監獄都市生活2日目 その3
監獄都市内にあるベルの自室。
広い間取りの室内には19歳の少女らしい物は一切見当たらない。
鋲の付いた黒い皮張りのソファ、ドクロを模した室内ランプ、壁には至る所にイブリースの災厄以前に活躍した今や希少な往年のデスメタルバンドのポスターがずらりと並んでいる。
「ポーリーンはトーストにはハチミツ派? それともバター派? アチシのオススメはその両方だぜ。熱々のトーストの上でいーい具合にハチミツとバターが絡み合って溶けて、最っ高にウメーんだコレが。フフーン♪」
鼻歌を歌いつつ親しげな様子でオークの少女にベルが尋ねると、ポーリーンは顔を輝かせた後、若干困った顔つきになった。
「まあ、それはとても美味しそうですわね。でもポーリーンはカロリーが気になっちゃいます……」
(げ、その体型でカロリー気にすんのかよ。ったく、マジでグレートだっつーの!)
ベルは心の中の声を漏らさないように気を付けたが、こみ上げてくるクスクス笑いがどうにも止められない。
「もう、ベルったら。今馬鹿にしたでしょう? これでもこの数日で結構痩せたんですからね!」
ポーリーンは両手を腰に当ててぷうっと頬を膨らませる。
とはいえベルが吹き出すのも無理は無い。
背が高くシュッとした体型のベルと比較すると、ポーリーンのむっちり体型はまるで何かの冗談のようである。
そんな二人だが、剣奴として連れて来られたポーリーンとかたや看守、それも獄長の娘で監獄都市のナンバー2という地位のベルは、たった一日ですっかり打ち解け、まるで長年の親友のような間柄になっていた。
奇しくも同じ年頃の少女同士、互いに特殊な環境で育ったために、自分と同じ歳の少女と友人になる機会がほとんどなかったのも二人を急速に結びつけた要因のひとつと言えよう。
すっかり彼女と意気投合したベルは獄長に無断で、ポーリーンの首に嵌められていた忌まわしいスレールの隷属鎖すら解き放ったのだ。
すぐにでも獄長、実の父ルーファスから何らかの処分が降されるのは間違いなかったが、ベルはそんなものまるで意に介してはなかった。
何故なら今日訪れる予定のもう一人の親友の到着を待って、ある計画を実行に移そうと考えていたのだ。
部族を壊滅させられ奴隷に売られたこの哀れなオークの姫をここから脱獄させて、自分も長年過ごしたこの場所から出ていこうと――。
ベルが世界中の誰よりも尊敬する兄アーヴィンドも、父に見切りを付けてかつてこの監獄都市から出て行ったのだ。
トントン。
その時、ドアを二度ノックする音がしたと思ったら、ふわふわな真っ白な体毛を踊らせて一人のラウルフの少女が部屋に駆け込んできた。
「来ただよーベル。あんれまあ、そちらの美人さんは? ベルにも新しい友達ができただか?」
「シロ! 待ってたぜ。こいつはポーリーン。もうアチシのマブさ。ポーリーン、この白っこいのはシロだ。それが聞いてくれよポーリーンの身の上話を。これがまた聞くも涙、語るも涙の話でさ」
親友の到着にテンションの上がるベルだったが、ちょうどその瞬間に極小サイズの水晶球からピリリリ、と独特の振動と音が鳴り、念話の着信を知らせた。
「あ、ごめんちょい待って、念話が入った。ったく、せっかくアチシのマブが揃ったっつーのに。つまんねー用件だったらキレるぜ。もしもしぃ?」
苛立った声を出すベルの耳に、念話越しに特徴的なオネエ言葉が響く。
「もしもーし、聞こえるわネ? ハァーイ、ベル! 懐かしのお姉様ヨ」
その声を聞き、危うくベルは念話を手から落とすところだった。
「アーヴィンド? マジかよ!? 長い間連絡ひとつ寄越さないで! アチシがどれだけ心配したと……つーか、今一体どこにいるんだっつーの?」
「アタシ? 今ロンドンに着いたとこヨ。今からそっちに行こうと思ってるけど、お父様のご機嫌はいかがかしら?」
呑気にそう尋ねる兄に対してベルは急に真顔になった。
「……そいつはやめといた方がいいな。あのクソ親父様はもう完全にイカレちまってるよ。兄貴が顔でも見せようものならマジで殺されかねないぜ」
「アラ、それは困ったわねぇ。監獄送りになったアタシの仲間をそこから出してあげたいんだけど。どうやらお父様のコネは期待できなさそうネ」
期せずして自分の考えていたことと同じ話を兄から聞かされたベルは喜びの声を上げる。
「へへっ、長いこと離れてても考えることが同じって、コレ偶然じゃねーよな。やっぱアチシら似たもの兄妹なんだな」
「アラ、そこは姉妹でしょ? それより考えることが同じってどういうことかしら。まさか誰か脱獄させる気なの? 一応看守のトップでしょ、アンタ」
「こっちにはこっちの事情があるんだっつーの。まずはアチシの計画を聞いてくれよ」
ベルがポーリーンに関する経緯を説明すると、念話の相手も詳しい事情を話した。
「悪の戦士アキラ? 日本から来たっつー、そいつをこの監獄都市から無事に逃せばいいんだな? 分かった。何があろうとアチシが意地でもやり遂げてみせる。一応聞いとくけどよ、そのアキラはもしかして兄貴の彼氏か?」
イギリスでは同性愛カップルは珍しくなく、アーヴィンドは昔から女性にはまるっきり興味がないこともベルは知っていたのだ。
「まさか、違うわヨ。アキラはアタシにとって大切な仲間。それに、あの子にはちゃんと好きな子がいるのヨ」
「ふーん……兄貴の口から仲間なんて言葉が出るなんてな。日本に行って本当に変わっちまったんだな」
感慨深げな様子でベルが遠い目をした。
「アラ、愛しのお姉様が昔と変わっちゃって嫌いになったかしら?」
その言葉にベルはクスクスと笑う。
「まさか。アチシは何があろうとアーヴィンドを未来永劫リスペクトしてるっつーの。アチシが今まで狂わず、あのクソ親父様の下で自分を貫いて暮らしていけたのも、全部兄貴のおかげだからな。感謝してんだぜ?」
「まぁ、うれしいこと言ってくれるじゃない。そうそう、言い忘れてたけど今のアタシはアーヴィンドじゃなくてアンナと名乗ってるわ。今度からはアンナお姉様と呼んでいいのヨ。じゃ、よろしくネ」
兄からの念話が切れると、目の前のポーリーンとシロを無視してベルは素早くまた別の相手に念話をかけ直した。
「特別矯正監ベルだ。日本から収監されたアキラという囚人は何番でどこの房にいる? ……は!? マジかよ、クソッタレが!!」
激しい罵り声を上げてベルは念話を切った。
「そんなに興奮して、一体どうしただよベル? おらは何が何やら。さっぱり話が見えないだよ」
困惑するシロの声にベルは少し落ち着き、友人たちに事情を説明した。
「アチシは今日ポーリーンをここから脱獄させるつもりでいたんだ。そしたらよ、長い間音信不通だった兄貴が急に連絡してきて、もう一人脱獄させて欲しいってさ。今そいつの所在を事務員に連絡して確かめさせたんだが、アキラこと囚人番号4771番は『ヘルハウンドの迷宮』に自分の意志で潜ったっつー話だぜ。あー、もう!」
髪の毛をくしゃくしゃと両手でかきむしるベルに、シロも呆れた声を出した。
「その囚人は自殺志願者だべか? あそこは一度入ったらまず生きて帰れないだよ。おらがここに来て結構経つだども、あそこからは一人も生還してない気がするだよ」
シロの言葉にベルは暗い顔で俯く。
「その通りだぜ……だから迷宮に送られるというのは実質的な処刑と同じだ。それを自らの意思で潜るとは、一体何を考えてやがんだアキラって野郎は。でも兄貴と約束しちまったもんはしょうがないぜ。ちょっくらアチシはアキラを連れ戻して来る。悪いけどシロ、それまでここでポーリーンと待っててくれないか?」
「水くさいことを言うでねえ。ベルが潜るなら当然一緒に行くべ。これでもおらは名門僧侶一族、アンバーウルフ家の一員だべ」
ラウルフの僧侶はそう言って親友に微笑みを向ける。
シロことシロエッタ・アンバーウルフの一族は優秀な僧侶を多数輩出した栄えある家系だ。
公にこそしていないが、その祖父はかつて『魔王イブリース』を倒した伝説のパーティ『心剣同盟』に所属していた僧侶、テッドことテディ・アンバーウルフである。
ここまで一連の話を黙って聞いていたポーリーンの顔色がにわかに曇る。
(日本から来た、悪の戦士アキラ……? まさか……)
「待って。ポーリーンも一緒に行きます。ベルには良くして貰った恩があるし、確かめたいこともあるから……。それに、剣の腕には自信があります」
この世界で唯一のオークの少女は、自らの愛剣である西のオーク族の至宝『魔剣カストラート』を抜き放ち勇ましく掲げた。
「そうか。恩に着るぜシロ、ポーリーン! アチシたちならきっと最高のパーティが結成できるぜ。んじゃ迷宮に迷い込んだお姫様、いや王子様をいっちょ救いに行くとしますか!」
傍らに置いてある愛用のギター『ファイヤーギルド』を手に取るとギュインと爪弾き、ベルは歯を見せて笑う。
なんという運命のイタズラであろうか。
獄長が手を下すまでもなく、その思惑通りに物事は運ぼうとしていた。