ヤンの本気
日本最大の娯楽都市、その名はギガオーサカ。
億万長者を夢見る海千山千のギャンブラーたちが、ヒリつくような勝負を求めてここへ訪れる。
もっともそのようなギャンブラーたちの多くは夢破れ、帰国する金すら失いスッテンテンの丸裸にされてしまうのだが……。
そんな敗者たちも気のいいギガオーサカ人の仲間に入れてもらい、食事や寝床の世話をされるうちに居心地が良くなり、この地に定住してしまうのだ。
この懐の広さもギガオーサカという都市の魅力のひとつだろう。
昨日、ギガオーサカで最高レートを誇る伝説のカジノ<ホンマVIPパレス>にてまさかのドレスコード制限で入店を断られた男、その名はヤン。
ゴミでも捨てるようにほっぽり出された彼は、屋台で飲んでいたギガオーサカ人たちの仲間に入れてもらい、大歓迎されて楽しい夜を過ごした。
朝になり路地裏で目覚めたヤンは、布団代わりに掛けていたダンボールから這い出ると、当初の目的を思い出してすぐさま行動に出た。
<ホンマVIPパレス>での勝負が出来なかった彼が向かった先は、ギガオーサカでも庶民の遊び場として知られる賭博バー<ナニワ亭>である。
ちょっとしたダンジョンのような構造の『プラム地下街』を下りてすぐの店の扉を、ヤンは道場破りでもするかのように勢い良くバン、と開け放つ。
「なんやなんや?」
賭け事に興じていたギガオーサカ人たちが一斉に注目すると、ヤンは大胆不敵な顔で丸眼鏡を光らせた。
「この"賭博請負人"と呼ばれたヤンさんと、大勝負をする勇気ある挑戦者はいないアルか? 麻雀、チンチロ、オイチョカブ、どんな勝負も受けて立つね。ヤンさん、ギャンブルの腕とアッチの方は滅法ビンビンに立つとネオトーキョーでも評判の男よ、ウシャシャシャ!」
この明らかなヨソ者の挑発に、常連のだるまのような髭の男が手にしたエールをぐいっと飲み干し、凄まじい笑顔で応じた。
「朝っぱらから随分といちびっとるやないけぇ、ちっこいオッサン。ほなワイとチンチロリンで勝負しようや」
ダイスを3つ、だるま髭の男がどこからか手際よくスッと取り出して手の中でカチャカチャと弄ぶ。
「この店は一見さんには優しくがモットーやけどなぁ、そこまでいちびっとるんやったら手加減はいらんやろ? <ナニワ亭>のおそろしさ、ワイが骨身に思い知らせたるでぇ……」
ヤンはだるま髭の男の向かいの席にドスンと腰を下ろし、ダイスを転がすドンブリを爪でリズミカルに弾いた。
「いい度胸ね。そっちの種銭が続く限り何回戦でもヤンさん受けて立つアルよ」
「アホ抜かせ。すぐにタマ切れにさせて泣きを見せたるわ!」
他の客たちも面白い勝負が始まりそうだと、わらわらと集まってきて二人を囲った。
結果としてだるま髭の男が全財産を吐き出すのにかかった時間はたったの15分だった。
「な、なんやて……このワイが、負けた?」
青い顔でガックリとうなだれた常連のだるま髭の男の仇を取ろうと、次々に客たちからヤンへ勝負の申し込みが殺到する。
「ほな次はワシや!」
「イヤイヤ、ここは<ナニワ亭>でも生粋の勝負師のジブンの出番やがな」
ヤンは麻雀、ダイス、カードとあらゆるジャンルの勝負を節操無く<ナニワ亭>の客たちと繰り広げたが、その勝率は常に7割をキープしていた。
凄まじい速度で高レートの勝負でどんどん金を稼いでいき、昼過ぎにはヤンの所持金は入店時の数百倍に膨れ上がっていたのだ。
「ウシャシャシャ! どうね、両の眼でしっかりと見たアルか? これがネオトーキョー、いやさ上海伝説の賭博師"必勝請負人"ヤンさんの真の実力よ。おいウェイター、勝者のヤンさんから運のおすそ分けね。全員に酒を一杯ずつオゴってやるアルよ」
ヤンの言葉で遠巻きに見ていた金のない客たちから歓声が上がった。
「おお! なんや、エエとこあるやんけオッサン」
「ほなゴチになろか。小さいオッサンに乾杯や!」
「ほっほ、景気のいいギャンブラーがいるようだの。どれ、わしも有り難くご馳走になるとしようか」
気の良さそうな雰囲気を醸し出す老人が運ばれてきたエールに手を伸ばしかけた瞬間、突然右手で自らの胸を押さえて苦しみ出した。
「……ウッ!」
老人は苦悶の表情を浮かべ、椅子から床に転げ落ちて激しい痙攣を起こす。
白熱した勝負とタダ酒に大賑わいの店内だったが、この突然の緊急事態に場は一気に静まり返った。
「ウォン様!? お薬を今……いけない、もうストックが切れてる! この近くに病院……いいえ、間に合わないわ。ああ、一体どうしたら……そうだわ! どなたかお客様の中にドクターはおられませんか!?」
老人の向かいに座っていた黒髪のふくよかな女性がヒステリックに叫んで客たちの顔を見回すが、まさかこんな明るい時間から賭博バーに来ているような客に医者などいようはずもなかった。
ただ一人、上海でモグリの医者をやっていた丸眼鏡の僧侶の男を除いて。
「急病アルか。どうしたね?」
堂々たる態度でやって来たヤンは、しゃがみ込むと手慣れた様子で倒れたまま動かない老人の体に手を置いて調べていく。
「よかった、ドクターですか! 彼は心臓病なんです。もう高齢で手術には耐えられないと主治医にも言われて『ティルトグリセリン』を服用していたのですが、ちょうど切らしてしまって……」
おろおろとした顔で老人とヤンの顔を交互に見る女性。
ヤンは女性の背中と、どさくさに紛れて大きな尻までポンポンと優しく叩く。
その冷静沈着っぷりが彼女には頼もしく映った。
「心配ないアルよ。とっくに"心肺"停止してるね。もう薬も医者も役に立たない、手遅れ処置なし、死人に口なしよ。それじゃ、邪魔な死体をちょっくらあっちにどか"シタイ"から誰か手伝うよ。ウシャシャシャ!」
「どないやねん!」
ダジャレを交えて大爆笑するヤンに、客たち全員が声を揃えて突っ込んだ。
さすが生粋のギガオーサカ人たち、まるで訓練されたプロのコメディアンばりのツッコミである。
「ああ、そんな神様……」
頼もしさから一転、あまりにデリカシーのないショッキングな言葉を聞かされた女性は、その場で昏倒してしまった。