ヘルハウンドの迷宮 その4
鳥の王『ロック・ザ・バードキング』の牛2頭分は軽くある巨大な嘴が、僕を噛み砕こうと目の前に迫る。
(勝負は一瞬。動じるな、神経を極限まで研ぎ澄ませるんだ……僕ならきっとやれる)
僕は来たるべく瞬間に備え、右手を前に突き出す独特の構えで精神を集中させて深く息を吐く。
あまりのダイナミックな迫力に並の冒険者なら確実に腰を抜かすであろう、象を主食としてドラゴンより強いと噂の、この鳥の王の恐ろしい姿にも僕は動じない。
たったのレベル1の戦士にもかかわらず、だ。
僕がネオトーキョーの『アングラデスの迷宮』で潜って来た修羅場はこんなものではなかったからね。
コボルドたちが崇める神、オーク四天王でも最強の肉体を誇る芸術王、自動再生能力を持つ白い悪魔、そしてあらゆる攻撃を無効化する迷宮のボスたる魔神……。
今まで経験した強敵との戦いが走馬灯のように僕の脳裏をよぎる……って、走馬灯は今からまるで死ぬみたいでちょっと不吉だな、やめやめ!
そう思って、こんな状況にも関わらず僕の顔に笑みがこぼれた。
うん、緊張も動揺も全然していないぞ。
鳥の王の嘴はもう僕の体を捉えている。
でも、もう少し、次の動作がスタートの合図だ。
キエェェェェエエ!!!
狂ったように頭を横にし、その嘴で一口に僕を飲み込もうと鳥の王の嘴がバクッと閉じられる。
その刹那――。
「<ブレーメンドライブシュート>ぉぉぉッ!!」
バチバチと雷を纏った僕の右足は猛烈な勢いで大地を蹴り、その反動で一気に嘴から逃れて鳥の王の頭上を飛び越えると、その体の上にうまく着地した。
必殺の体技を移動手段として使う、かつてのアルビノデーモン戦での応用パターンだ。
「あった金色の羽根! あれだっ!」
不安定な足場の中、僕は一目散にそれ目指して駆けて行く。
そんな僕を払い落とそうと狂ったように暴れ回る鳥の王。
僕は地上に落とされる前に素早く滑り込みスライディングで、その一枚だけあからさまに他と色の違う、特別な感じのする羽根をぎゅっと掴んだ。
ギエェェェエエエ!!!
鳥の王はぐりん、と人ならありえない角度で頭をこちらに向けるとその嘴を僕へと伸ばす。
この体勢はまずいぞ、でも今ここで引き抜かないときっともうチャンスはない。
だけど、しょぼいレベル1戦士の今の僕の力でこいつを抜けるのか?
いや、迷っている暇はない、やるぞ!
渾身の力を込めて引っ張るが、大人の体ほどもあるこの大きな羽根はなかなか一筋縄ではいかない。
ビシュッ。
「ぐあっ!」
しまった、羽根を抜くのに気を取られて嘴による攻撃を避け損なった。
ほんの少しかすめただけなのに、ザックリと僕の左肩は切り裂かれている。
鳥の羽根の上に真っ赤な鮮血がドクドクと勢い良く流れていく。
僕の経験上、こうなったらすぐに目眩がして出血多量でヤバイことになるんだよな……。
まずい、これはもう本当に次はないぞ!
今僕の持てる全てのパワーをここで使い切る覚悟でやるしかない!
「ぐおおおおぉぉ……! 江戸のみんな、僕に力を……貸してくれッ!」
口をついて出た謎のフレーズを叫び一段と気合を入れて、思いっきり金色の羽根を引っ張る僕。
すると――。
スポンッ。
掴んでいた金色の羽根が突然その体から綺麗にすっぽ抜けた。
ギョエエエーーー!!!!
「取った! 取ったぞぉーっ!」
一際大きな鳴き声を上げて苦しむ鳥の王の体の上で、僕は血塗れになりながらも金色の羽根を優勝トロフィーのごとく掲げて、思いっきりガッツポーズを決めた。
やったんだ、弱点とおぼしきこの巨鳥の金色の羽根を、僕は抜いてやったぞ!
ズドオオオーーーン。
物凄い砂煙を上げ、鳥の王の巨体が地面にもんどりうって倒れた。
鳥の王の体の上から飛び降りた僕の側に、今までどこにいたのかアルビアが駆け寄る。
「アキラはん、そない怪我して……それに、これは一体どないしたんでっか? まさか、鳥の王を倒した……?」
信じられないという顔のアルビアに、僕は自慢するように笑顔で戦利品の金色の羽根を見せる。
「弱点のコイツを引き抜いてやったのさ。アルビア、戦闘は何もレベルや力だけじゃないんだよ。ココさ!」
そう自分の頭の良さをアピールする僕を見て、げえっ、とフェルパーの男が全身の毛を逆立てて呻く。
「そ、それは弱点やありまへんで! ドラゴンに生えとる『逆鱗』と同じく、決して触れてはならぬ怒りのスイッチだす! ああ、もう終わりや。とにかく逃げな、全速力ダッシュでおまー!」
ピエエエエーーーーッ!
今までとは明らかに違う鳴き声を上げて、驚くべき速さで『ロック・ザ・バードキング』はその巨体を起こした。
えええーーっ?
どうしてこうなるの!?
希望の後の絶望ほどタチの悪いものはない。
しかも僕は情けないことに、あいつの羽根を抜くのにもう全力を使い果たしている。
とっくに逃げ始めたアルビアに習い、僕も走り出すがダメージもあるせいか足がもつれてしまった。
「どわっ!」
「アキラはんっ!? あかん!!」
地面に倒れ込んだ僕の目前に、怒りと狂気をはらんだ目つきの巨鳥の顔が猛烈な勢いで迫る。
く、喰われる!
僕が最悪の事態を想定したその時だった。
「バランシャー一族秘剣、<グレイトフル・ハーヴェスト>!」
バシュッ!
少女の凛とした声がジャングルの中に高らかに響き渡り、鋭い衝撃波が鳥の王の右の瞳を切り裂いた。
ピギョエエエエーーー!
巨鳥がけたたましい鳴き声を上げ大きくのけ反り、見る間にその大きな瞳が真っ赤に染まる。
た、助かったのか?
やっぱり目玉もあれだけ大きいと相当に痛いんだろうなぁ、かなり今の攻撃は効いているみたいだぞ。
「グレートだぜポーリーン! おいオメーら、今のうちに早くこっちへ来いっつーの! アイツにゃ自動回復能力があるからボヤボヤしてると今の一撃もすぐに癒えて、怒りの反撃が来るぜ!」
そう言って叫んだのは、闘技場で僕たちをKOしたあの凶悪なルックスの女である。
剣から衝撃波を放って助けてくれたのは、闘技場で僕が助けたあのむっちりとした美少女。
そしてその後ろにちょこんと控えニコニコしているのは、僕の治療をしてくれたシスターのシロだ。
一体何が何やら、さっぱり訳がわからない組み合わせだぞ?
「急ぐだよー、おらが回復呪文さかけてやるだよー」
シロが愛らしく手をぶんぶんと振って僕たちを呼んでいる。
「どうやらわてらを助けてくれるみたいでっせ。ここは一旦脱獄の件は置いといて、シロはんたちの言う通りにしましょか?」
こっそりと耳打ちするアルビアに従い、僕たちは女性陣の下へと走った。
せっかく合流したけど、このジャングルの中じゃ闇雲に走ったところですぐに追いつかれるだけだろう。
安全な逃げ道なんて結局どこにもありそうにない。
「これって結局ピンチなのは変わりないんじゃあ――ングッ!?」
僕の言葉をその途中でバードの女が強引に手で塞いだ。
うう、やっぱりこの人苦手だよ。
「ちっと黙ってろっつーの。死にたくなかったらアチシの側から離れるんじゃーないぜ。特にアキラ、オメーはな! このアチシのセクシーな腰に手を回して、しっかりしがみついときな」
その言葉を聞いて全員がバードの彼女の周りに集まった。
僕は疑問に思いつつも流れで、この凶悪なルックスの女のくびれた腰におずおずと手を回す。
む、結構引き締まってるな……僕より鍛え込んでそうだ。
そういえば、どうして僕の名前を呼び捨てなの、この人?
「んじゃいくぜ。<転移の狂詩曲>」
ギュンギュンギュ、ギュギュギュギューン♪
バードの女が炎の模様が描かれたギターを独特のテンポでかき鳴らし、僕たちの姿は瞬時にその場所から掻き消えた。