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僕の就職先は戦士、それも悪の。  作者: 伊邪耶ゼロ
監獄都市編
196/214

外伝 サムライ・デル・ディアマンテ その4

 出血の割に俺の傷はそれほど深手ではなく、翌日にはほぼ塞がっていた。

 だが受けた衝撃は体の傷より何倍も大きく、俺の心に深く爪痕を残す。

 危険な海を渡って共にこのイスパニアまで来た誇りある侍の滝野様――いや、滝野が土壇場で俺たちを裏切るなんて……。

 あの男は悪魔の誘惑に負け、人間としての尊厳すらかなぐり捨ててしまった。

 幕府の密偵というのもきっと奴のことだったのだ。

 穴ぐらから戻った直後、小寺様が事の仔細を国王フェリペ3世に報告したとの話だが、やはりあの王は我が娘の生命など二の次で悪魔に宝珠を渡す気はサラサラなくあっさりと穴ぐらの封鎖を決断した。

「国王様がそう決断されたのなら部外者である我らがもう関わる問題ではない。滝野が裏切ったのには正直参ったがな……その話は誰にも漏らすでないぞ。もうイスパニアにこれ以上留まる意味もないだろう。政宗様に命じられた通り我々はローマへ向かい教皇にお会いしよう」

 面会に来た支倉様は寝台に横たわる俺にそう告げて帰って行かれた。

 ローマへ向かうだって……ならばアナ・マリア王女はどうなるというのだ?

 死よりも恐ろしい苦痛を与えるとアークディアブロスは明言していたではないか。

 寝台の上で目を瞑ると、俺と少女との短いが充実していた日々がありありと思い浮かぶ。

 ある日、俺が侍ではなく百姓で荷役として連れてこられた身分の低い男ゆえ、こうして会うのはまずいのではないかと問うとあの子は顔を真っ赤にして怒ったな。

 『身分がなによ! みんな同じ人間じゃない。わたしはキューエモンのこと好きよ。キューエモンはわたしのこと嫌いなの?』

 日本では決して聞くことのない、身分の高い少女の口から出た上下の壁を無視するような一言……それは俺にとって胸の奥が熱くなる、かけがえのない嬉しい言葉だったのだ。

 この旅にたまたま選ばれた時から、自らの仕事を途中で投げ出すことだけは絶対にすまいと俺は心に決めていた。

 だが支倉様には悪いが、このまま黙ってイスパニアを立ち去るなどできようはずもなかった。


 ――早朝。

 俺は傷の具合を確かめ体が完全回復したのを悟ると、誰にも気取られぬようそっと病室を出て少女といつも待ち合わせていた馬小屋に足を運んだ。

 主人を失った黒野号を見つめて俺は頷くと、昨夜の内に作っておいた木製の手槍を数本、その鞍にくくり付ける。

 すると不意に声がした。

「成程な。封鎖作業をしている穴ぐらは普通にゃ通して貰えねぇから、もう持ち主のいねぇ滝野の名馬で無理やり突破しようってつもりか。そこまで王女を助けてぇのか、それとも悪魔を倒して名を挙げてぇのか。理由は知らねぇがな」

 その声にどきりとして俺が振り向くと、いつの間にそこにいたのか野間様が壁に背を預けてリンゴをむしゃむしゃと齧っていた。

「……野間様」

 荷役が命令違反をして他国の王に逆らうような勝手な振る舞いに及んだと知れれば、あのお優しい支倉様とて部下の手前決してお許しにはならないだろう。

 緊張の面持ちの俺に対し、野間様は半分残したリンゴを黒野号に向かい放ってやり静かに語る。

「……地下4階の門番相手ですら薄氷を踏むような瀬戸際の勝利だったな。あいつらの首領……一撃で俺を吹き飛ばしたアークディアボロスってやつの膂力は尋常じゃねぇ。それに滝野……悔しいが、使節団の中で一番の使い手だった奴までもが相手だ。ぜってぇ死ぬぞ、九右衛門」

 どうやら野間様はお咎めするのではなく、俺の身を案じてくれているようだ。

 その心遣いに俺は嬉しさを感じたが決心は変わることなく、ただ真っ直ぐに赤マントの侍を見つめ無言で頷く。

 すると野間様は太い眉を奇妙に歪ませばさりとマントを翻し、腰から何かを抜いて俺に投げて寄越す。

「持っていけ。徳川の世では大っぴらに持つことも許されねぇ、曰く付きの刀だ。異国の地で無くなったとこでどうってことはねぇ。先日は持って行きそびれたが、もし連中の弱点が名のある刀剣なら絶大な効果があるだろうよ」

 徳川の世で持つことが許されない刀……それは誰もが知る徳川一族の死に関与してきたあの名刀――いや妖刀だ。

「これは……村正ですか! そんな大それた物を荷役の、この俺に……?」

 村正に目をやると、鞘からその妖気がびりびりと手を通して俺の全身に伝わってくるような迫力を感じる。

 故郷で俺が借り受けて耕している田畑よりもこれ一振りの方が遥かに高い、恐ろしく値の張る代物だ。

 俺が再び野間様の方を向くと、もう赤マントの裾から伊達に手を上げて去っていく後ろ姿だけが見えた。

「ありがとうございます、野間様……」

 俺は村正を腰の帯に差すと、野間様の背に向かい深々と頭を下げた。


 薄暗い早朝に出発し、ようやく陽が昇る頃――俺は穴ぐらではなく深い森の中にいた。

 透き通る水面に空の青が映える、とても美しい泉だ。

 馬鹿っ黒は泉の脇で嬉しそうに水を飲んでいる。

 黒野号の背に跨り威勢よく出発したはいいが、この馬鹿っ黒は何故か穴ぐらには真っ直ぐ向かってくれず、途中にあった森の中へと勝手に暴走したのだった。

「くそったれの馬鹿っ黒。どうしておまえは俺の言うことを聞いちゃくれないんだ。異国に来てから誰が今まで世話してきたか、少しは考えろ」

 俺がぶつくさと文句を言うと、ぶるると嬉しそうに返事をしてまた水を飲みだした。

 普通の馬よりも体格の大きい名馬だけあり、こいつが俺の指示を無視してあらぬ方向へ全力疾走しだすと、振り落とされないようにするのがやっとであったのだ。

 運動不足解消のために日に一度は乗ってやっていたが、その時はちゃんと指示に従っていたのに……完全な計算違いである。

「しかし、何とも美しい場所だな」

 静謐な雰囲気が漂う森の中、木漏れ日が苔と蔦に覆われた岩のようなものを照らしているのに気付いた。

 それが妙に気になった俺は、魔性の者に誘われたかのようにフラフラと近づいてみる。

「ん、岩から何か突き出ている? 待てよ、これはもしかして剣か?」

 岩の出っ張りだと思ったそれは、経年劣化で見る影もなくなった剣の柄であった。

 また奇妙なことに、見る限り剣の刃先は完全に岩に埋没して食い込んでいるようだ。

 本来硬いものを切るには適していない刀でも、達人ならば硬い岩を斬ることは可能だ――事実、有名な剣豪は何人かそれを成し遂げていた。

 ただし、それは裂帛の気合を込めて側面で斬った場合のみ、こんな硬いものを突き刺そうとしたなら刀身は簡単に折れてしまうだろう。

 異国で主流な両刃剣ならば刃の厚みもありそうそう折れる心配はないだろうが、こっちは切れ味というものが刀と比べ格段に劣っている。

 柄を見たところ随分と古そうな年代物の両刃剣のようだが……こんなもので岩を真っ直ぐ貫通させるなんてことが、果たして本当に可能なのか?

 興味を持った俺は思わず柄に手をかけてみたが、ピクリとも動く気配は感じられない。

 普通ならそこで諦めるのだろうが、俺はどうしてもこの不思議な剣の全体像を見てみたくなった。

 本気になった俺は岩に足をかけて踏ん張ると、両手で渾身の力を込めて引っ張る。

「うぐおおぉ……」

 ピキっと岩から音が鳴ったと思うや、すぐにそれは亀裂となってビキビキと物凄い音を立て始めた。

「よしっ、抜けるぞっ……!」

 ズルッ!

 いきなり抜けた反動で派手に尻餅を付いた俺の手から剣はすっぽ抜け、泉の中央へボチャンと波紋を立てて沈んだ。

 慌てて水面に顔を近づけるが、泉は途中からいきなり深くなっており水も驚くほどに冷たい。

 今から穴ぐらでひと暴れしようかという時に、年代物の剣を探しに水中に潜って体を冷やす気にはとてもなれなかった。

「ああ……どんな剣なのか、一目見てみたかった……」

 俺が落胆の声を上げて泉に沈んだ剣を惜しみつつ見ていると、いきなりトントンと何者かに肩を叩かれる。

 ビクッとして振り向くと、そこには頭にすっぽりと白いずきんを被った謎の少女が、意味深な笑みを浮かべ立っていた。

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