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僕の就職先は戦士、それも悪の。  作者: 伊邪耶ゼロ
監獄都市編
193/214

外伝 サムライ・デル・ディアマンテ その1

 時は江戸時代。

 天下分け目の関ヶ原の戦いを経て、徳川家康が日本の実権を握ってしばし後のこと――。

 仙台藩主である伊達政宗は、領内でのキリスト教の布教容認と引き換えにイスパニア(現在のスペイン)との直接貿易をこぎつけるべく、イスパニア国王及びローマ教皇のもとへ使節を派遣した。

 『次代の将軍となるに相応しいのは政宗である』という、家康が知ればただでは済まないような書状まで用意して――政宗の本当の狙いはイスパニアとの軍事同盟だった。

 戦国の世も終わり、家康の支配する世にあって破格の待遇を受けてもなお、独眼竜と呼ばれた男はその隻眼で天下を狙っていたのだ。

 この異国への使節という大任を主君政宗に任されたのは、朝鮮半島での戦いにおける足軽・鉄砲組頭としての手腕と渡航経験とを買われた、支倉六右衛門長経はせくらろくえもんながつね

 支倉を正使とした使節団は、船の座礁による失敗などのトラブルを経て旅を続け1615年、ようやく当時の世界最強国であるイスパニアの国王フェリペ3世との謁見を果たした。

 彼らこそ世に言う『慶長遣欧使節団』である。


 年が明けイスパニア国王との謁見も無事済ませてしばらく経ったこの日、国王や王妃を含む多くの参列者の見守る中、支倉はイスパニアの首都マドリードにある王立女子修道院付属教会にて、キリスト教の洗礼を受けた。

 厳粛な空気の教会内に、神父の宣言が響く。

「汝の洗礼名はこれより『ドン・フィリッポ・フランシスコ・ハセクラ・ロクエモン』となります。神のお導きのあらんことを……」

「光栄の極みに存じます。残る我が生涯、神のために捧げましょう」

 支倉が神父に膝を折りそう誓うと、拍手と歓喜が教会内に湧き上がった。

「ああっ、異国のお人であるのに、なんという謙虚さと信仰心に満ち溢れた方なのでしょう! 主よ、この歴史的な瞬間に居合わせたことを感謝いたします、アーメン!」

 修道女ヴェロニカが感激のあまり涙ぐみながら十字を切ると、仲間の修道女たちもそれにつられて涙を流して喜んだ。


 イスパニアの闘牛士が用いるような赤いマントを羽織った太い眉毛が印象的な男が、隣りに控えていた俺に片方の眉を上げて話しかける。

「なんとも神々しいじゃねぇか……この支倉様の晴れ姿、とくと目に焼き付けておけよ九右衛門(きゅうえもん)。おまえのような身分違いの荷役(にやく)が一国の王がおわす場に同席するなど、故郷の日本ではぜってぇに許されねぇんだからな」

 乱暴な口調でそう言ったこの人は尾張の侍、野間半兵衛(のまはんべい)だ。

 見下すような物言いだが別段腹は立たず、俺はただコクリと無言でそれに頷いた。

 野間様の言う通り、使節に選ばれた主だった方々は、支倉様の仕える仙台藩のお侍方以外も皆が有名な侍であったり、商人であったりとその身分は高い。

 俺は荷物持ちとして連れてこられただけ……それも支倉様の『おまえの名は九右衛門か。それがしの六右衛門と似て何やら縁起が良いではないか』との鶴の一声で抜擢されたにすぎない、苗字もないただの百姓だ。

 すると女物の豪華な着物に身を包んだ、まるで傾奇者のように洒落た外見の男が目を細めつつ丁寧な口調で会話に割って入ってきた。

「まあまあ野間はん、ここは日本やおまへんで。そない堅苦しいのは抜きにしましょか。きみ、悪いけどまた僕の馬の世話をして来てくれへん? なんやきみが世話するとあの子よう食べはるらしいわ。僕は支倉様のお側を離れられしまへんよってに、頼んます」

 にこにこしながらそう言ったのは京都山城の侍、滝野加兵衛(たきのかへい)だ。

 こう見えて支倉様の護衛頭を任されている程の相当な使い手らしい。

 人使いの方も荒く、俺はこの人と会えばいつも何かしらの用事を命じられて動かざるを得ない。

 この後は国王フェリペ3世からのお言葉も控えているので、最後まで見届けていたかったが……そこは荷役の悲しさ、俺はコクリと頷きを返すと教会を脱兎の如く後にした。

 九右衛門が出ていくと、野間は片方の眉を吊り上げながら京都から来た男の女物の着物を睨んだ。

「滝野よ……おまえその格好、もうちっとどうにかならねぇのか。侍が皆おまえみたいと思われると日本の恥よ」

 ため息交じりの野間に、滝野は着物の袖口からパッと扇子を取り出すと口元を隠してパタパタと扇いだ。

「失礼やな。僕はちゃんと日本の伝統を守っとりまっしゃろ? 野間はんこそ、すっかり異国の服装に被れてもうて。『とれろ(闘牛士)』やないんやから、もっと侍らしい格好したらどうでおます?」

 二人は同時にふんと鼻を鳴らすとそっぽを向いた。


「くそったれの馬鹿っ黒め。おかげでまた一張羅が泥と糞まみれだ」

 馬小屋を出た俺は罵りの言葉を吐く。

 滝野様が日本から連れてこられた真っ黒な毛並みの馬『黒野号』は、確かに立派な体つきでよく走る名馬ではあるのだが、その気性が凄まじく荒く近づく者に容赦なく噛みつき、隙あらば大きな蹄で踏みつけようとしてくる。

 その癖ちゃんと毛の手入れをしてやらないと、餌も水もまともに口にしないという非情に困った気質の馬なのだ。

 おかげで使用人たちも恐れて近づかないので、いつも俺にお鉢が回ってくる。

 毎度俺が世話をしてやってるというのに、黒野号は懐く気配も見せず容赦なく襲い掛かってくる。

 なのでいつものように力づくで押さえつけて世話をしてやったが、俺の服は汚れて酷い有様となった。

 馬小屋の裏手にある井戸の横まで来た俺は、一応周囲に女の姿がないのを見計らうと服を脱ぎ、頭から水を浴びて汚れを落とす。

 身分は卑しくとも日本人の代表として遠い異国へと来ている身だ、女性に失礼があってはならない。

 ヒンヤリとした冷水がこの時期には身に染みるが俺は百姓、こんなのには慣れっこだ。

 素っ裸で服をゴシゴシと洗っていると馬の足音が聞こえた……誰かが戻ってきたようだが、まあ同じ男同士なら構いやしないだろう。

 馬に乗る女はいないからな。


 乗馬から戻ってきた少女は井戸の前にいる裸の男を見て、彼こそが下女たちから噂で聞いていた男に間違いないと思った。

 筋肉自慢の者たちは国の戦士や騎士にもいるが、ここまで盛り上がった鋼のような筋肉にはついぞお目にかかったことはない。

 男の裸をまともに見ることが少ない少女にも、その圧倒的な差ははっきりと見てとれた。

 日本から来た『百姓』、いわゆる農民……『侍』たちと違って彼の肉体は戦うために鍛えたのではない。

 何千、いやきっと何万時間と荒れ地に向かって鍬を振るい続けた肉体なのだろう。

 少女はそこにある種の美を感じた。


 呆然としている俺の前で馬を止めて降りると、少女は目を輝かせて続けざまに質問を浴びせてくる。

「あなた名前は? 年はいくつ? 日本ってどんなところ? 侍は騎士より強いの? もう結婚してる?」

 栗色の髪、色白の肌、青い目。

 そして何よりも目を引くのが手綱を持つその白く美しい手。

 日本でもここイスパニアに来てからも見たことのない、奇跡のように美しい少女だ。

 まさか馬に乗る女がいたとは思わず呆気に取られていた俺は、ハッと己の姿に気づき慌ててまだ濡れている服で前を隠す。

 少女は裸の俺にも動じることなく、好奇の眼差しでこちらを見つめたまま小鳥のように首を傾げて俺の返事を待っている。

 なるほど、高貴な身分の方は庶民に裸を見られるのも見るのも、動物相手ぐらいにしか感じないというのを聞いたことがあるが……どうやらそれっぽいな。

 そうと決まればこちらも恥じ入る必要はない、堂々と一礼して俺は少女に言葉を返した。

「これはお見苦しいところを。俺は九右衛門と言います。年は18。日本は……」

 俺を含む使節団の者たちは長い旅の間にイスパニア語も習得していたので、少女との会話もややぎこちないながらも支障はない。

 少女は驚いたり笑ったり、悲しそうな顔をしたり怒ったりと、俺の話に目まぐるしく素直な反応を見せた。

 質問が終わるとまた次の質問が始まり、この会話は永遠に続くのはではないかとやや疑問にも思えてきたが、こちらも初めて知る異国の様々な話を少女から聞かされて楽しかった。

 ゴーンゴーンと鐘の音が鳴り響くと少女が口に手を当てて、いけないという顔つきになる。

「わたしもう行かなきゃ。キューエモンまた明日、ここで同じ時間に会える?」

 美しい少女が上目遣いでそう俺に問いかける。

 荷役の俺に自由に使える時間があるかは微妙だったが、この人のあまり来ない馬小屋の前で同じ時間なら、滝野様の馬の世話という名目で抜け出せるかもしれない。

 それに少女との会話はとても胸が踊った――ただ容姿が美しいからというだけではない。

 言葉では言い表せない何かが、俺の心の中で確かに息づいていた。

 俺は初めてあの馬鹿っ黒に感謝すると、少女に向かって力強く頷いた。

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