外伝 サムライ・デル・ディアマンテ その3
穴ぐらに潜り一体何時間が経過したのか――。
俺たちは現在地下4階まで快進撃を続けていた。
支倉様を前衛中央に置き、その右に滝野様、左を野間様、後衛中央に小寺様、その右を俺、左を金蔵という布陣だ。
襲い来る悪魔どもをすでに100体近く葬り、各階で下へ降りる階段を守っていた門番と思しき特殊な個体も何の苦もなく倒している。
はっきり言ってお侍方の強さは常軌を逸していた。
薄暗い穴ぐらの通路を進む俺たちに、小寺様が丸眼鏡を光らせ危険を告げる。
「左通路より4体、うち一体は『羽型』であり申すね!」
「ちいッ、またあの野郎か! 槍をよこせ九右衛門!」
その声にいち早く反応した野間様が、早くしろと言わんばかりに片手を差し出す。
俺は背中に担いだ大きな籠から手早く槍を取ると野間様に手渡した。
「とらあああッ!」
赤いマントを翻しながら勢い良く繰り出された槍は、手前の悪魔の胴を豪快にぶち抜くとそのまま3体を串刺しにした。
だが人とも昆虫ともつかない奇怪な姿の悪魔……空を飛ぶ厄介な羽型は仲間の頭上を軽々飛び越え、天井すれすれから急降下して支倉様に肉薄する。
「羽型が抜け申したね!」
小寺様が慌てて前に出て支倉様を守ろうとすると、滝野様がスッと割って入り、目を細めながら刀に手を掛ける。
「なんや、きみらも大将を狙う程度の知恵はあるんやね。けど、そうは問屋が卸しまへん」
シュピーン。
滝野様の刀が閃いたと思った次の瞬間には、羽型は真っ二つにされていた。
足下に分断された状態で転がった羽型は、しばらくの間ジタバタと手足を動かしてもがいていたが、やがて完全に動かなくなる。
雑魚で今のところ一番厄介な悪魔が、今の変幻自在に飛び交う上にやたら生命力の強い羽型だったのだが、滝野様はそれすら一刀で始末してしまったのだ。
「……羽型を一撃で仕留めやがったのか。まあ見事だとは誉めてやるが。俺の一撃三殺にはまだ及ばねぇな、滝野よ」
野間様が上から目線で仲間の侍に声をかけると、懐から取り出した懐紙で刀の汚れを丁寧に拭っていた滝野様が冷ややかな目を向ける。
「最初に羽型と出くわした時、散々狙いを外して苦戦してはったのはどこの誰どす? 結局あれも最後僕が倒しましたやろ。野間はんが遊んではる間に、僕は通常の奴10体は倒しましたわ」
互いの言葉に気を悪くした二人はふんと鼻を鳴らすとそっぽを向く。
滝野様と野間様はウマが合わないらしく、穴ぐらに潜ってからも毎度こんな感じだ。
その間、金蔵は黙々と槍を悪魔の体から回収して手入れをしていた。
敵勢を全滅させ、通路の行き当たりに扉を確認した支倉様が皆に労いの言葉を投げ掛ける。
「よくやった。どうやらこの扉の先が目指す場所のようだぞ。穴ぐらの構造から考えてまた下へ向かう階段があるか、もしくは敵の根城かだな」
支倉様はこれまで俺たちが歩いてきた全ての階の通路を、頭の中に地図という形で正確に記憶しているらしい。
おかげで俺たちは一度も迷うことなく、正しい道のりを進んでこれたのだ。
ということは、また例の特殊な個体……門番か、もしくは王女をさらった首領悪魔が待ち受けているのか。
まあ彼らなら今度も余裕の戦いとなるだろう。
そう思っていた俺の期待は有難くない形で裏切られた。
念仏のような聞いたことのない詠唱の声が響く。
「ま、また例の冷気の妖術が来るであり申すよ……! こ、今度は耐えられそうにないであり申すね……」
小寺様が震え声で注意を促すと、皆にも緊張が走ったのが気配で伝わった。
俺や金蔵が持っていた松明の灯りはとうに冷気でかき消され、辺り一面は完全な闇が支配している。
この階の門番の強さは尋常なものではなかった。
背中に大きな翼を持つその悪魔は、羽型のような変幻自在の動きで俺たちを翻弄してきたのだ。
一番の使い手と思われる滝野様は軽く触れられただけで、全身から力を奪い取られたようにガクリと膝を屈し、まともに戦える状態ではなくなった。
その僅かな隙に乗じ、支倉様と野間様は強烈な一刀を悪魔にお見舞いし、見た目にもかなりの手傷を負わせた……はずであったのに。
空中に舞い上がり悪魔が逃げ回って時間稼ぎをしていると、段々とその傷が癒えていったようなのだ。
そして一番の脅威が冷気の妖術だ。
悪魔が妙な詠唱の言葉を唱えると、まるで弓や銃のように遠くから俺たちの全身を一気に刺し貫くような、回避不能の強烈な冷気が襲った。
「間合いを取られ過ぎているな……声の方向からして奴は右手奥の天井付近にいるようだ。おそらくは踏み込んでも刀が届かぬ……万事窮するとはこのことだな」
支倉様が半ば諦めとも聞こえるような呟きを漏らす。
俺たちはここで終わりなのか……アナ・マリア王女も救えず穴ぐらの中で犬死にか。
まだ幼さの残るあの美しい少女は今どんな思いでいるだろうか……俺たちが失敗すれば国王はもう救助は出さないだろう。
侍たちが戻らねば穴ぐらごと埋める、という話を出発前に下女たちの噂で耳にした。
百姓の俺はただ死ぬだけだが、アナ・マリア王女は悪魔たちが気まぐれで生かしている間、誰かが助けに来てくれるという僅かな希望に縋り想像を絶する恐怖と戦い続けるのだ――助けなど永遠に来ないまま。
ぎりっ、と俺の全身の筋肉に力が入った。
籠の中にある槍を掴むと俺は無我夢中で駆け出す。
すると支倉様が俺の背中に叫ぶ。
「九右衛門、あと半歩右! そう、5歩直進した真上だ!」
有り難い、支倉様は俺の意図を理解した上で、足音だけを頼りに実に的確な指示を出してくれた。
だが俺が決断して行動を終えるより僅かに悪魔の詠唱が終わる方が早かったらしく、俺の全身を鋭い冷気が再び襲った。
「ぐはっ!」
お侍方が倒れる音が背後から聞こえる。
だが百姓として大自然相手に毎日鍛えてきた俺のこの肉体は、お侍方よりもはるかに丈夫だったようで、二度の冷気の呪文を受けてもなお倒れるには余裕があった。
ここに来て卑しい出自を感謝することになろうとは、不思議なものだな。
微笑すると俺はぐぐっと思いっきり低い体勢から上目掛け、全身全霊を込めて槍を放った。
悪魔は下で何やら企んでいる獲物の攻撃を紙一重でかわして再び甘美なエナジードレインを試みるつもりであったが、遠方から飛んできた刃物が頭部に直撃しその動きを阻んだ。
それは忍者の必殺武器『手裏剣』……弱点部に直撃したとはいえ、そんな小型の刃物程度では大したダメージはないはずであった――だが忌々しいことに、それは悪魔に呪いと同等の作用をもたらす『十字』の形をしていた。
悪魔が僅かに怯んだその隙に、下から放たれた槍が尻の穴から脳天まで突き抜け、電撃のような衝撃が走る。
(!? まさか下等生物にやられるとは……こんなはずではなかった。もし次に生まれ変わるとしたら弱点を克服し、遠距離戦だけでなく近接戦の方も十分におれはマスターしておくぞ……)
自身の誇る自動再生能力を上回るダメージを受けて死にゆく悪魔は、そんなことを考えつつ息絶えた。
金蔵が松明に再び灯をともし、俺は倒れたお侍たちの手当をして回る。
野間様は俺から乱暴に水筒を受け取るとグビグビと飲み干し、太い眉を吊り上げて真正面から睨んだ。
「荷役の分際で余計な真似をするんじゃねえっ!」
お叱りの声に俺が無言で頭を下げていると、水筒を返しながら照れくさそうに野間様が呟く。
「でけぇ借りを作っちまったな九右衛門……恩に着るぜ」
「野間様……」
初めてこの人と心が通じ合ったような気がして俺が感じ入っていると、パチパチと手を打ち鳴らす音が小部屋に鳴り響いた。
馬鹿な……全く気配を感じなかったぞ!?
一同の顔に緊張が走り全員がそちらへ注視すると、イスパニアの貴族が纏うようなゆったりとした長衣を着た男の姿があった。
「下等生物がアルビアノスを倒し4階まで突破するとは、正直驚きました。その変わった服装と武器……このイスパニアの者ではありませんね?」
尋ねて来た男に小寺様が堂々と答える。
「いかにも。我らは日本から来た侍であり申す。おまえが王女をさらった悪魔の首領であり申すか?」
こいつがアナ・マリア王女を……!
「のこのこ出て来るとはいい度胸だ。ぜってぇ生かして返さねぇ!」
野間様が抜刀して突っ込むと、男はそれを嘲るように片手で刀ごと壁の端まで吹き飛ばした。
「野間! おのれ……」
支倉様が油断なく構えると、男はそれを制するように指を振った。
「お待ちなさい下等生物よ。まずは自己紹介といきましょう。私は大悪魔アークディアブロスと言います。どうです、私の下僕として永劫の時を生き、強大な力を思うがままに振るいたくはありませんか? ここまで来た下等生物ならば100の軍隊を一人で葬るのも容易な、無敵の逸材となるでしょう」
長衣の男、アークディアブロスの誘いにきっぱりと支倉様が首を振る。
「残念だったなアークディアブロスとやら。我ら誇りある日本の侍は、そのような誘いに乗るぐらいなら死を選ぶ。仕える主君に悪魔を選ぶことなど、断じてない」
すると滝野様が信じられない言葉を口にした。
「それ、ほんまどすか? 僕は喜んで下僕になりますわ」
「何を馬鹿な……血迷ったか滝野?」
顔色を曇らせる支倉様を無視して、滝野様は大悪魔の側に行ってしまった。
それを見てアークディアブロスは恐ろしく優しい顔をして頷く。
「賢い決断です。他に私の下僕になりたい方はいませんか? おや、いらっしゃらないようですね。では、残りの方々は地上に返して差し上げましょう。私の待つ地下5階まで、そうですね……3日以内に宝珠を持ってくるのです。さもなくば、王女には死よりも恐ろしい苦痛を味わって貰うことになるでしょう」
死よりも恐ろしいだと……そんな目に遭わせてなるものか!
「うおおおおおーーーーっ!!」
俺は槍を手に雄叫びを上げながら、アークディアブロス目掛けて突撃を試みる。
「きみ、荷役は荷役らしゅう後ろに控えとき」
ズバシュッ!
大悪魔の前に立ち塞がった滝野様はそう言うと俺を袈裟懸けに斬り捨てた。
俺の厚い胸板から大量に血しぶきが舞い、目の前の景色が霞んでいく。
「支倉様、そういう訳ですわ。次に会う時に宝珠を持ってけぇへんかったら、僕も容赦しまへんよ?」
滝野様……いや、誇りある侍という立場だけでなく人であることすらも捨てようとしている男が、扇子で口元を隠して笑う。
「こ、この裏切り者の恥知らずがあッ! 滝野おおおおーーーッ!」
倒れた俺を抱きかかえて叫ぶ野間様の声が最後まで耳に響いていた。