龍舞都市ネオリューキュー
日本の最南端に浮かぶ、温暖な気候の美しい海に囲まれた島。
そこに『龍舞都市ネオリューキュー』は存在する。
大空に舞う龍を模した、都市を囲む華やかな極彩色の城壁は低く大人の背丈程度しかないが、ネオトーキョーのそれとは違い防衛を目的としてはいない。
ただ訪れた旅人たちの目を楽しませる目的で作られているのだ。
そのため、ここネオリューキュー近辺に存在する『タマグスクの迷宮』に恐るべき魔王が現れたという情報は、都市の人々を心底震え上がらせた。
「アキサミヨー! 迷宮に魔王が出たんだっておばあ! 隣の具志堅さんも金城さんもとっくにスーパーレールウェイに乗って内地へ行ったんよ。魔王がきたらあんな壁なんの役にも立たんよ、うちも早く逃げないと!」
縁側でシークヮーサーを剥いていたしわくちゃの老婆に家族と思われる妙齢の女性がそう声をかけながら、血相を変えて風呂敷を広げるとせっせと荷物をまとめ始める。
老婆はシークヮーサーを一房口の中に放り込み種を吐き出すと、遠い昔を思い出すように目を閉じて語りだした。
「魔王はおばあの若い頃にも世界中の機械を止めて、やれ世界の終わりだなんだと大騒ぎになったさー。けれど結局冒険者に倒されたさー。その後も何度も新しい魔王が迷宮に出てきたけども、みんな冒険者に倒されてるさー。なんくるないさー」
慌てる女性を優しい声で落ち着かせ、再び黙々と指を動かして超すっぱい柑橘の皮を剥き続ける老婆。
さすがあのイブリースの災厄を生で経験した世代は落ち着きが違う。
「じゃあ今現れた魔王は一体いつ誰が倒してくれるのよー? ネオリューキューが壊滅させられてからじゃあ遅いよー!」
すっかり顔をひきつらせ恐怖に陥った女性を前に、やれやれといった表情で老婆は手を止めて振り返った。
「これは本当は言っちゃならねえ口止めされた話だからオフレコで頼むさー。役所で聞いた話じゃあ、世界三大冒険者の、ほらナントカ言う……イケメンの」
「えっカルロ王子様? 何々どうしたの?」
興味津々で老婆の言葉に食いつく女性。
世の年頃の女性たちにとって最大の関心事は、イタリアが誇る天才美男子『微笑み王子』ことビショップのカルロのことだといっても過言ではない。
「その王子様が『タマグスクの迷宮』に国連から魔王討伐のため派遣されたようなのさー。今頃は迷宮の中で魔王と戦ってるんじゃないかねー」
「えええええ!! うそ、ホントなの!? ササ、サイン……サイン貰って来なきゃ!! おばあ、私ちょっと迷宮で出待ちしてくるから後よろしくね!」
さっきまで魔王に怯えていた女性はそれを聞くなりズダダダ、と物凄い勢いで家を飛び出して行った。
老婆がオフレコでと言ったにも関わらず、それを境に『タマグスクの迷宮』入り口付近はうら若い女性たちによるカルロの出待ちで大混雑状態となった。
「な、なんじゃあこりゃあ……?」
豹頭の侍は迷宮の前にあふれかえる色紙やうちわを各自手にした、少女と呼ぶにはもう無理のある年頃の女性たちの集団を見て目を丸くした。
その肩に毛むくじゃらの侍がポンと手を置く。
「むふふふヒョウマ殿。これはきっと『アングラデスの迷宮』の<攻略者>であるワガハイたちが、魔王討伐にやって来たという噂をどこかから聞きつけ、地元の女子たちが熱烈歓迎して待っていたに違いないのでーす。おーい、皆さんお待ちかねのヒーローはここでありますぞー!」
そう言ってモップのような毛の下に満面の笑みを浮かべ、嬉しそうにブンブンと手を振り女性たちの輪に入っていくムクシ。
すると彼女たちは一斉にきつい視線でムクシを睨むと舌打ちをした。
「アンタ誰、邪魔っ!」
ドカッ、ポカッ、バシッ。
いつまで経っても現れる気配のないカルロに、気の立っていた女性たちから容赦無い蹴りや平手打ちが飛んできて、哀れムクシは袋叩きにされてしまった。
「う、うう……。ネオリューキューの女子は乱暴なのでありまーす……」
そんなムークの侍の情けない有様を見て、立派なプレートメイルで武装したイケメンのロードが思わず天を仰いだ。
「何をやってるんだムック。彼女たちが手にしているアレをよく見たまえ、『カルロ命』と書かれてあるだろう? 我々より先にあのカルロ王子が来ているんだよ」
這いずりながら脱出したムクシに、リーダーであるロードのジェラルドが冷静にうちわを指差すが、その顔は少し歯がゆそうである。
無理もないだろう、せっかく魔王出現の新情報が入ったばかりのネオリューキューまでわざわざ来たのに、よりによって世界三大冒険者であるカルロに先を越されていたのだから。
ジェラルドたちよりも先に魔王を倒してしまうのが目に見えている。
「モンデュー、せっかく『魔王ミズキ』を倒しにこんな暑い場所まで来たのに残念ね。今から潜ってもきっとカルロ王子に魔王が倒されちゃってて、無駄足になるんじゃないかしら? ああ、それにしてもここは暑いわ……」
美しいエルフの女魔術師はそう言ってトレードマークの真っ赤なフード付きローブを思いっきりはだけて、そのエロチックな肢体を大胆にも露わにした。
ヒョウマとムクシの侍コンビは、エマの雪のように白い豊満な肉体に釘付けである。
「カルロか……彼と話さえ出来たら何とかなるかもしれないな……」
美形のエルフのビショップがぽつりとそう口にすると、背の高い黒髪の美女が眉をひそめた。
「話って、一体何を言っているのですかトニーノ? 相手はわたくしたちとは実力も立場もかけ離れた、あのカルロ王子様ですよ? そんな簡単にお話が出来るなどと思ってはいけません。次期法王との呼び声も高いお方にそのような考えは不敬の極みです、さあわたくしと一緒に神にお祈りして悔い改めましょう」
長々と説法のようなセリフを口にして十字を切る女僧侶のヴェロニカを前に、トニーノは短めの金髪を片手でかきあげて苦笑した。
「おいおい勘弁してくれよヴェロニカ。それより、僕からみんなに伝えなければならないことがあるんだが。聞いてもらえるかい?」
ビショップのトニーノが仲間たちに真面目な顔で語りかけた、その時だった。
「メンソーレ、内地の冒険者さァん」
『イグナシオ・ワルツ』の面々に背後からそう話しかけて来たのは、長煙管を手に煙草をふかす派手な着物姿の女だった。
側には物々しい様子の数人の男女が控えている。
「にゃははは! ハイサーイ♪」
その中の一人、いわくありげな弓を背にした三毛猫を思わせる顔つきのフェルパーの少女が愛嬌たっぷり、招き猫のようにジェラルドたちへと手を振る。
他の男女は微動だにしない。
その様子から察するに、どうやらここネオリューキューを拠点に活動している冒険者のパーティだと思われた。
派手な着物姿の女は大きな煙を吐くと、長煙管を逆さにして指先でトントンと灰を地面に落とす。
「王子さンがミズキ討伐に潜ってから今日で5日目。あの世界三大冒険者だってンで、今まで黙って華を持たせてやってたが。他の冒険者が横入りして潜るってンなら話は別だァね。あたいらより格下のよそ者に手柄を持って行かれちゃァ、立場がないンでねェ」
(なに? あの世界最強冒険者の一角たるカルロ王子が潜ってもう5日も経っているのか? 長い、長すぎるな……まさか魔王に返り討ちにあったのでは? だとするとミズキは我々の実力では……)
ジェラルドが顎に手をやり黙りこくっていると、しびれを切らしたのか着物姿の女性が二択を迫った。
「おとなしくあたいらの後まで順番を待つか。それともこのネオリューキュー最強パーティ『ハートブレイカーズ』と今すぐバトルで白黒つけるか。好きな方を選ぶンだねェ」
相手のあまりに勝手な物言いに、パーティでただ一人悪属性であるエマは両手をくびれた腰に当ててぷんぷんと怒る。
「向こうはああ言ってますけど、どうするんですのムッシュ・ジェラルド? ワタクシ、こう見えてやられたら徹底的にやり返す主義でしてよ!」
その言葉にヒョウマも大いに頷いて、愛刀であるグレートカネヒラとハネトラの柄に手をやった。
「わしも『バタフライ・ナイツ』から出張しとる身じゃき勝手は言えんが、心情としちゃ挑まれた勝負は受けてやりたいぜよ。どうやら向こうにも侍がおるようじゃ」
ヒョウマは相手のパーティにいる、刀を腰に下げポニーテールに種族特徴の長い耳を出した、エルフの女侍に向けて好戦的な視線を投げかける。
ヒョウマと目が合うと女侍は微笑を浮かべ軽く会釈してきた。
「むむむ、あの女侍はかなり出来るようですぞ! ヒョウマ殿ではおそらく荷が重いのでーす。ここはヒョウマ殿より格上の、このムクシの出番なのでありまーす! むふふ」
ヒョウマと同じ師の下で腕を磨いたムクシも張り合うように愛刀セブントルソーの大きな鞘を握りしめる。
「ああ神様……敬虔な神の使徒であるわたくしたちに勝負を挑むとはなんと愚かで罰当たりな者たちなのでしょう。ジェラルド、ここはあの者たちに徹底的に神罰を下すべきかと思います。あなたの得意とする<ペリ・ソーレ・フィナーレ・マーレ>を受ければ、きっと安らかに天国へと旅立てることでしょう」
暗に『ぶっ殺せ』とでも言いたげな僧侶のヴェロニカの言葉に、交戦を主張していたエマとヒョウマも若干引いたようで、何とも言えない顔つきになる。
(この人、いつもこうなの? 教会の僧侶なのに物騒な子ね)
ヒソヒソとエマがトニーノに耳打ちをすると、美形のエルフの青年はおどけて首をすくめた。
「何はともあれ、順番を譲るにしろ戦うにしろ、僕は君の下す決断に従うよ。我らがリーダー」
親友のトニーノにそう言われ、ジェラルドは決意した顔で相手パーティの着物姿の女に視線を向けると愛剣であるクシュナートの剣を抜き放ち、切っ先を堂々と天高く掲げた。
「いいだろう。『タマグスクの迷宮』第一層で勝負だ『ハートブレイカーズ』とやら。我ら『イグナシオ・ワルツ』が崇高なる善のマインドの下、正々堂々戦ってやろうじゃないか!」
ネオリューキューの照りつける太陽を受けて、先端から大きな刃がドリルのように渦巻く不思議な形状をしたクシュナートの剣の刃がぎらりと輝く。
「きゃあ~!」
王子の出待ちをしていた女性たちは、ジェラルドのその物騒な様子に蜘蛛の子を散らすよう一目散に逃げていった。