サラの婚約者
イタリアのフィレンツェ――。
多額の借金を抱え、抵当に抑えられたカルボーネ家の広い屋敷の中。
念話の相手に声を弾ませたのは、この館の主であるエルネスト・カルボーネその人だ。
「なんと! それは奇遇、いやあグッドタイミングですなあ。ええ、ええ。勿論、今晩すぐにでも! ではお待ちしておりますよ」
一方、サラは自室で幼い頃に父に買ってもらったお気に入りのドラゴンのぬいぐるみを抱きかかえながら、信じられない目でウィザードヴィジョンの国際裁判生中継の行方を見守っていた。
「そんな……! アキラが有罪だなんて……どうして、ねぇウソでしょ!?」
『アングラデスの迷宮』で生死を共にした『バタフライ・ナイツ』の大切な仲間、アキラ。
彼に下された判決は、イギリスのロンドンにある『監獄都市ニューゲート』での無期懲役刑だった。
幼少時代にモンスターと契約を交わしたという罪状だが、サラはそんなもの頭から信じてはいなかった。
自分の身を常に危険に晒して、死と隣り合わせの冒険を共に続けてきたあのアキラがそんなことをしているはずがない。
自らの右手の薬指に光る、アキラから贈られた特大のヴァンパイアルビーが飾られた真紅の指輪を見つめて、サラは一人真剣な面持ちで頷く。
「兄さんも日本へまた行っちゃったし、家のことも心配だけど……やっぱりこうしてはいられないわ。今すぐイギリスに行かなくちゃ。今度は私がアキラを助ける番よ。最悪、脱走させてでも絶対に監獄都市から連れ出してあげるから」
物騒な決意をしたサラが部屋のドアを勢い良く開けると、そこでバッタリと父親と鉢合わせた。
「おおっと! 不意打ちかい? 可愛い戦士のお嬢さん」
「お父様、私ね――」
(本当は婚約なんてしたくないの! 好きな人がいるの! その人を今すぐに助けに行きたいの!)
だがサラが告げようとした言葉の続きは、その顔に歓喜の色を湛えた父親の言葉によって遮られてしまう。
「聞いてくれサラ! いいニュースだ。例のおまえの婚約者の話だがね、何と今ちょうどイタリアの近くに来ているらしい。そこで急遽、今晩我が家に彼を招いてレセプションを行うことになった。これで先祖代々の土地を手放さずに済むかもな! トントン拍子にいい方向に話が転がってパパも嬉しいよ。きっと幸運の女神がダイスでいい目でも出してくれたに違いないな。おまえも彼に気に入られるように今夜はとびっきりのオシャレをして出迎えなさい。勿論、その品のないビキニアーマーなんかじゃダメだぞ? 相手は財閥の御曹司で、迷宮のオークやデーモンじゃないからな。ははは」
ポン、とビキニアーマーの剥き出しになったサラの尻を叩き、エルネストは階下へと急ぎ足で下りていく。
あまりに喜ぶ父の様子にサラは完全にイギリス行きの話を言いそびれてしまった。
リーンゴーン!
その夜、サラの婚約者である男がチャイムを鳴らし、カルボーネ家の玄関先へと現れた。
「やあ、遠路はるばる日本からようこそ我が家においでなさいました。私が主人のエルネスト・カルボーネです。サラ、お客様がお見えになられたぞ! すみませんね、どうも年頃の娘は支度に時間がかかっていけません。先に我が家の自慢の庭園を案内しましょう。さあ、どうぞこちらへ」
男は庭なんか見せられてもしょうがないと内心で思ったが、『自慢の』と付いていたのが多少気になり、言われるがまま案内する主人に後ろをついて回った。
しかし幼い頃より恵まれすぎる環境で育った彼にとってはその自慢の庭園も珍しくも何ともなく、やはり期待はずれであった。
「へえ、結構シャレた庭園じゃないですか。気に入りましたよ俺。特にこの石像なんかいいじゃないですか。いかにも骨董って感じで、古臭くて」
明らかに馬鹿にした口調ではあったが、婚約話がうまくいくかもとすっかり舞い上がっていたエルネストは、そうとは気付かずに笑顔で同意する。
「ほほう、分かりますか! さすが日本有数の大富豪のご子息だ。審美眼もなかなかの物……さしずめマスタークラスのビショップ級ですな、ははは。これはスペインの王室に伝わる物語を題材にした『サムライ・デル・ディアマンテ』と名付けられた英雄の石像でして、うちの家宝なのですよ。当家では世界公用語である日本語で『ダイヤモンドの武士』と呼んでいますがね。おっと、ようやくもう一つの家宝である我が娘のご登場のようです」
自慢気にそう話すエルネストの背後から、美しいパールピンクのイブニングドレスに身を包んだサラがしゃなりしゃなりとやって来た。
明るい栗色の長髪を右側に束ね、淡いブルーの瞳を持つスタイルのいい美人のサラに、エレガントなイブニングドレスはとても様になっている。
だがサラは自分の婚約者だという男の顔を見て、たちまち表情を凍りつかせ声を失った。
そのまま沈黙が続き、見かねた父親が割って入る。
「おやおや、どうしたんだねサラ? お客様にキチンと挨拶もせずに失礼じゃないか。すみませんね、つい最近まで日本で冒険者なんてやってた不調法な娘でして」
謝罪するエルネストには目もくれず、男はサラから視線を外さずにニヤッと笑う。
「いや――、気に入りましたよ俺。美しいお嬢さんじゃないですか。どうも、天下の加賀財閥の次男坊、加賀竜二です。自慢じゃあないですけど、スイスで国連本部の職員やってます」
(国際裁判帰りにイタリア娘を一晩抱いてやるだけのつもりで来てみれば、よりによってあの時の葉山が連れてた女とはね。くくっ、面白いじゃないか。マジに婚約する気なんざ更々なかったが気が変わったぜ。葉山からは徹底的に全て奪ってやる! 女もプライドも、何もかもな!)
内心で邪悪な欲望を滾らせて加賀は胸を躍らせる。
一方、サラは当然この男が以前『ナインテイルの湯』で自分に無礼な態度を取っただけでなく、アキラを有罪へと陥れた張本人であることも国際裁判の中継を見て知っていた。
けれども、あまりの巡り合わせに心の中に様々な感情が渦巻きとっさに言葉が出てこない。
加賀の娘への褒め言葉を聞いたエルネストは満面の笑みを浮かべ、立ち尽くすサラの肩に手を置きウィンクする。
「ははは、そうですか。では後は若い者同士に任せますよ。向こうで食事の用意をしておきますので好きな時にいらして下さい。いいかサラ、ちゃんと彼をもてなすんだぞ」
エルネストが笑いながら館へと引き上げるのを見送り、サラはすうっと大きく深呼吸してようやく口を開いた。
「一体どういうつもり!? アキラを無実の罪で陥れるなんて卑怯よっ!!」
顔を真っ赤にしてすごい形相で問い詰めるサラを前に、加賀はさもおかしくてたまらないという様子で片手で顔を押さえ、くぐもった笑いを漏らした。
「くくくっ、無実だぁ? アイツが昔モンスターとつるんでたのは歴然たる事実だぜ? おまえも中継であの念導写真を見たろ、6つ目のバケモンをよ。俺は国連本部の職員として正しいことをしたまでさ。つーか、葉山のことはもういいっしょ。監獄都市に入った時点でアイツはもう終わりだよ、終・わ・り! あーっはっはっは!」
(何がバケモンよ。ふわふわしたとってもかわいいコだったじゃない。アキラにあんな濡れ衣を着せて、もう許せないわ!)
アキラの仇とばかりに、レベル20戦士の全力パンチでブン殴ってやろうとサラが拳を振り上げると、加賀はピタリと笑うのをやめて冷たい口調で言い放つ。
「聞いたぜ。おまえの親父の『カルボーネコープ』、乗っ取られて破産したんだってな。この屋敷も抵当に入った上にまだ2000万の借金があるんだろ? 親子ともども住む家を無くして借金背負ったまま路頭に迷いたきゃやってみろよ、ホラ」
自らの頬を突き出してピシピシと手ではたく仕草で挑発をする加賀にサラは唇を噛みしめる。
「くっ……だ、だからってあんたなんかと結婚なんて絶対にしないから! 借金上等よ! お父様だって元冒険者、屋根のない場所で眠るのは慣れてるはずだわ! 今すぐここから出て行きなさい、この卑怯者っ! あんたに相応しい場所はここではなくゴミ捨て場よ!」
「こ、このクソ女……言わせておけば……」
ビシッと指を突き付けて果敢に言い返すサラに、顔を紅潮させこめかみに青筋をビクビクと浮かべる加賀だったが――。
(フゥ……落ち着けよ俺。クールに行こうぜ。この屈辱を倍返しする一番いい方法を考えろ。そうだ、コイツは葉山の女。なら……)
加賀は冷静になり落ち着きを取り戻すと、目の前の女が借金を抱えた自分の家の事情よりも何を優先しているのかを瞬時に見極める。
昔から人への嫌がらせに関しては天才的な頭脳を発揮する男、それが加賀竜二という男であった。
「そういや知ってるか? 監獄都市には『冒険者闘技場』ってモンがあるんだぜ。囚人はそこでモンスター相手にガチで戦わされるワケ。仮にそこで運良く生き延びても、いずれはロンドンウォールが築かれるほど超凶悪なモンスターが潜む『ヘルハウンドの迷宮』に送られるんだよ。どうあがいても葉山に待ってるのは『死』というオチなのさ」
そんな加賀の言い分にサラはブンブンと首を振りながら必死になって反論する。
「ア、アキラは強いんだから! そうよ、日本最高難易度の『アングラデスの迷宮』を攻略しちゃったあのアキラだもの。絶対に安々と死んだりはしないわ! お生憎様っ!」
大ボスである無敵のアークデーモンにすら打ち勝った頼もしいアキラの勇姿を思い出し、自信満々で胸を張って言い返すサラに加賀は盛大に吹き出した。
「ぷーっくっくっ、おまえアホだろ? 知恵のステータス低すぎなんじゃねえの。経験値全額没収された今のヨワヨワ葉山が、万が一にも生き延びられるはずねーじゃん。はーい、ご愁傷様ー」
「……っ!?」
そうだった。
アキラはネオトーキョーで3番手の屈強戦士だったつい先日までの高いレベルをもう持ち合わせていない。
今のアキラはたったのレベル1、コボルドとやりあっても勝てないかもしれない新人同然なのだ。
衝撃の事実に顔面蒼白で愕然となったサラに、加賀は甘い言葉をかける。
「でもな、一つだけあるんだなーアイツが助かる方法が。俺の親父の権力だよ。親父からあそこの獄長に念話の一本でも入れて便宜を図りゃ、闘技場だの迷宮だの、危険な刑務の一切を葉山は回避できるぜ。何せ監獄都市の名物ロンドンウォール、あのプロジェクトに出資したのってウチの加賀財閥なんだなーこれが。おまえの出方次第では俺が助けてやってもいいんだぜ? 何しろ大事な幼馴染みだしな、アイツはよ」
最悪な相手には違いないが、アキラを助けたい一心で冷静な判断が出来なくなっていたサラはその誘惑に抗うことはできなかった。
「……どうしたら、アキラを助けてくれるの?」
(もう食いついたか、案外チョロいなこの女。うっし、ここからは俺様のターンだぜ!)
歪な笑みを浮かべた加賀はおどけたように両手を広げて見せる。
「条件はひとつ、おまえが身も心も完全に俺のモノになるこったな。そうすりゃ葉山の命も、おまえの親父の抱えた莫大な借金もまとめて面倒見てやるよ。どうよ、破格の条件だろ? この加賀様の妻になれる上に特典目白押しだぜ」
加賀の持ちかけた提案の声が、まるで悪魔の囁きのようにサラの胸にぐさりと突き刺さる。
月光に照らされた『ダイヤモンドの武士』の像が見下ろす庭園の中、夜風が冷たくサラの頬を撫でた。