ヘルハウンドの迷宮 Easy その5
神秘の地底湖から通じる、自然が作り出した長い長い石段をひたすらに下っていく。
途中休憩を挟み、小一時間ほど仮眠を取ってなおも石段を下るが、一向に地獄の森へは辿り着かない。
始めの内は雑談しながら進んでいた僕たちも、今では皆黙々と足を進めるばかりだ。
この長い道中、僕は『レイクドラゴン』の語った話を思い返していた。
『それはまだワシが幼竜であった時代、別の星より持ち込まれた禁断の兵器。封じたい種族の名を認証させるだけで、この星にいるその種族の者全てを内部に時を止めたままの状態で閉じ込めるという恐ろしい兵器だ。ついこの間、イブリースと名乗る小僧が力、知恵、運にそれぞれ優れた三種族の小さき者どもをその中に封じた。三種族を宝珠より解き放つその方法はワシにも分からんがな』
この星にいるその種族の者全てを封じる禁断の兵器……監獄都市の獄長、ベルの父親が僕たちに回収を命じた宝珠がそんなに恐ろしいものだったなんて。
普通ならとても信じられない眉唾ものの話だが、語ったのが何万年も生きているという噂のドラゴンな以上、その話はきっと真実だ。
この世界のありとあらゆる機械を動かなくする災厄をもたらし、中世レベルまで文明を退化させたことで有名な『魔王イブリース』に封印されたという謎の三種族――。
もしも宝珠から解放してあげることが出来れば、きっと冒険者として人類の頼もしい味方になってくれるはず。
まあその解放手段はわからないし、宝珠も獄長に渡さないといけない約束なんだけど……。
でも、いつだったかヤンも酒の席で約束とは破るためにあるものアルね、とかなんとか言ってたっけ。
確かにその通りかも。
あのタマモズキアだって『番人が持つ3つの宝珠が汝を救う』と言ったけど、おとなしく獄長にそれを渡せとは言ってないし。
よし、そう考えるとなんだか万事全てがイージーに思えてきた。
きっと集めさえすればなんとかなるだろう、神様がそう言ったんだから間違いない。
ただひとつ気がかりなのは、僕たちより先行してここに潜っている『小さき黒い者ども』たちの存在だ。
自動回復能力を持つあの馬鹿でかい鳥の王を倒してのけるなんて、並の冒険者には絶対に無理な芸当だぞ。
そんな真似ができるのは……。
「ようやく終点が見えてきましたわ。こりゃ……ほんま地獄でっせ」
アルビアの声が僕の思考を中断する。
そこは一面見渡す限り真っ赤に染まり、そこら中でボコボコと泡が湧き上がり煮えたぎっていた。
とんでもない熱気が漂っており、思わず僕の額にも汗が滲む。
「地の底から噴出したマグマだべ。気ぃ付けるだよー、もしも足を踏み外したら一瞬でお陀仏になるべさ」
「ひええっ、マグマって1000度ぐらいの温度があるんだよね!? ドラゴンの火炎ブレスよりヤバイな……」
ボスとの戦闘を前にして、こんなとこで間抜けな死に方をするのだけは避けたいぞ。
シロに注意されるまでもなく、僕たちは慎重に慎重を重ねてマグマに侵されていない岩の間を縫うように進んでいく。
しばらく進むとついに地獄の森らしき場所が僕たちの目に飛び込んだ。
確かに多くの樹々が立ち並ぶ森であるのだが、その樹々の先端部分は業火に包まれ燃え上がっている。
なのに一向に燃え尽きる様子もない。
どういう原理なのかは分からないが、恐ろしくもあり幻想的でもある光景だ。
僕がぼーっと見惚れていると不意に何かが森の中を横切った。
「今の見た? 何か動いたようだけど……」
「例の地獄の森を闊歩する絶対王者『デビルユニコーン』かも知れねーな。どっちにしろこんなとこで生きてる生物だ。きっと相当なバケモノに違いねーぜ」
ベルの言葉に僕たちは黙って同意した。
ユニコーンといえばその角は究極の回復能力を誇ることで知られる神獣だ。
以前にロンファから買わされた、ユニコーンの角から抽出した驚異の回復力を与える精力剤『一角皇帝究醒液』はエナジードレインの力に打ち勝った凄い効果だったっけ。
この森に棲む『デビル』の名を冠したそいつがどんなユニコーンの亜種なのかは知らないけど、きっと正反対の力を秘めたろくでもないバケモノだろう。
角にはくれぐれも要注意、僕の冒険者としての知識とカンがそう告げている。
ブルルル……。
「あっちからでっせ!」
唐突に馬が鼻を鳴らすような声が聞こえ、僕たちは慎重に武器を構えて音のした方にへと向かう。
そこにいたのは、凶暴な野生の牛型モンスター『グレーターオックス』の死体の山の上で、グチャグチャとその死肉を貪る1頭の黒馬だった。
その額には銀色の長いたてがみの間から、ドリルのように渦巻いた大きな角が生えている。
悠然と僕たちを見下ろして食事をしていた黒馬だったが、突然大きく後方へとジャンプをした。
「えっ、逃げた?」
僕がポカーンと呆気に取られていると、ベルが指先を前方へと伸ばす。
「いや。どうやら違うよーだぜ。見ろ!」
その指先を見ると、まだ生きている小さな仔牛が死体の山から這い出て懸命に逃げ出そうとしていた。
グサッ。
『デビルユニコーン』は無慈悲にもその大きな角で仔牛を背後から突き上げるように一瞬で絶命させ、歯で食い千切ると美味そうに食べ始める。
グチャ、グチャ。
「もしかして今がチャンスだったりする? 食事に気を取られて僕たちのことがまるで眼中にないみたいだ」
チャンスは決して逃さない男、それが僕である。
そうと決めると僕は素早く左手を後ろに回し、右手を前にして指を前から3本立て、精神を研ぎ澄ませる。
そして必殺の言葉を高らかに叫んだ。
「決めてやる! <ブレーメンドライブシュート>ぉぉぉッ!!」
バチバチと雷を纏った僕の右足が猛烈な勢いで大地を蹴り、その反動で一気に空中を駆け抜け黒馬の頭上へと移動する。
黒馬は食事に夢中なのか振り向く気配もない、これはもらった!
僕はその勢いのままに腰のプリズンソードを抜き放つ。
「血の花を咲かせてやる! <青き薔薇の崩壊>ッ!」
「いけまっせアキラはん!」
アルビアが快哉を叫び、僕が勝利を確信した次の瞬間――。
ヒヒィィィーーン!
突然いななきと共に前脚を勢い良く起こした黒馬は、僕の方を見もせずに正確に後方へと首を仰け反らしてきた。
しまった、右でも左でもなくまっすぐにそのモーションできたか!!
<青き薔薇の崩壊>が描く剣の軌跡に、黒馬の額にあるその大きな角がまともにぶつかる。
バキィィーーーーン!
「ぐふっ……!」
その角はプリズンソードを粉々に打ち砕いただけに留まらず、僕の左脇腹を思いっきり貫通して抉った。
とっさの判断でわずかに体をスライドさせたが、あのままなら角はきっと心臓に到達していただろう。
おかげで即死こそ免れはしたものの、ダメージは相当に大きい。
しかも黒馬の角は僕の左脇腹に突き刺さったまま抜けない!
「アキラっ!? ……バランシャー一族秘剣、<グレイトフル・ハーヴェスト>!」
バシュッ!
「ぐわああっ!!」
ポーリーンが赤き魔剣から放った鋭い衝撃波を、『デビルユニコーン』はあろうことか僕を盾にしてノーダメージで防いだ。
き、効くなあの技は……。
おかげで僕は一気に瀕死の重傷、今にも意識が飛びそうになる。
かなりマズすぎる展開だぞ!
「こらあきまへん、アキラはんはすぐに手当てせんと助かりまへんで!」
「どうするだ? ここもまだ呪文無効化が効いてるからおらの回復呪文は使えないだよー」
焦りの色を浮かべるアルビアとシロに、ベルが威勢良くギターを握り締めつつ叫ぶ。
「任せな! アチシの演奏でこのバケモノの息の根をすぐに止めてやるっつーの! 聞き惚れろアチシの十八番、<破滅の交響曲>」
ベルが紫色の三角形のピックを、炎の模様が描かれた名器『ファイヤーギルド』の弦に振り下ろした。
ギュリィーーーン! ギュルギュルギュゥーーーーン!
耳障りな破滅的なサウンドが『デビルユニコーン』に向けて放たれる。
だが――。
対象の体の自由を奪い継続ダメージを与え続けるはずの演奏効果をまるで意に介さず、黒馬は先程の仔牛の死体をひとかじりすると、けたたましく蹄を地面にこすり始めた。
「ヤベーな……来るぜ!」
僕の体を角にぶっ刺したまま、『デビルユニコーン』は仲間たちに向けて猛烈な勢いで突進し始めた。