外伝 サムライ・デル・ディアマンテ その5
突然現れた妙な格好の少女に俺が絶句していると、少女はパチパチと片目を何度も瞬きし、どういう意味があるのか指を二本突き出した。
「ふっふっふ、わらわは森の美少女『ものずきんちゃん』じゃ! どうじゃ、このビロード製のずきんにスカートは? 可愛かろう?」
くるりとその場で回転して西洋腰巻の裾を淑女風にしおらしく持ち上げる謎の少女。
ところがその白いずきんと西洋腰巻には、不気味な御札らしきものがこれでもかと狂ったようにベタベタ貼り付けられており、はっきり言って可愛いどころか異様、狂気の沙汰だ。
たじろいでいる俺に、謎の少女は勝手に納得した素振りで頷く。
「ふむ、あまりの愛らしさに声も出んようじゃのう。そなた、森の中でこんな可憐な美少女に会えて得したのう? もっと近くでじっくり見て構わんぞ? 千年に一度あるかないかの……あっ、これ! 話の途中でどこへ行くのじゃ?」
俺が関わり合いになるまいと背を向けると、物凄い速さで目の前に回り込んできた。
仕方がないので俺はため息混じりに思ったことを指摘してやる。
「……こんな深い森の中で、異国人の男に動じもせずおまけに俺の故郷、日本の言葉で話しかけて来る少女がどこにいるものか。どうせ狐か狸の化け姿だろう? 残念だが俺は欺けんぞ。御馳走と思わせた馬の糞など食らわされてなるものか」
呆れた顔で俺が指を突きつけるとあきらかに少女の表情がこわばった。
「ギクゥッ!? さ、さすがあの人の現身だけあって妙に鋭いのう……じゃがそんなモノ誰が食わすか! コホン、まあよい。いかにもわらわは人ではあらぬが、ただの狐狸の変化でもない。そなたに分かりやすく説明するならば、そうじゃのう……稲荷の神、かのう? こんっ☆」
そう言って両手の中指と薬指を親指とくっつけ、俺にまじまじと見せつけてくる自称、稲荷の神。
俺は完全にそれを無視し、泉の水を飲んでいた黒野号に跨ると、腹を軽く蹴って出発の合図を出す。
だが馬鹿っ黒はウンともスンとも言わず、その場から動こうとしない。
「これっ、神であり美少女のわらわを前にしてそのような無礼な態度を取る者があるか! プンプンじゃぞ。この次に生まれ変わる時はレディーファーストを心得た人間にじゃな……これこれ、待たぬか!」
下馬した俺が強引に馬鹿っ黒の手綱を引きずって、この場から一刻も早く立ち去ろうとすると、少女はまた先回りして俺の行く道を塞いできた。
「なあ、さっきから一体何なんだ?」
黒野号の背に手を置いて尋ねる俺に、神を名乗った少女は何故か偉そうに胸を張る。
「わらわは神である。じゃが万能ではない上、ポイントの残りもキチンと計算してやりくりせねば色々とまずい立場なのじゃ。そなた、国に帰ったなら稲荷の社を建ててわらわを奉っておくれ」
俺を担ごうとしてるのか、それともただ頭が可哀想なだけなのか。
さっぱり要領を得ない少女の話に俺は思わず頭をかいた。
「はあ、ぽいん糖? そんな菓子の残りの話を俺に言われてもな……自分の小遣いで何とかしろ。あえて話に乗ってやるが、稲荷の社なんて日本各地にごまんと、それこそ腐るほどあるだろう? 土地も金もない百姓の俺がそんなもの、新たに建てる意味なんて欠片もないと思うがな」
馬鹿にした口振りの俺に腹を立てるでもなく、少女は腰巻きをひらりとさせて近づくと真剣な顔で俺の耳に顔を寄せてきた。
「それがあるのじゃ。わらわの社を建てる場所じゃがな……」
話を要約するとこの稲荷の神を吹聴するおかしな少女は、自分に対する個人的な信仰心が力になる、その力を最も効率良く得られる場所は江戸ゆえ俺に江戸に引っ越せだの、使節団の褒美として貰えるはずの金で古い長屋を買い取りそこに社を建てろだのと、妙に細かい注文をつけてきた。
「待て待て! 百歩譲ってあんたが稲荷の神であるとしよう。国元に帰り奇跡的にその注文を全部こなしたとして、一体俺に何の得があるんだ? こっちは今から悪魔にさらわれたこの国の王女を助けに行かなくちゃならないんだ。あんたがその手助けでもしてくれるってのなら、まあ話は別だが……」
俺がそう言うと少女は我が意を得たりとばかりに大きく頷きを返す。
「ようやく話が通じたようじゃのう。無論、わらわはそのために来たのじゃからな。例えばそなたが先程引き抜いて泉ポチャしたあのボロっちい剣、ほれっ!」
少女が指をくるくると回すと、不思議なことに泉からザブンと音を立て一振りの剣が姿を見せたではないか。
「おいおい! 空中に浮いてるじゃないか!? 一体全体、どういうからくりだ?」
驚く俺の眼前にふわりと剣が舞い降りてきたので慌てて掴んだが、その刃は見事なまでに朽ち果てていた。
……岩の中にあっても経年による剣身の劣化は避けられなかったということか、残念。
肩を落としてがっかりする俺に、稲荷の神を名乗った少女がからかうような調子で問う。
「その剣こそ、引き抜いた者は王になるという伝承が伝えられる古の聖剣。どうする、百姓から王にでもなってみるかえ? そなたの仕えておる侍にも負けぬ偉大な力を手に出来るぞ。ただしその場合そなたの体力はガクリと下がり、腰にぶら下げておる村正はまともに扱えぬようになる。何かを得れば何かを失う……そういう仕組みじゃ」
俺が、王に?
それこそ夢みたいな話だが、今の妖術を見せられては嘘や冗談ではないのかもしれない。
だが、この時俺の脳裏には目も眩むような輝かしい王としての未来ではなく、穴ぐらの地下4階で門番と戦った過去がよぎっていた。
あの恐ろしい冷気の妖術によって仲間の侍たちは敵に近づくことさえ許されずに全員が傷つき倒れた……しかし、この俺だけは培ってきた高い体力のおかげで難を逃れ逆転に至ったのではないか、と。
……ちと心残りがあるとすれば、もし俺が王であったならば美しいあの王女とも釣り合いが取れるかもしれんということだが……いや、それはないか。
己の馬鹿な考えを一笑に付すと、目の前で微笑を浮かべるものずきんちゃんにきっぱりと首を振る。
「いや。俺は俺のままで戦う。野間様から授かった村正が扱えなくなるのも、今の体力が下がるのも御免こうむる。俺は本懐を遂げるその時まで、絶対に倒れる訳にはいかない」
返事を聞いた稲荷の神こと、ものずきんちゃんは満足そうな顔で両腕を組んだ。
「現世の欲に囚われず真の道に至り、か――ふふふっ。ならば聖剣は武器として持っていくがよかろう。『くろ』や、まだ転生前じゃがおまえ様の力を前借りするぞえ」
ものずきんちゃんは馬鹿っ黒に近づくとその額に手をかざす。
「おい、そいつに近づくと危ないぞ――」
すかさず止めに入ろうとしたが無言のまま左手で制された。
ものずきんちゃんが目を瞑り何やらブツブツと訳の分からない呪文を唱えると 巨体の黒馬は目を伏せて白いずきんの少女に頭を垂れる。
毎日世話をしてきた俺ですら完全に御することの出来ない暴れ馬だが、まるで借りてきた猫の如くおとなしくなすがままにされている。
やはり神を名乗るだけのことはあるな……。
感心している俺をよそに、黒野号の額からは少女に向けて何やら光の帯のようなものが溢れだす。
その光景はとても神秘的で、少女の言葉を疑っていた俺も納得せざるを得ない迫力があった。
「ク・ロノダ・イース……眠れる時の竜の力にて在りし日の面影を取り戻さん……今甦れ、古の聖剣よ!」
少女が高らかに叫ぶと、この世の物とは思えないほど美しい透明に輝く賽子が空中に突如として出現し、くるくると猛烈な勢いで回転を始める。
賽子は漆黒の竜が鉤爪で何かをこじ開けようとした意匠が描かれた6の目を上にしてピタッと急停止したかと思うや、現れた時と同様にいきなりフッと消えた。
何と言うか魂が震えるような、とても美しい賽子だった……生涯忘れることはあるまい。
「ほれっ、これでしまいじゃ。その剣、エクスカリバーと腰の村正があればまず一対一の戦いで何者にも負けることはないじゃろう。わらわがここまで介入するのは千年に一度級の、とびきり特別なことじゃぞ?」
ものずきんちゃんが指差す俺の手には、いつの間にか先程の朽ちた剣ではなく立派な鞘に入った一振りの剣が握られていた。
さっそく抜いてみると、複雑な模様の彫られた両刃がわずかな木漏れ日を反射してギラギラと光り輝いている――まるで今さっき打ったばかりの新品のようだ。
「『獲薬狩婆』か……変わった名だが実に見事な剣だな。しかし今回は荷役として潜るのではないし余計な荷物は極力減らしたい。大小二本差しの侍じゃあるまいし、まして本差の二刀流など聞いたこともないからな。俺には野間様から授かった妖刀村正さえあれば……」
鞘から抜いた獲薬狩婆を眺めていたその時、俺の頭の中で知らない男の声が響いた。
『……操手狩……ニノ太刀を決めることができたなら、この技は真の境地へと……』
「くりて……かる? ニノ太刀?」
何が何やら分からぬまま心に引っかかった謎の言葉を呟く俺に、ものずきんちゃんは嬉しいのか悲しいのかよく分からぬ切ない顔で微笑んだ。
九右衛門が去って後、泉の前で一人佇む白いずきんの少女の前に、薄衣を纏っただけの半裸に金髪の青年が空から舞い降り、白い歯を見せた。
「やあナインテイルの女神。ボクの神域でどうして勝手な振る舞いをしているんだい?」
神々しい光に包まれた青年が叱責するような声で語りかけると、少女は小馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らした。
「なんじゃ、イグナシオの小僧か。わらわよりずーーーっと幼いくせに相変わらず偉そうじゃのう。そなたがわらわを前に神を気取って説教など千年早いわ、出直してたもれっ!」
つれない態度の少女に青年は眉を下げてオーバーに両手を広げる。
「えー、ひどい言い草だなあ……君より神歴は浅いけど一応ここボクの神域なんだから、それなりの敬意は払って欲しいんだけど。それよりさっきの一部始終見させて貰ったよ。とっくの昔に失われたエクスカリバーをまた人間に与えるのはさすがにやりすぎでしょ? しかもまだ存在しない次元竜の力まで勝手に使っちゃって。それでなくともあのもう一振りの剣だって、人間が対悪魔用に持つ武器としては結構ギリギリの、オーバースペックな代物だよ? そんな反則めいたことを神である君がしていたら、神魔協定すら誰もが無視するようになって結局この世界全体が――」
ベラベラと喋り続ける青年に痺れを切らした少女が絶叫する。
「ええい、ゴチャゴチャうるさいのう! アナ・マリアがいなくなればそなたの宗派も途絶えて、困るのは結局自分じゃろうに!」
それを聞き、たちまち青年の顔が青ざめ凍りつく。
「まさか君……掟に背いて未来を覗き見たのかい? しかもボクの宗派が途絶えるって……はぁー、分かった。分かりましたよ。要はアナ・マリアを助けに行ったあの人間が、目的を達するよう力を貸せばいいんでしょうが。でも掟を破るのはもうこれっきりにしてくれたまえよ」
青年の姿がフッと消えると少女は深いため息をついた。
「……ふう、これでようやく万全の態勢が整ったようじゃな。未来とは不確定要素に満たされたくじ引きのようなもの。わらわに出来ることはその当たりの確率を少しでも引き上げることだけ――確かに世界も大事じゃが、紅麻呂様よりも大切な物はわらわにはないからのう……」
土砂や木材を山ほど用意して穴ぐらの封鎖作業に当たっていた兵士たちは、遠くから響く蹄の音に何事かとしばし手を止めて注目した。
ドドドドド……!
「おおーーい、止まれ! 王の命令によりこの先は……うわあああっ、無茶するな! 止まれ、止まれーーーっ!!」
両手を振って静止を呼びかけていた兵士は、全く立ち止まる素振りもなく怒涛の勢いで突撃してくる黒馬の騎手に恐れをなし慌てて横に逃げ去る。
ドカーーーン!
穴ぐらの入り口に打ち付けられた木の板をもろともせず蹴破った黒馬は、そのままの勢いで暗闇の中へ猛然と消えて行った。
兵士たちは呆然とした表情でそれを見送ることしかできず、王に何と報告したものかと頭を悩ませた。