ヘルハウンドの迷宮 Easy その3
「おーい、はよ降りて来てやー。日が暮れてしまいまっせ~」
崖っぷちの岩棚からアルビアの呑気な声が響く。
そう言われれば確かに地上から届く光もすっかり弱々しくなり、陰ってきたように見える。
やるならまだ明るい今のうちに、この崖を降りてしまうしかないだろう。
一歩間違えば即死亡な恐ろしい話だけどね。
「そんただこと言ってもアルビアみたいにはおらは動けないだよー」
僧侶のシロは困り顔で子犬のようにクーン、とか細い声を出す。
その様子が何とも愛おしいというか……守ってあげたくなる系の女子ーって感じがする。
「アチシもアルビアと同じバードだから多少の盗賊スキルの心得はあるけどよ、あそこまでは降りられねーな。10mぐらいならイケねーこともねーが、さすがに30mは無理だぜ」
ベルが恐る恐る横穴への入り口があるせり出した岩棚を崖っぷちから覗き込む。
「わかりました。ポーリーンにしっかり掴まって下さい。怪我をせずに降りられるように何とかしてみます」
そう言ってポーリーンがむちっとした背中とお尻を僕たちに突き出した。
え、一体何する気だこの人?
「どうしたのです? 遠慮せずにしっかりと掴まって下さい」
屈んだ姿勢のまま、ミニスカートからむっちりとした太ももをはみ出させて小首を傾げるオークの美少女。
「って、まさかアチシら三人を背負ってここからあそこまでダイブする気かよ? さっきアルビアがやったように、うまく落下の勢いを殺さない限りただの自殺行為だぜ、ポーリーン」
「大丈夫です。ポーリーンには考えがあります」
止めようとするベルだったがポーリーンは鼻息も荒く、ピンク色のほっぺを膨らませて自信満々にそう応えた。
「そっか、何か手があるみたいだね。僕はそれに乗るよ」
こういう時は仲間を信じるのがベストだと判断した僕は、そう仲間たちに告げるとそっと後ろからポーリーンの肩に手を回す。
むにゅっ。
あっ。
何か、物凄く柔らかいものに手が当たってしまったぞ?
決してわざとではないんだけど……。
恐る恐るそーっとポーリーンの横顔を窺ってみるけど、幸い怒ってはいないようだったので僕はホッと胸を撫で下ろす。
「……ベルとシロも早くアキラのように掴まって下さい」
「しゃーねー。腹をくくってオメーを信じてみるぜ!」
頭を掻きながらベルが僕の右隣からグイッとしがみ付くと、シロが左から同じように身を寄せてきた。
女の子たちのトリプルサンドイッチに挟まれ、嬉しいようなそれどころではないような、フクザツな心境である。
「それでは行きます――はあっ!」
僕たち三人を背負ったまま、ポーリーンは何の躊躇もなく一気に大穴へと身を躍らせた。
あっという間に岩棚が僕たちの眼前へと近づいてくる。
いけない、この速度で激突すれば確実にミンチになるぞ!
激突までもはや数秒だ!
その時、凛とした声で僕たちを背負っている美少女が叫んだ。
「<グレイトフル・ハーヴェスト>!!!」
ポーリーンが落下しながら赤い魔剣を抜き放つ。
その瞬間ぶわっ、という物凄い衝撃波が発生し、その体が一瞬空中に停止する。
そして僕たちは無傷でアルビアの立つ岩棚へと着地成功したのだった。
「ビ、ビビったぜ……マジ死ぬかと思ったっつーの!」
「おらは最初から目をつぶってただよー」
ベルとシロがそう感想を呟きながら、ポーリーンのむちっとした背中から降りる。
なるほど、衝撃系の技はこういう使い道もあるのか……なかなか参考になるな。
感心しつつポーリーンを見ていると、彼女はなんとも言えない冷ややかな表情で僕を見つめ返してきた。
うっ……さっきの予期せぬお触りに実はちょっと怒ってるのかな。
「やっとこさ降りて来たんでっか。ここが例の神秘の地底湖に続く横穴でっせ。なんや、入り口からもうヒンヤリしとりまんなぁ」
アルビアの言葉に僕たちがそちらを向くと、ピチョンピチョンと水の滴る音が響く真っ暗な洞窟が口を開けて待っていた。
一歩足を踏み入れた僕たちは奇妙な違和感を覚えた。
「……なんや一瞬わての毛がぞぞっと逆立ちましたで。シロはん、灯りの呪文を唱えてもらえまっか?」
「お安い御用だべ。光の精霊よ天より来たりてその大いなる光の輪で暗き道を照らし給え<大照輪>」
シロが小ぶりの杖を掲げて呪文を詠唱したが何も変化は現れなかった。
「おかしいべ。おらが呪文を失敗するなんて初めてだべ。まさかここは……」
シロの様子を見てベルが舌打ちをした。
「チッ、呪文無効化地帯かよ……ヤベーな。ここじゃ呪文は一切使えねーぜ」
呪文無効化地帯……アングラデス四層でもあったあれか。
敵を倒すだけならどんな敵が相手でもやられる前にやる自信が今の僕にはあるけど、この暗さだけはいかんともしがたい。
「暗いなぁ。これじゃ進めないよ。そうだ、灯りの呪文が駄目ならたいまつだよ! アルビア持ってる?」
僕が堀田商店で買った、というか抱き合わせで買わされた愛用のたいまつは、残念ながらここに収監された際に没収されている。
「そないなモンあるかいな。わてらの持ちモン言うたら、この囚人用のけったくそ悪い革鎧と武器だけでっせ。姐さんたちはまた別みたいやけど」
そう言ってフェルパーのバードはチラリと女性陣に視線を送る。
「アチシらは装備を没収こそされなかったが、生憎とたいまつなんざ持ちあわせてねーな。大体あんな時代遅れで荷物にしかならない物、今時持ち歩いてる冒険者なんていねーっつーの。なあシロ、ポーリーン?」
「時代遅れで悪かったべな。おらは無効化地帯や呪文切れに備えてちゃーんと用意してるだよ、たいまつ。お爺ちゃまが言ってたべ。『迷宮で最も注意すべきは暗がりからのモンスターの奇襲。たいまつを切らしたばかりに命を落とす冒険者を何人も見て来た』って」
シロはまるで伝説の武器でも披露するかのように、背中の袋から組み立て式のたいまつを取り出した。
「おおっ、準備がいい!」
僕が褒めると彼女は小さな体を精一杯のけ反らせて胸を張った。
それにしても今の言葉、堀田のアカリさんも同じようなセリフを確か言っていたな。
あのドワーフのお爺さんからの受け売りだったのかな?
昔の人はありがたい名言を残してくれるもんだね、ホント。
それからシロのたいまつパワーで真っ暗な洞窟を照らしながら僕たちはずんずん進んだ。
途中、洞窟の脇にある水辺から水棲系のモンスターが何回か現れたけど、僕たちの、というか僕の敵ではなかった。
マーマン、白っぽいマーマンの亜種、蟹人間、でっかいセイウチみたいなヤツ――。
どれもこれも僕の必殺技<青き薔薇の崩壊>で瞬殺である。
でも一度、かなり離れた岩場から鳥の下半身を持つ美女モンスター、セイレーンが歌声で魅了してきた時はヤバかった。
男である僕とアルビアは魅了されてしまって、誘い込まれるまま水の中にジャブジャブと入ってったらしいんだよね。
その辺さっぱり記憶に無いんだけど。
ベルが自慢のギターによる演奏で対抗して、その歌声を掻き消し倒してくれたと後から聞いたよ。
いくら強い技があるからといって増長してはいけないなと、僕はちょっぴり反省した。
やっぱり迷宮での冒険は仲間との連携が一番大事だ。
持つべきものはパーティの仲間だよ、うん。
そうやって洞窟内を進んでいった僕たちの前に、ついに神秘の地底湖がその姿を現した。
『娯楽都市ギガオーサカ』では深夜にも関わらず、ギガオーサカ市警の者たちが慌ただしく動いていた。
コートの男が安物のタバコに火をつけながら淡々と語る。
「現場には飛び散った血痕と折れた歯、ガイシャの所持品と思われる眼鏡。そして近くのギガオーサカ湾からは人骨の一部が発見された」
「殺し、ですか?」
ベテランの刑事のその言葉に若い警官は思わずゴクリと息を飲む。
モンスターが蔓延するこの世界において、人間同士の殺し合いは国連でも固く禁じられており、滅多なことでは殺人は起こらない。
万一起きたところで蘇生呪文というものがあるため、捕まって厳しく罰せられるだけ殺し損というのもある。
中華殺技団のような金次第で何でもする狂った殺人集団ならいざ知らず、だ。
「ガイシャの身元はノームの30代男性冒険者、『バタフライ・ナイツ』に所属している悪の僧侶ヤン。カジノで大儲けしたのを聞きつけた、ならず者による犯行だろう」
「『ホンマVIPパレス』で1000万勝ったあのヤンですか!? わかりました、大至急市内全域に包囲網を敷き検問を行います! 教会へも蘇生の手配を」
敬礼して駆け出そうとする若い警官をベテラン刑事がタバコを咥えたまま引き止める。
「いや。国連から捜査の打ち切りと箝口令が出た。俺たちの仕事はここまでだ。ガイシャの遺体は部位が少なく蘇生成功確率が低いため、すぐにスイスの国連本部へと送られるそうだ。以上、解散」
納得がいかないという顔の若い警官に背を向けると、ベテラン刑事はコートをひるがえしてさっさとパト馬車へと乗り込んだ。
「……俺だって納得はいかん。市内に中華殺技団の連中が潜伏しているのが分かってるのに手も出せんとはな。だが上が決めた以上どんなに理不尽な命令でも従うしかない。『命令に従わない場合ギガオーサカ市警を解体する』だと……あの加賀とかいうクソッタレめ!」
刑事は苦虫を噛み潰したような顔でガン、とブリキで出来たパト馬車の側板を形が変わるほどに思いっきり蹴った。