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僕の就職先は戦士、それも悪の。  作者: 伊邪耶ゼロ
監獄都市編
194/214

外伝 サムライ・デル・ディアマンテ その2

 俺が美しい異国の少女と出会い、馬小屋で秘密の待ち合わせをするようになってから数日経ったある日のこと――。

 使節団の宿舎として用意された屋敷の廊下を、短い足でドタドタと反対方向から駆けて来た小男が、すれ違いざま血相を変えた顔で俺を呼び止めた。

「あいや九右衛門、ちょうどいいところにいたであり申すね。支倉様を見なかったであり申すか?」

 えっさほいさと両足をその場で足踏みしつつそう言ったのは、いかにも頭の切れそうな容貌をした、丸眼鏡を掛けた広い額の持ち主。

 支倉様と同じく仙台藩主である伊達政宗に仕える侍、小寺外記(こでらげき)だ。

 この人は支倉様の右腕とも言える存在で秘書官を務め、紙と筆を常に動かし俺たちには理解できないような難しい仕事を日夜こなしている。

 その反面、噂では極度の博打好きで『カシーノ』と呼ばれるイスパニアの賭場にも夜な夜な出入りしてると聞く。

「支倉様ですか? 確か午後は滝野様とご一緒に、レルマ公爵のお屋敷にてイスパニアの大山猫を見物なさるとお聞きしましたが」

「あいや、大化け猫など見てる場合ではあり申さぬ! 急いで全員を連れて王宮まで来るであり申すね!」

 誰かと顔を合わせると用事を言い付けられるのは荷役の身の常として覚悟しているが、いかんせん少女との待ち合わせの時間が迫っていた。

 少女の屈託のない眩しい笑顔が脳裏に浮かぶ。

(仕方ない。ちょうど行き掛けにあそこを通るのが幸いだ。顔だけ見て今日は時間がないと伝えるとしようか……)

 俺は無言で小寺様に頷くと稲妻のような速さで走る――稲妻はちと言いすぎか。

 この数日で俺と少女の心の距離は一気に縮まり、まるで昔から一緒にいる気心の知れた仲のようになっていた。

 互いに毎日のひとときの会話を楽しみにしているので、ゆっくりできないと知れば俺と同様にきっと残念がるだろう……おそらくは。

 だが約束の時間というのに、馬小屋にはいつも俺より先にいるはずの少女の姿はなかった。

 きょろきょろと辺りを見回す俺を馬鹿にするように、滝野様の『黒野号』がぶるる、と鳴く。

「勝手に吠えてろ。今はおまえに構っている時間はないぞ馬鹿っ黒。餌も用事が済むまでお預けだな」

 残念な気持ちを馬にぶつけるように捨て台詞を残し、俺はその足でレルマ公爵の屋敷に向かう。

 その後、支倉様含む主だった使節団の方々とも合流し、連れ立って王宮へと足を運んだ。


 髪は乱れ、体の至る所に血の跡がこびりついたボロボロの兵士が三人、椅子に座る国王フェリペ3世の前で神妙な面持ちで膝をついている。

「ドン・フィリッポよ。その方が緊急事態と言うから来てみたが、これは一体何事の騒ぎだ? それに兵士たちの傷つきようは……礼など構わん、彼らにも椅子を用意してやれ」

 名を呼ばれた洗礼名ドン・フィリッポこと支倉にもさっぱり事情は飲み込めなかったが、どうやら秘書官の小寺が勝手に支倉の名を出し国王まで巻き込んで一同を招集したらしい。

 小寺はいたずらにそのような真似をする男ではないので、相応な理由があるのだと支倉は確信し、ここは黙って成り行きを見物することに決めた。

 一方、王から椅子を勧めたられた兵士たちは三人とも無言で頭を振りきっぱりと固辞すると、何が起こったか語り始めた。

「今朝のことです。アナ・マリア王女がいつものように乗馬を楽しまれていると、突然大地に地鳴りが響き大きな穴が……」

 兵士の言った『いつものように乗馬を楽しまれていた』という言葉に俺の体が反応した。

(いや……まさかな。俺と毎日馬小屋で親しげに話していたあの少女が、王女でなどあるはずがない……。頼む、どうか人違いであってくれ)

 俺が心の中でそう祈っていると王が一際高い声を上げる。

「なんと、アナが穴に落ちて死んだというのか!?」

 悲痛な顔で椅子の肘掛けを叩く王に、兵士はまたも頭を振る。

「長い話になります。付かず離れず見守っていた我ら銃士隊は、すぐさま王女の救助へ向かうべく穴に飛び込みました。残念ながら王女は発見できませんでしたが、降り立ってすぐの場所にこのような手紙が残されていたのです」

 恭しく差し出された手紙を引ったくるように奪うと王は読み上げた。

「なに、『王女を五体満足で返して欲しくばこの国に伝わる宝珠を穴まで持って来い』……アナは賊にさらわれたのか。宝珠は渡せんよ。あれは代々の王から、国が滅ぼうとも他者の手に渡すなと伝えられている秘宝」

 我が娘を見捨てるようなその発言に、何かと支倉の世話をしてきたこの国の権力者であるレルマ公爵が、恭しく頭を下げて王へと進言する。

「おそれながら申し上げます。アナ・マリア王女はすでにフランス国王ルイ13世の妃となることが決まっておいでの身。いかなる理由があろうと婚約を反故にすれば最悪の場合、両国間の戦争も覚悟せねばならぬかと……」

 戦争という言葉に即座に反応して、不安そうな顔になった臣下たちがざわつくと王が片手を挙げて静まらせた。

「公爵の懸念ももっとも。が、幸いあれには5歳違いの妹マリア・アナがおる。名前も似ておるし、ルイ13世にはそちらを替え玉で嫁がせばよい。フランス国王といえど相手もまだ子供。前にただ一度きり会った娘と同じかどうかなど、気が付くまい」

(公爵も王も政治の道具としてしか王女の身を案じていないのか……日本と同じだな)

 俺はひどくアナ・マリア王女に同情したが、荷役たる自分では何の力にもなれない……。

 話が脱線していく中、小寺様が丸眼鏡を光らせ威勢よく叫んだ。

「あいや、しばらくご一同! この兵士たちの話にはまだまだ続きがあり申すよ。ほら、さっさと話してやり申すね」

 眼鏡の小男に急かされた兵士は頷きを返すと、暗く落ち込んだ顔で事の顛末を語り始めた。

「……賊が穴ぐらに潜んでいると分かれば袋のネズミも同然。そう判断した我々は一度詰所に引き返し、銃士隊の精鋭50名を動員し改めて王女の救出に乗り込んだのです。最新式のミケレット銃を手にして」

 日本でも火縄銃自体は珍しくないが、このミケレット銃は火種を用いることなく射撃可能という、より高度な発達を遂げている。

 その威力も絶大で射撃間隔も短く、個人が持つ大人数での集団戦闘武器としてはこの上ない最強の武器――それがミケレット銃だ。

 世界最強国家である、イスパニアの兵士が持つに相応しい武器であるといえよう。

 この場に集った誰もが賊を銃の圧倒的火力で蹴散らした戦果報告を期待していると、それは完全に予想外の形で裏切られた。

「穴ぐらの中に踏み込んだ我々はそこで『敵』に遭遇しました」

「穴ぐらの内部は松明の灯りなしではとても進めない程薄暗く、そして終わりがないのではと思う程に深く、それでいて通路は横に3人並ぶのがせいぜいの広さ――。我々は数による優位を全く活かせませんでした」

「ミケレット銃の弾を何十発とぶち込んでやったのに、何体いるかも定かでない『敵』は一切怯むことなく我々に襲いかかりました。薄明かりで不確かでしたが、あれは人ではなく獣だとその時の我々は思いました」

「次々と襲い来る『敵』の牙や爪による攻撃を前に仲間たちは一人、また一人と倒れていきました。松明を持っていた私は銃を持っておらず、やぶれかぶれで先祖代々伝わるこの古ぼけたサーベルを引き抜いて敵に切りつけたのです。するとこれが不思議と効いた様子で、『敵』は恐ろしい悲鳴を上げて苦しみ悶えました。その隙に撤退したのですが、気付けば50名いた勇士はこの3名だけとなっていました……」

「穴ぐらを抜け出てもなお追撃してくる一体の『敵』を前に、我々は死を確信しました。その時、偶然通りがかったそこの小寺様が刀を抜き一撃で『敵』を仕留めてくれたのです。後にも先にも、あのような卓抜した剣技は見たことはありません」

 兵士たちにそう紹介されて全員の目が丸眼鏡の小男へと向けられ、そこかしこから感嘆の声が聞こえてきた。

(普段は筆で紙とばかり格闘している秘書官といえ、さすがは戦国最強の呼び声も高かった伊達政宗の家臣に名を連ねるお侍……やるな小寺様)

 俺が思わず感心していると、小寺様は武勇を勝ち誇るでもなく冷静な顔で風呂敷に包まれた何かを王の御前に差し出した。

「『敵』の首を取ってきたであり申すね。それが一体何かは、そちらの判断に任せるであり申すよ。少なくとも日本では見たことないであり申すね」

 王が恐る恐る包みを開けると、それを目の当たりにしたイスパニアの人々はひどく恐れおののき、ある者は悲鳴を上げて逃げ出し、またある者は神へと祈り始める。

 耳元まで裂けた真っ赤な口、鋭く凶悪な牙、白目の全くない闇のように真っ黒な瞳、山羊のような二本の捻れた角……どう見ても人でも獣でもなかった。

「なんということか……これは、古に伝わる悪魔(ディアブロ)だ!」

 レルマ公爵がそう叫んで十字を切ると、いくらか冷静さを取り戻した王は眉間に皺を寄せながら、生還した兵士に問いかける。

「王女をさらった賊が悪魔を穴ぐらで飼い慣らしていると?」

「あるいは、その悪魔が賊なのやも」

 兵士の言葉に、王は顎に手をやり部屋をしばらく行ったり来たりしながら、ようやく結論を出した。

「銃弾が効かない相手に剣の……それもさして切れ味も良くなかろう、古ぼけたサーベルの一撃が効いたというのか。そして侍の刀は悪魔を仕留めるに至った、と……。剣を使う騎士も国にはまだおるがそれも今や形だけ。兵たちの武器はとっくに銃に取って替わった……」

 王はくるりと支倉に向き直ると近くに歩み寄り、その手を取った。

「ドン・フィリッポよ、そなたに頼みがある。娘を無事救い出してくれとまでは言わぬ。不浄な悪魔どもをその侍の証たる腰に下げた刀にて、この地より消し去っては貰えぬか? 悪魔が宝珠を狙っているのでは余もおちおち眠れぬ」

 支倉は信頼を置いている小寺にそっと目をやると、彼は丸眼鏡を光らせて力強く頷いている。

 悪魔だか何だか知らないが、小寺が一刀で倒せる程度の相手ならば何人、いや何十人いようといけると踏んだのだ。

 それに、ここで王に恩を売っておけば軍事同盟の件も成就するかもしれない。

 支倉の腹は決まった。

「このドン・フィリッポにお任せあれ。我ら侍の底力、イスパニアの方々にもお目にかけるといたしましょう」

 支倉が王に恭しく跪きそう宣言すると、謁見の間に集まった人々から歓声がわあっと巻き起こった。

 それを見て、太い眉を吊り上げた野間は赤いマントを翻し、己の拳同士をガツンと乱暴にぶつけて野獣のように歯を剥き出して笑う。

「はっは、面白くなってきやがったじゃねぇか。支倉様! この野間も是非お供にッ!」

 滝野が扇子で口元を隠してパタパタと扇ぐ。

「支倉様が出陣なさはるんなら僕も当然行きますわ。悪魔やろが仏やろが、支倉様のお体には僕が指一本触れさせまへんよ」

 野間と滝野が名乗りを上げると、小寺は丸眼鏡を光らせ国王に尋ねた。

「時に国王様、王女の似姿はあり申さぬか? 我々一同は誰もそのお顔を知らないであり申すね。賊に違う女を替え玉に立てられないようにせねば」

 先程の国王の発言に対する少しばかりの嫌味が込められたその言い回しに、俺は思わず心の中で喝采を叫んだ。

 だが国王はそれに気付かないのか、あるいは余程のしたたか者なのか、涼しい顔でポンと手を打つ。

「おお、それなら絵師に描かせた生き写しのやつがある。これ、誰ぞアナの絵を持って参れ」

 臣下が二人がかりで運んできたその大きな絵に描かれた少女のあまりの美しさに、思わず侍たちも息を呑む。

 だが目に飛び込んだその絵に描かれた少女に、俺は別の意味で息を呑んだ。

 いつも馬小屋で会っていたあの少女こそが、この国の王女アナ・マリアだったのだ。


 穴ぐらの探索は最少人数で行うこととなった。

 総大将である支倉様が自ら出陣し、随行員として選ばれたのは女物の着物が印象的な護衛役の滝野様、闘牛士のような赤マントを纏う野間様、最初に悪魔を切り伏せた丸眼鏡の小寺様、年老いた荷役の金蔵(きんぞう)、そしてこの俺のわずか6名だ

 俺と金蔵以外は皆が身分も高い侍である。

 図らずもアナ・マリア王女の救助に加えて頂けたことは嬉しい、だが己の低い立場をまざまざと思い知らされたようで少し歯痒くもある。

 この俺が刀を振るい妖どもを蹴散らし、囚われた美しい姫を助けに行く……そんな姿をしばし想像してみたが、鍬しか振るったことのない百姓の俺には絵物語の夢物語だな。

 すると横にいた金蔵がポンと俺の肩を叩く。

「なんじゃ、緊張しとるんか若いの。なあに、あっしらはお侍方の邪魔せず後ろに控えとりゃええ」

 槍や刀、具足の替えに野営道具、松明に兵糧と、二人で分担してもかなりの総重量だが金蔵は苦にした様子もなく、ひょいひょいと俺の先を足早に歩いて行く。

 老いを全く感じさせない、これぞ熟練の荷役といったその働きぶりに俺は舌を巻いた。

「間違っても俺の目の前をちょろちょろするんじゃねぇぞ、九右衛門。侍の戦を邪魔したら、ぜってぇに許さねぇからな」

 そう言って太い眉を片方だけ上げて野間様が俺を睨むと、滝野様がにこやかな顔で割って入る。

「野間はん、荷役の子にそない厳しゅう言わんでよろしいやろ。きみ、しっかり荷物担いで僕の後ろにおりや。向かってくる敵は全部片付けてあげますわ」

 野間様と滝野様が互いの顔を見合ってふんとそっぽを向いて歩き出すと、小寺様がそっと俺に目配せしてきた。

 ここに来る前、小寺様から言われたことは俺も忘れてはいない。

「九右衛門、これから言うことは他言無用であり申すね。実は……この遣欧使節団の中に幕府の密偵が紛れ込んでいるのであり申すよ。支倉様が幕府に背くような行動を見せれば何を仕掛けてくるやら――差し当たっては同行する野間、滝野、金蔵の動きに注意して欲しいであり申す」

 ただの荷役の俺にそんな大役を任されても困るのだが、頼りにされたことで正直少し嬉しくもあった。

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