ここは監獄都市 その5
「チッ……"白猫"の野郎、この千載一遇のチャンスにも参加しねぇつもりか? ったくよう、囚人の和を乱しやがって。つくづく協調性に欠けた野郎だ。おっ、新入りはやる気か? いい心構えだぞぉー、さあ来いよ! カモン!」
僕はカモンカモンと笑顔で手招きするモヒカンの男に近づくと、勇気を出して思っていたことを口に出した。
「やっぱりやめませんか、こういうのは。僕たちは仮にも冒険者ですよ? 大の男がよってたかって無抵抗の女の子モンスターを殺すなんて、人道に反する最低の行為ですよ」
ポカーンとした顔でそれを聞いていたモヒカンだったが、次第にその顔が赤みを帯びてきた。
「ああ~ん? もしかして俺に説教くれてんのか、てめぇよう? 新入りの分際でこの"強行犯ドグマ"さんに説教たぁ、大層な自信じゃねぇの。すっこんでっ、やがれっ、このガキっ!」
ボガッ! ズガッ! ドガッ!
モヒカンの狙いすました強烈な三連パンチを顔面にまともに食らい、僕は吹っ飛ばされ地面に横たわった。
「たはっ、口だけの貧弱野郎かよ。俺たちの仕事が済むまで、新入りの坊やはそこでおとなしくオネンネしてな! ハッハー!」
倒れた僕の耳にモヒカンの男の笑い声が響く。
くそっ、駄目だ……本当にレベル1になったことで体力面が異常に弱くなってる。
武器攻撃や魔法でも何でもない、ただのパンチなのに……頭がクラクラして立ち上がれない。
ああ、僕は一体こんなとこで何をやっているんだろう。
冒険者になって生きていくと決めて訓練学校に入学し卒業、晴れて戦士としてデビューして、仲間も得てパーティーも組めた。
未攻略の『アングラデスの迷宮』に潜り前人未到の層も踏破し、コボルドの神、オーク四天王、アルビノデーモンといった強敵にも勝利、ついには最深層でボスであるアークデーモンも討伐して迷宮の攻略を達成した。
素晴らしい武器や防具も手に入れ、仲間の女戦士サラともいい感じで、順風満帆の冒険者ライフをつい先日まで送っていた――それなのに。
今の僕はただのパンチで無様に地面に転がってしまう、無力な囚人だ。
そんな僕がこの状況で一体何ができるというのだろうか。
囚人となり、レベルも、装備も、そして名前すら奪われた今の僕に。
彼女は見た目はヒューマノイドの愛らしい姿だが、あの耳を見てもモンスターなのはやはり間違いない。
囚人たちも自分たちの生死を賭けてこの闘技場で戦わされているのだから、強敵を倒す絶好の機会を僕が止めるのは筋違いな話だろう。
ただでさえモンスターと邪悪な契約をしたなんて罪状で投獄された僕である、普通に考えてこれ以上余計な真似をするべきじゃない。
僕はもう何もしなくていい、おとなしくここで転がっていればいいんだ……。
「よぉーしっ、みんな手に武器は持ったな。準備はいいか? どこで獄長が監視してるか分からんから、一応とどめをさすタイミングだけは合わせろよ。失敗しないように一度深呼吸しとくか? ハイ吸ってぇ~、吐いてぇ~」
モヒカンの男が仕切ると囚人たちはおとなしくその通りに従う。
まるで朝のウィザードヴィジョン体操さながらの光景だ。
「いやっ……死にたくない……助けて、お父様……」
迫る死に怯えた少女の助けを求める声が僕の耳に届いた。
そうか、理屈じゃないんだ。
目の前で助けを求めている女の子がいれば、たとえそれがモンスターであろうとも助ける。
それが僕という男だろ?
だが、こんなちゃちなプリズンソードなんかを感情のまま冒険者である彼ら相手に振り回したところで大したダメージは与えられず、逆に返り討ちにされるのがオチだろう。
何もかも奪われ、刀も持ち合わせていない今はあの奇跡の一撃必殺技<操手狩必刀>は使えない。
現実の今の僕はただの弱小レベル1悪の戦士で、囚人なのだ。
――それでも失わなかったものもある。
それは戦士として、男として、人間としての誇り。
それと、もうひとつ。
モヒカンの男が囚人たちへ向けて威勢よく掛け声を放つ。
「おまえらやるぞーっ、イチ、ニノ……」
僕は立ち上がると武器を振り上げた囚人たちの輪に気配を殺して静かに近づく。
そして左手を後ろに回し、右手を前にして指を前から3本立てて精神を研ぎ澄ませ、必殺の言葉を高らかに叫んだ。
「この試合の行方は……僕が決めてやる! <ブレーメンドライブシュート>ぉぉぉッ!!」
ズギューーーン!
大きく後方に振りかぶった僕の右足がバチバチと雷を纏い、物凄い衝撃音と共にモヒカンの男の尻に向かって放たれた。
「ぶべえっ!」
「おしぎっ!」
「なんでぼぉ!」
「いでじぇっ!」
僕の雷を纏った蹴りを食らったモヒカンの体が、その隣に立つ男に凄まじい衝撃でぶつかると、同じようにそのまた隣の男にぶつかった。
それが次々と連鎖して、まるでドミノ倒しのように輪になった囚人たち全員の体をぶっ飛ばしていったのだ。
その結果、気が付けば少女の近くで無事に立っているのは僕一人という状況に。
モヒカンを始め、少女を手に掛けようと取り囲んでいた囚人たちは、全員がピクピクとその体を痙攣させて折り重なるように倒れている。
蹴り一発で50人近くいた囚人たちを一気に片付けるなんて、我ながらすごいコストパフォーマンスの良さだ。
<ブレーメンドミノシュート>とでも名付けようかな?
たとえレベルが1にされようと、この技の威力はさほど変わらずに放てたみたいで一安心だ。
「ファッキン!? これはどうしたことだブラザー、4771番が仲間の野郎たちを謎の蹴り技『ブレーメンドライブシュート』とやらで同士討ちしやがったぜ!? 手柄を独り占めしたいのか、それとも『マスク・ド・コチニージョ』の素顔を見てラブラブパニック状態にでもなったのか? この男、何を考えてるのか一切理解不能ーっ! クレイジーボーイっ!」
実況DJの慌てた声に、観客席で試合の結果に金を賭けていた悪趣味な連中もようやく異常事態だと悟ったのか、にわかにざわつき始めた。
ふん、こんな最悪の賭けなんて僕が無効にしてやるさ。
僕は突然の出来事に呆然とした表情を浮かべている少女に向き直ると声をかけた。
「大丈夫? ああ、安心して。僕は君を傷つけようなんて思ってないから」
精一杯の笑みを浮かべて、倒れている少女に優しく手を差し伸べる。
「助けてくれたの……? でも、どうして人間が……」
不安げな様子で戸惑いながらも、僕の手を取り立ち上がる彼女。
すべすべぷにっとした柔らかい手だ。
「女の子を助けるのに理由はいらないよ。僕はそういうタイプの男なのさ」
決め台詞を華麗にキメたつもりの僕だったが、間近で改めて彼女を見て思わず唾を飲み込んだ。
絶世の美少女と言ってもいい愛らしい顔にピンク色の髪と肌、白い革鎧がはちきれんばかりの大きな胸、たぷたぷとしたウエスト、真紅のミニスカートからはむっちりとした太ももが覗いている。
スレンダーなサラとは間逆なタイプな感じの美少女だな……こういうタイプも当然僕的には大歓迎だ。
彼女のピンク色の髪の間からは大きく広がった猪を思わせる耳が生えており、ミニスカートのお尻からはくるりと巻かれた小さな尻尾もはみ出ている。
こんな可愛いモンスターがいるなんて僕は知らなかったけど、一体なんていうモンスターなんだろう?
まさかサキュバス、じゃないよなぁ。
そんなことを考えているとポンと僕の肩に誰かが手を置いた。
「あんさん、めっちゃ強うおますな! あの人数の荒くれ囚人どもを蹴り一発で一掃するなんてただ者ではおまへん。いやあ、ほんま驚きましたわ。気は優しくて力持ち、こりゃあシャバでもモテなはったやろ? わてもここに入れられて以来、久々に胸がスーッとしたでおます」
囚人たちに加担しなかった3803番がいつの間にか隣に来ており、ポンポンと肉球の付いた手で僕の体にタッチする。
うん、彼とはやっぱり仲良くやっていけそうだよ。
僕が3803番にサムズアップすると、彼女はクスッと笑って丁寧にお辞儀をした。
「助けてくれたこと、深く感謝します。我が名は――」
闘技場の特別室で一連の出来事を見ていたブルームは、葉巻を床に思いっきり叩きつけると忌々しそうにグシャリとそれを革靴で踏み潰す。
「何だこの茶番は? もういい、今日の"刑務闘技"は終わりだ。ベルを呼んでさっさと終わらせろ」
「ベ、ベル様をですか……はっ、了解でありますっ! ただちにお呼びいたしますっ!」
ブルームは看守長にそう命じると、不機嫌な顔でさっさと一人部屋を出て行った。
「不仲であるベル様をよもや呼びつけられるとは。こりゃ獄長相当にお怒りだぞ……くわばらくわばら」
看守長はぶるぶると震えながらも命令された仕事をこなすべく、念話にて監獄都市内にいるその人物にすぐさま連絡を取った。