ニューゲート脱獄計画 その2
時刻は夜の22時近く、僕たちが今いるのは監獄都市から外へと出発する馬車の荷台の上。
底の抜けた樽を手にしたベルが神妙な顔つきで僕らに対峙している。
なんとも間の抜けた奇妙な光景だけど、僕たちは全員至って真剣だ。
ベルが僕たちが隠れるための酒樽を用意し、ポーリーンがその底を隠れやすいように愛剣でササッとくり抜いたのだった。
「準備はいいかオメーら。ゲートを無事に出て馬車が止まるまで、絶対に物音を立てるんじゃねーぜ」
「合点承知でおますベルねぇはん。わてはさっき出すもん出してきたから体調の方もバッチリでっせ!」
猫ヒゲをピンと自慢気に立てるアルビアに、嫌そうな顔をしたベルが雑に樽をその頭からストンと被せた。
「うわっぷ! よりにもよって、あのけったくそ悪いエールの樽やないでっか!? ベルねぇはん、こりゃ生き地獄でおまっせ~」
「うっせーな。静かにしてろよ」
ひえっ、隠れるための樽って『ムショノメシ』で出されたあの馬の小便みたいなエールの樽なのか……というか今から僕もそれに入るのか?
樽の中から悲痛な声で助けを求めるアルビアを完全に無視してベルは僕の方に向き直る。
「心の準備はいいかいアキラ?」
「う、うん。オッケーです……」
躊躇いつつ頷きを返すとベルが樽をスポッと僕の頭の上から被せてきた。
おっ、これはワインの樽だな……それも普段中々飲めないような、かなりお高いやつに違いない。
年代物とおぼしき芳醇な香りが樽の中で身を縮める僕の鼻孔をこれでもかとくすぐる。
良かったぁ~、あの最低なエールの樽じゃなくって。
「ポーリーンのは一番大きい樽を選んだけどよ、これでもちょっと窮屈かもな。まー、ちょっとの辛抱だから我慢してくれよな」
「ダイエット中なので何も問題ありません。ポーリーンはその樽の中で静かにしています」
そう言った瞬間ポーリーンのお腹がク~、とカワイイ音を立てて鳴り響き、僕は思わず樽の中でバランスを崩しかけた。
さっき食べたばっかりなのに、どれだけ育ち盛りなんだこの子は?
とにかくポーリーンも僕やアルビア同様、樽の中に無事隠れたみたいだ。
座席には囚人ではないベルとシロが座る手はずになっている。
「ベル、馬車を運転する御者と交替で帰る看守がこっちさ来ただよ!」
シロがおろおろしながら小さな白い尻尾をぱたぱたと振りそう伝えると、すぐさまベルが聞き返す。
「落ち着けシロ、計画通りやれば大丈夫だぜ。交替の看守は何人いる?」
異種族の中でもフェルパーやラウルフといった動物に近しい容姿の者たちは、人間と比べて非常に視力がよく夜目も効くのだ。
「うんと、看守は一人だべ。あんれまあ、ムチさ持ったあの男はクレーでねえか? どうすっぺ?」
シロの言葉を聞いたベルの顔が強張り、一気に緊張が走る。
看守長クレーの監獄都市での立場はベルに続きナンバー3にあたる。
だが獄長だけに絶対服従を誓うクレーは、獄長の娘かつ己の上司であるベルが相手だろうと少しでも不審な点があればすぐにしつこく追求してくる、油断のならない男である。
というのもベルの地位を蹴落として失脚を狙っている節が以前からあるのだ。
さらにまずいことに、ベルもクレーも深夜勤務で交替する外部からの通いの者ではなく、この監獄都市で普段暮らしている。
(ヤベーな。どう言い訳したものやら……クソッ、アチシは考えるのは苦手だっつーの!)
普段から考えるより先に手が出るタイプのベルは唐突なアクシデントに動転しぶんぶんと頭を振る。
だが兄との約束を思い出すとすぐに覚悟を決め、出たとこ勝負でいくことにした。
大股で馬車に近づいてきたクレーは座席にベルの姿を認めると片方の眉だけをぐいっと吊り上げた。
「おや、ベル様ではないですか。こんな夜遅く、一体どこへお出かけになられるので?」
「う、うっせーな。アチシの勝手だろ。そう言うおまえこそ、どこへ行くんだっつーの!」
できるだけ平静を装い返事をするベルに、クレーは制服の襟を正しながら席に着く。
「獄長の命令でして……ふむ、時間だな。馬車を出してくれ。今宵は他の乗客はおらぬようだからな」
「へい、クレーの旦那」
命令された御者がくたびれた黒馬の手綱を操作すると、馬車がのろのろと動き出す。
ガタガタと揺れる荷台の樽の中で僕は天に祈っていた。
神様、イグナシオ様、どうか看守たちに気付かれずにうまく脱獄できますように!
そして僕たちを乗せた馬車は監獄都市と外界を隔てるロンドンウォールの唯一の出入り口、ゲートへと到着した。
「これはベル様にクレー様、遅くまでお勤めご苦労様でした。決まりなので一応念の為に馬車を調べさせてもらいます」
ゲートの見張りの男から発せられた言葉を聞き、僕たち全員に緊張が走る。
「貴様っ、無礼であろうっ!」
そう言って突然声を荒げたのは、僕を初日に丸裸にして熱湯で熱烈歓迎してくれたあのクレーだ。
僕は樽の中で必死に聞き耳を立てる。
「はっ申し訳ありません。しかし決まりは決まり……」
見張りの男がなおも己の職務を全うしようとすると、クレーもいよいよ語気を強めた。
「無粋な真似はやめいっ! 特別矯正監と看守長相手に、ただの見張りごときが貴様っ、面倒を起こしたいかっ!」
ビシィッ!
馬車から身を乗り出したクレーのムチが音速で空を切り裂く。
「ヒィ、で、出過ぎた真似をいたしましたぁーっ! どうぞお通りください……」
見張りの男は哀れにもすっかり意気消沈し、しょんぼりと肩を落として馬車のチェックを諦めた。
フン、と鼻を鳴らしてクレーは座席に座り直した。
「まったく、なんたることか。教育がサッパリなっとりませんなベル様。下の者は上の者に絶対服従、口答えなどもっての他。これを徹底すべきですぞ」
「……そうだな」
助かった、クレーの傲慢な性格のおかげで無事にゲートでのチェックをやり過ごしたようだ。
そう思ってホッとした僕たちだったが――
ガタッ!
ゲートを出てしばらくしたところで、突然馬車が急停止した。
「ここでよろしいんで、クレーの旦那?」
「うむっ、ご苦労だったな。たった今この馬車はゲートを抜けて、監獄都市の"外"へと出た訳であるっ!」
なんだ、どういうことだ?
僕の疑問を代弁するかのようにベルが口を開く。
「どうして馬車を止めるんだっつーの! クレー、テメーこれは何の真似だよ?」
すると馬鹿を見るかのような目でクレーはベルに視線を向けた。
「何の真似、ですと? これは笑止。決まっておるっ、この鉄壁の監獄都市から脱獄しようとした愚か者どもを、今から一網打尽にするのよっ!」
ババッ!
「わっ、なんだべさ? まぶしいべっ!」
敏感なシロがいち早く両目をふかふかの毛に包まれた手でバッと覆う。
サーチライトの光が一斉に馬車に向けて照らされたのだ。
樽の中で僕は青ざめた顔で何が起こったのかを考える。
さっきまでのクレーの行動が全部、僕たちが隠れているのを知った上での演技だとすると……この脱獄計画は……最初からバレていたのか?
でも一体いつ、どの段階でバレたんだ?
……駄目だ、今は考えている時間も余裕もないぞ。
どちらにせよこうなった以上、いつまでも樽に隠れていてもしょうがない。
「出よう、みんな。最悪戦闘も覚悟で。ここまで来たんだ、強行突破すればなんとかなるかもしれない」
僕がそう言って樽から出るとアルビアとポーリーンもそれに続く。
「力づくって訳ですね。ポーリーンは剣の腕には自信があります、望むところです!」
ムチムチな美少女が赤い魔剣を手に意気込みを見せたが、そこで僕は見てしまった。
馬車を取り巻く看守たちの数こそ少ないが、その中心で偉そうにしている高そうなスーツを着た一人の男。
そして、そいつが隣に従えている金色の『それ』を。
忘れもしないぞ、あれは国連の対冒険者用秘密兵器、念導兵だ!
「ギブアップ セヨ」
念導兵は無機質な合成音声で僕たちに降伏を促しつつ、その両腕を油断なく構える。
それにアルビアが情けない声を出す。
「こらアカンわ……念導兵は設定レベル99のモンスターマシンだす。あの『ロック・ザ・バードキング』と比べても全然レベルの桁が違いまっせ! わてらが逆立ちしても勝てる相手じゃおまへん!」
アルビアの言う通り、僕もその強さは嫌というほど良く知っている。
僕の仲間の凄腕の侍ヒョウマを片手で赤子をひねるようにねじ伏せたあの実力……別の個体とはいえ、その強さは同じに違いない。
せめて、いつもの僕の装備があれば戦ってもまだワンチャンあるかもしれないが……。
生憎と今の装備はムラサマもスシマサも黒のコーデもない。
この呪われたプリズンソード一本だ。
くそっ!
歯がゆい思いで動けずにいる僕らに、スーツの男は念導兵を伴い近づいてきた。
馬車の手前まで来ると、男は氷のように冷たい視線をベルへと向ける。
「特別矯正監ベル。おまえを本日付で解任する。私の所有物である剣奴ポーリーンの無断行動及び、独断によるスレールの隷属鎖からの解放、さらに囚人たちへの脱獄加担……重罪にも程が有るな。よって共に行動していたおまえたち全員を一律脱獄犯と見なし、この獄長ルーファス・ブルームの権限において今から厳正に処分する」
「ハッ、マジかよこのクソ親父様は……」
ええっ、クソ親父様ってどういうことだ?
……もしかして、この獄長の娘なのかベルって?
実の娘の言葉を無視すると、獄長は次にポーリーンへとその冷たい眼差しを向ける。
「ミスターB……」
顔面蒼白になるポーリーンを前に獄長は軽く首を振った。
「失望したぞポーリーン。おまえにはチャンスを与えてやったつもりだったがな。自ら自由になるチャンスを棒に振るとは……つくづく愚かな娘だ」
そして大きくため息をつくと、獄長は僕たちに死刑を宣告するかのように冷たく言い放った。
「ではおまえたち脱獄犯の処分を通告する。"迷宮送り"だ」
そ、そんな……せっかくあの鳥の王との遭遇から無事生きて戻れたのに!
ガックリとうなだれる僕たちを無視して獄長はさらに言葉を続けた。
「絶望の断崖に棲む伝説の巨鳥『ロック・ザ・バードキング』」
「何万年も生きている神秘の地底湖の主『レイクドラゴン』」
「地獄の森を闊歩する絶対王者『デビルユニコーン』」
「これら三体の凶悪S級モンスターを討伐し、その証である宝珠を3つ持ち帰れ。そうすれば、そうだな……この監獄都市での囚人としての最低限の生活は保証してやろう」
ちょっと、なんか無茶苦茶な話になってないか?
そもそもロック・ザ・バードキングともまともに戦闘できる状況ではなかったのに、それを3体も倒せって、そんなのデタラメだ!
「イヤだと言ったらどうすんだっつーの?」
ベルの挑戦的な言葉にも獄長は眉一つ動かさない。
「今この場で死んでもらうだけだ。私は無能な者に用はない。それがたとえ血を分けた実の子だろうとな。コマンド、ウェイクアップ」
獄長の言葉で念導兵の単一の目が赤く光る。
まずい、このままじゃ本当に"鎮圧"されちゃうぞ!
「わかった! やるよ、やればいいんだろ! だからそいつをストップしてくれ!」
僕がそう叫ぶと仲間たちは意外そうな顔をし、反対に獄長は満足そうに頷き、念導兵のモードを解除した。
間一髪、助かったと言っていいのだろうか?
でも獄長のさっきの態度、あれは威嚇ではなく本当に僕たちを殺しかねない感じに思えたんだ。
でも僕たちだけならまだ分かるが、実の娘であるベルまで殺そうとするものなのか?
父親なのに……。
両親のいない僕には分からない、いや分かりたくない感情かも。
「フッ、4771番だったな。私は物分りのいい人間は嫌いではない。今夜はもう遅い。明日に備えてゆっくり英気を養いたまえ……独房でな。看守長、こいつらを全員ぶち込んでおけ」
獄長がそう命じると、ベルが失脚してナンバー2の地位を棚ボタ式にゲットして嬉しいのか、クレーは張り切って動いた。
「はっ、了解でありますっ! さあ、キリキリ歩けいっ! ふっふっふ、こうしてあなたに一度上からモノを言ってみたかったのですよ、ベル様……いや、この卑しい女脱獄犯めがっ!」
こうして僕たちの脱獄は失敗し、それぞれ独房へと入れられて無念の夜を過ごしたのだった。