嫌な男
イタリアのフィレンツェには世界中に支部を持つ聖イグナシオ教会の本部がある。
その大聖堂は普段熱心な信者たちの姿で溢れているのだが、この日ばかりはその顔ぶれも違った。
一流の職人が仕立てた高級スーツの紳士に、目も眩むような豪華な宝石が散りばめられたドレスの淑女。
あっちを見てもこっちを見ても上品な服装で着飾った、見るからに上流階級の者たちばかりだ。
というのもこの日この場所で、イタリアの名門カルボーネ家の令嬢であるサラ・カルボーネと、国連の法務部長にして世界でも10位内に入る富裕層である加賀財閥の次男坊、加賀竜二との結婚式が行われるからである。
この日、加賀財閥が式に招待した客たちは世界でも名を知られる金持ちや貴族ばかりであった。
シャンパングラスを片手に浮かれた表情の加賀に、教会の法衣を着た真面目そうな男が近づいて話しかける。
「加賀様。法王はご高齢で体調が優れないため、例の神父の役目をお引き受けできません。代わりに司祭枢機卿なら……」
そこまで男が言うと、加賀はイラついた顔で飲みかけのグラスをポイっと使用人に向かい放り投げた。
ガシャン。
グラスをいきなり投げられた使用人はキャッチできず床に落として割ってしまい、加賀はチッと舌打ちをする。
何事かと客たちが視線を向ける中、使用人は嫌な顔ひとつせずささっと手慣れた様子でそれを片付け、再び場に穏やかな空気が戻った。
加賀は男に向き直ると、ネクタイを直しながら馬鹿にしたような表情で両手を広げた。
「はぁ、司祭枢機卿? おまえ馬鹿か。この加賀様の結婚式にハク付けようと、わざわざイグナシオ教会本部の大聖堂を貸し切ったってのに。トップの法王が出てこないなら何の意味もないっしょ? ゴチャゴチャ言ってないでさっさと連れてこいよ、法王のジジイをよ。ただ座らせとくだけで100万ポンと貰えるんだから法外な仕事だろ? ほらボサッとしてんなよ、動け動け」
自分の息子よりも若い、チャラチャラした若造に敬愛する法王をジジイ呼ばわりされ、普段温厚な人物で知られる司祭長の額にもビキィ、と青筋が浮かぶ。
(い、いかん。イグナシオの信徒にして冒険者たる私が一般人に殺意を持つなど……決してあってはならない話だ。神よご照覧あれ、今ここに真実の正義の使徒フィリポは正しき行いを為さん! ……しかし、こんな男が次の国連事務総長候補筆頭とは。世も末だな)
心の中で神に祈りを捧げ冷静さを取り戻した司祭長フィリポは、加賀の言葉に答えず一礼してその場を下がった。
「ったく、どいつもこいつも使えない無能ばかりかよ。俺様が国連トップの事務総長襲名したら、こんなボロ教会真っ先に潰してやる。くくっ、その日が楽しみだぜ」
加賀は笑いながらこの日妻となる女性が待つ2階へと向かった。
「よう、イイ子ちゃんで待ってたか? おっ、似合うじゃんその純白のドレス。やること終わらせたらすぐに脱がせてやるよ、くくっ」
ノックもなしにいきなり部屋に入ってきたその男を見て、鏡台の前に腰掛けてメイドたちに化粧直しされていたサラは露骨に嫌な顔をした。
加賀を見たメイドたちは一礼してそそくさと部屋を出て行く。
大聖堂で本日働くスタッフは全員加賀に雇われているので、己の分をきちんとわきまえているのだ。
サラは今日その男――加賀龍二と結婚する手はずになってはいるものの、まるで実感は湧かなかった。
そんなことよりも、監獄都市にいるアキラの安否の方がよっぽど気がかりなのである。
加賀はサラの側にやって来ると、ニヤニヤ顔で指を3本立てた。
「悪いニュースが3つばかりあるぜ。ん~どれから聞かせてやるかな……よし、まずはこれだ。おまえの仲間だったノームの僧侶、ギガオーサカのカジノで1000万稼いだんだってよ。それをおまえんちの借金に充てるつもりだったらしいぜ」
「ヤンが?」
そう聞かされてサラは懐かしいヤンの顔を思い出し、胸が一杯になった。
あの憎めないノームの小男は回復呪文でパーティを助けるだけでなく、サラに"ロード・オブ・ハルバード"のフリチョフと話をつけて紹介してくれたり、見えないところでも世話を焼いてくれていた。
それにしても1000万もの大金をいつも負けていたギャンブルで稼ぐとは、まさかである。
なんという運の良さだろうかとサラがヤンに思いを馳せていると、加賀が衝撃の言葉を口にした。
「ま、それが運の尽き。通り魔にあっさりと殺されちまったぜ。ホレ、これがその証拠だ」
加賀がポケットから取り出して鏡台の上に置いたのは、レンズも割れフレームも歪んだ壊れた丸眼鏡……それは間違いなくあの見慣れたヤンの物であった。
あまりのショックにサラが顔をひきつらせて叫ぶ。
「そ、そんな……ヤンが死んだなんて、ウソよ! もしもそうだとしても蘇生が……!」
「ウソじゃねーって。あ、そうそう蘇生な。俺様が特別に国連本部でその手配をしてやったんだけどさ、運悪く失敗しちまって消滅しやがったぜあの野郎。よっぽど今までの行いが悪かったんだろうなぁ? なんせ属性が悪だしな。くくっ、あーっはっはっは!」
高らかに笑う加賀を見てサラはハッとなった。
(まさか……この男は故意にヤンを消滅させたの!?)
悲しみと疑念と怒りの感情が渦を巻くサラに、加賀はニヤッと笑いながら指を2本立てる。
「悪いニュースその2な。ネオトーキョーにナントカドラゴンってのが現れて、おまえらとアングラデスで共闘したナントカいうパーティの……何だっけ? あー、ド忘れしたわ。『巫女みこツインテイル』のマナとヤヨイの名前しか出て来ないぜ。要はその『巫女みこツインテイル』のライブにいた全員、骨も残さず溶かされちまったとかって話だ。おっと勘違いすんなよ、俺様はこの件はノータッチだからな?」
途端にうっ、とサラが口元を押さえてうめく。
嫌悪している男の口から、連続で仲間や友人の死を聞かされるのは衝撃が大きすぎたのだ。
「おいおい大丈夫か我が妻よ、顔色が悪いぞ? くくっ、じゃあ次が最後の悪いニュースだ。これはちょっと衝撃が大きいかも知れないぜ?」
もうこれ以上の悪いニュースなどあるのだろうかと、サラは両手で体を抱きしめて思わず身構える。
「『ヘルハウンドの迷宮』送りになった囚人番号4771番ことアキラの生命反応が消滅した、と監獄都市の獄長から国連に連絡があったぜ。いやー俺様もまさかアイツがもう迷宮送りになってたとは、忙しかったから全然知らなくてさー。手違いってやつ? 悪い悪い。でもこれで昔の男のことはスッキリ忘れて式を進められるってもんだよな? あーっはっは!」
加賀からそう聞かされたサラはその場で吐いた。
そもそもサラが加賀との結婚を承諾したのはカルボーネ家の借金以上に、大事な人であるアキラに生きていて欲しいからであった。
アキラの命さえ無事なら自分はどうなっても構わない――生死を共にし、苦しい時も楽しい時も一緒に過ごしてきたサラにとって、それほどまでにアキラは大きな存在であったのだ。
そして密かに抱いていた最後の希望……もしかしたら望まぬ結婚を阻止するために、アキラが監獄都市から脱出して助けに来てくれるかもしれないという、その一縷の望みすら完全に絶たれてしまった。
「汚っ! 俺様にかかったらどうすんだよ。ったく、後でメイドにちゃんと掃除させとけよ。そうそう、いいニュースもあるんだぜ。国連での俺様の地盤も固まってきて、ローゼンバーグの婆さんの……」
抜け殻のように茫然自失状態となったサラ相手にひとしきり自慢話を終えると、加賀は笑いながら部屋を出て行った。
階下では花嫁の父、エルネスト・カルボーネが満面の笑みで一人の女性を迎えていた。
「あの世界に名だたる八仙堂グループのお嬢さんにお越し頂けるとは、まさに光栄の極みですよ! 結婚式にも箔が付くというものです。いや、それにしても惚れ惚れするほどお美しいですなー。うちのサラが霞んで見えますよ、わっはっは!」
Fカップはあろうかという巨乳のナイスバディ、胸元を大きく開けた黒いチャイナドレスの妖艶な美女の登場に会場中の男性陣の目が自然と注がれ、女性陣はそれを見てムッとした顔になる。
中国に拠点を置く世界各国に店舗を持つ漢方専門の薬局、それが八仙堂グループである。
この美女はその歴史も資産も加賀財閥よりもはるかに上であり、世界の富裕層で三指に入ると言われる八仙堂グループ現会長、李氏の曾孫であった。
付き合いのない加賀財閥やカルボーネ家の結婚式になど、招待されてもやって来る理由は本来ない。
この突然の来訪に花嫁の父は大層喜んだ。
美女がエルネストに少し照れた様子で微笑む。
「アイヤー、それは買い被りすぎですよー。ワタシ、サラさんとは面識ないですがネオトーキョーのお店で『バタフライ・ナイツ』さんとは少し縁がありますねー。この機会にサラさんともお話したいと思って今日は来ましたよー」
「おお! そうでしたか。それでしたら2階の奥の部屋におりますので、是非訪ねてやって下さい。冒険者の話で盛り上がれば、きっとサラも緊張がほぐれて喜ぶでしょう。いやー、私も昔冒険者だった頃を思い出しますな。わっはっは!」
上機嫌なエルネストに別れを告げ、美女が2階に向かうと一人の若い男と廊下ですれ違った。
すぐに美女はその男の素性に気付く。
(アイヤー、こいつが噂の加賀ですねー……いかにも軽薄そうで、嫌な感じがするですよー)
チラリと男の顔を美女が確認すると、何かの合図と勘違いしたのか加賀はすれ違いざまにニヤニヤ顔で美女の手をいきなり掴んだ。
「ヒューッ、イイ女じゃんあんた。俺様の愛人になるってのはどうよ? 近いうちに国連のトップになるんだぜ俺様。悪い話じゃねえだろ? ま、そのでかいオッパイで考えといてくれよ。あっはっは!」
そのままむぎゅっ、と胸を揉み逃げして笑う加賀の無礼な態度に、美女は司祭長と同じく殺意を抱いた。
ただひとつ司祭長と違ったのは、美女はそれを抑えるということをしなかったことだ。
こちらに背を向けて立ち去る加賀に、恐ろしい形相で美女が何事かを呟く。
「嘆きの邪霊よ霧深き冥府より来たりて禍々しき手で我が敵の魂を奪い苦しめよ<命奪魂呪掌>」
ダメージと稀に状態異常効果も与える、サイオニックの最上位闇属性攻撃呪文である。
美女は中立と悪の属性の者のみがなれる、思念の超能力者とも呼ばれる中級職サイオニック、それも最上位呪文をマスターした熟練の冒険者であったのだ。
一般人がそんな呪文をくらえば良くて瀕死の重傷、見事決まれば即死であろう。
『国際冒険者法』では冒険者が武器や魔法を用いて一般人を殺傷することや、地上での許可なき呪文の行使は厳しく禁じられている。
にも関わらず平気でそれを行うあたり、彼女も僧侶のヤンと同じく尋常な性格ではない。
『非合法な手段もバレなきゃいい。バレても屁理屈こねて何とかする』という型破りなタイプなのだ。
ところがである。
加賀はサイオニックの最強攻撃呪文をその体に受けても何の変化も見せずに、鼻歌交じりで去っていったのだ。
これには美女も本気で驚いた。
「アイヤー! ワタシの呪文が効かないですかー? おかしいですねー……何者よー、あの男?」
小首を傾げながら美女はサラの待つ部屋のドアを叩いた。