キング・クリムゾン その2
それはまさに一瞬の出来事だった。
都市防衛機構の屋上部分が真紅のドラゴンの吐いた紅炎に包まれたと思った次の瞬間、下の階にある本部防衛対策室の天井部分まで完全に消滅していた。
炎のブレスで燃えたという生ぬるいレベルではなく、溶かし尽くしたと言うべき惨状である。
モンスターによる万一の襲来を想定し、最後の砦として建造された都市防衛機構本部の鉄骨部分には、ジャイアントですら砕くことは不可能だと定評のある神秘の金属、オリハルコンが使われている。
それがドロドロに溶かされ鉄骨が剥き出しとなっており、今の一撃の恐ろしさを物語る。
あれだけたくさんいた観客たちも、誰一人として遺体すら残らない有様だ。
唯一運良く直撃を免れたのか、持ち主を失った羊皮紙のような物がひらひらと宙を舞っていたが、見る間に塵となり風に流されていった。
数あるモンスターの種族ごとに王――種族を束ねる別格のキングが存在するように、この真紅のドラゴンもクリムゾンドラゴン種の王である。
眷属のクリムゾンドラゴンですら迷宮外での報告が数度あったのみで、非常に希少で強力な伝説級の要注意モンスターだ。
当然キングのその巨大過ぎる体格はそこらの迷宮程度には到底収まらず、魔族たちもこの強力過ぎる存在を契約・召喚する程の力は持っていなかった。
キング・クリムゾンドラゴンはぽっかりと大穴の空いた建物に視線を向けると悠然と彼方へと飛び去っていく――。
そのあまりの出来事に、遠くで見ていた人々は悲鳴すら上げることもできなかった。
「犠牲者の数はおよそ300名……正確な数はわかりません。その中にはこのネオトーキョー都市防衛機構本部主任であるリュー氏も含まれます……」
生き残った兵士が青ざめた顔で念導体通信を利用した遠く離れた相手との会話が可能な『念話』、それの携帯型ではなく固定型の念導会話送受信装置にて国連本部へと連絡をしている。
脅威であるキング・クリムゾンドラゴンはとっくにどこかへと飛び去り、遺体の収容や死者の蘇生をしようにも文字通り何も残らなかったので、もう打つ手は彼らには残されていなかった。
彼らが今唯一望むのは国連本部による真紅の竜の討伐、世界三大冒険者級の凄腕冒険者たちを動員しての報復である。
「はっ……? 今なんと……? 『脅威なし、対策は不要と判断』ですと? 馬鹿を言うな! あれだけの人数が一瞬でやられたんだぞ!? ……もしもし、もしもし! くっ……」
一方的に念話を切られた兵士の顔が紅潮し、その全身を震わせながら彼は己の拳を床に叩きつけた。
その夜、ウィザードヴィジョンに流れたいくつかの国際ニュースを眺めながらドラコンの男は満足そうにワインで喉を潤した。
「ふむ……歴代の魔王も契約すること叶わじ、伝説のキング・クリムゾンドラゴンの使役にも無事成功したか。あれが忠実に命令に従うかどうかは疑問だったがな。せっかく手に入れたポイントをごっそりと使ってしまったのは痛いが、これでもう厄介な巫女は二度とこの世界には現れはすまい。中華殺技団の連中も例の僧侶をちゃんと片付けたようで何よりよ。後は残るカルボーネ家の未使用宝珠さえ堂々と手に入れてしまえばもう何者も私には手が出せぬ、唯一にして至高の存在となるのだ。ふふ、今宵は酒が一段と美味く感じるぞ。やはりこの私、『超次元覇王ドラッケン』こそが真実の王者よ……」
当初は自分に敵対する他種族への強大な切り札と考えていた種族封印の宝珠であったが、魔界にある幻想宮殿の最奥にて復活の時を待ち望む『魔王イブリース』の繭から膨大な魔力とポイントを手に入れた今の彼にとっては、自分に宝珠が使われることの危険の方が懸念材料であった。
最もそれに対抗する手段も既に考えていたのだが。
そんなほくそ笑む男のすぐ背後で、美しいメイドの女は虚ろな表情のまま立ち尽くしていた。
その目線の先はウィザードヴィジョンに注がれている。
ニュースは『国連に抗議の声を唱える冒険者』という話題で、金色のポニーテールが凛々しいエルフの女性が眉間に皺を寄せながらインタビューに応えていた。
「私はもう国連の今のやり方にこれ以上付いていけない。冒険者、いや一人の侍として断固異を唱えさせてもらう。かつて私の師が言っていた――」
プチッ、とその画面が不意に消える。
「つまらんニュースにもう興味はない。今宵の私は気分が良い。久々に可愛がってやろう、のうエクレールよ」
ドラコンの男が鋭い鉤爪を女の柔肌の敏感な部分へと伸ばすと、雷に打たれたようにビクッと彼女の体が震えた。
「わ、わたしは……わたしの……」
プルプルと小刻みにその指先は震え、自らの腰にある刀へと伸ばしかけているようにも見える。
メイドのその様子を見て男の顔に衝撃が走った。
(『不死』と化した下僕が己の意思で喋っただと? 馬鹿な、あり得ん。だが……大事を取って単純命令以外で刺激を与えるべきではないな)
男は内心そう決断すると鋭い声で命令を下す。
「下がれ! エクレール」
するとメイドは一礼して何事もなかったかのように静かに部屋を出ていった。
「コマンドが無効となった訳ではない、か。フーッ……あやつにはまだまだ働いてもらわねばならぬ。世の冒険者どもの中でもとびきりの逸材で作った、私の自慢の『不死侍』だからな」
そう言って懐から豪華なハンカチを取り出すと、ドラコンの男はゴツゴツした額に滲み出た冷や汗を拭った。