰ると、僕たちは冒険者のための宿泊施設である<トーキョーイン>へと足を運んだ。
「お疲れ様でございます。ただいまご用意出来るお部屋はエコノミーからロイヤル、各種空いております」
「エコノミーを2部屋用意してちょうだい」
「10Gになります」
アンナが手早く会計を済ませて、僕とヤン、サラとアンナの二手にそれぞれ別れて部屋で休息を取ることにした。
訓練所でのデータ更新も、『ナインテイルの湯』で汗を流すことも、『みやび食堂』での食事も、<バタフライナイト>での打ち上げも、どれも今の僕たちには行う気力がなかった。
それほどまでに今日の戦いでボロボロに傷付き、消耗していたのである。
それは肉体だけでなく、精神的な意味でも同じぐらいウェイトが高かった。
「明日は迷宮に潜るのはやめてオフにしましょう。とりあえず明朝、食事を取ってからまたミーティングだわネ。それじゃお疲れ様」
「おやすみなさい。アキラ、ヤン」
そう言って女子組は自分たちの部屋へと引き上げて行った。
あれ?
何かが違うような……駄目だ、頭が全然働かない。
部屋に入ると僕はすぐさまベッドに倒れこんだ。
「いやー今日は散々だったアルね。まあ命があっただけ良かったよ、そんなに落ち込まないことね。ありゃ、もう寝たアルかアキラ?」
◇
またあの夢を見ていた。
そこは酒場にあるような木製の丸い卓が一つあるだけの、他に何もない殺風景な部屋。
そしてその卓上でのんびりとあくびをしたのはお馴染みの黒い小動物。
そう、僕の相棒のクロだ。
「クロもやっぱり眠くなったりするのかな。夢の中でそれを言うのも何だかおかしい気がするけど」
側に寄ってその背をゆっくりと撫でると、気持ちよさそうにクロを全身を伸ばした。
「今日は冒険者になって初めてボロボロにやられたよ。やっぱり僕には向いてなかったのかな」
そう問いかけるとクロはゆっくりと歩み寄り、ぺろぺろと僕の手を舐める。
僕にはそれが『頑張ってアキラ』とまるでエールを送って励ましてくれているかのように思えた。
「そうかクロ、おまえなりに励ましてくれているんだね。ありがとう」
するとガブッといきなりクロが僕の手を噛んだ。
「いたっ! 何するんだよ!?」
とっさに引っ込めたその手に、僕はダイスを握っていたことにようやく気付く。
どうやら正解は『いいからさっさと早くダイスを振れ』だったらしい。
き、厳しいなクロ。
クロは邪魔にならないよう端っこの方に陣取ると、僕が行動するのをおとなしく待つ。
「分かったよ。振ればいいんだろ、振れば」
例のごとく謎な儀式をとり行うため、この世の物とは思えない美しく透明に輝いたそのダイスを卓上目がけて放った。
コロコロコロ……。
ダイスが転がる中、僕は心の中で思う。
とにかく、ちゃんと卓から落とさないようにして1の目さえ出さなきゃいいんだ。
悪い結果になる確率は6分の1。
そう悪い確率ではない。
そう思っていると、一瞬あの真っ赤なドクロの目が見えてドキッとする。
嘘だろ、勘弁してくれ。
あれだけは、本当にヤバい。
その回転に次第に勢いを失って、ダイスがついに止まった。
出目は、漆黒の竜が鉤爪で何かをこじ開けようとした意匠が描かれた6の目だった。
「うおおおお、久々にキターっ! 6だよクロ、6!」
輝くダイスを転がして出た6の目。
それが現実世界で僕に及ぼす恩恵は計り知れない。
何をやってもうまくいく、最高の一日が僕を待っているはずであった。
天にも登る夢心地でクロを抱きかかえ、小躍りして喜ぶ僕。
次第にぼやけていく景色の中、クロは腕の中でじっと僕を見つめていた。




