國原館の侍たち その1
日本最大の迷宮攻略都市『城塞都市ネオトーキョー』、その一角に居を構える漆喰を使った白壁に囲まれた昔ながらの風情のある大きな屋敷。
ネオトーキョーらしくない趣きのある石灯籠が立ち並び綺麗に小石を敷き詰められた縁側には、枝を横に伸ばした立派な松の木と鯉が泳ぐ風流な池も見え、まるでここだけ江戸時代から時が止まったままかのような錯覚を与える。
いささか時代錯誤のその場所は國原館という名の、この街きっての有名な名門剣術道場だ。
なぜ有名なのかというと、あの世界三大冒険者の一人、侍のコジローを輩出した道場だからである。
國原館の師範にして道場主、国連によって人間国宝にも指定された御年80歳の剣の達人、國原中弥斎は、門下生をごく少数しか取らずに屋敷に住み込ませ数年かけて徹底的に鍛えるという、今時珍しい本格的な指導方針の持ち主だ。
そのため、今この広い屋敷にも弟子はたったの二人しかいない。
その二人の弟子たちもこの日、10年にも渡る長き修行の日々を終えて旅立ちを迎えようとしていた。
「師匠、今までお世話になり申したぜよ」
綺麗に掃除の行き届いた杉板張りの道場に、凛とした若い男の声が心地よく響いた。
野性味あふれる豹頭の男が、國原中弥斎に向かってしなやかな体毛で覆われた豹紋柄の頭を深く下げる。
「10年もの間、師匠にはみっちり稽古して頂き誠にありがとうございまーす。ワガハイ、コジロー先輩のように師匠から学んだ剣の腕を必ずや人々の役に立てて見せるのでありまーす」
今度はどこか間延びした別の若い男の大きな声が、元気よく道場の隅々まで響き渡った。
つま先から顔にいたるまで全身毛むくじゃらなその男は、國原中弥斎に向かって親指を立ててサムズアップポーズを決めて見せる。
豹頭の男はフェルパー族である。
フェルパーは猫科の動物から進化を遂げたといわれる種族で、全身を覆うしなやかな体毛と機敏な身のこなしが特徴だ。
一方、毛むくじゃらの男はムーク族である。
ムークはその起源の一切が謎に包まれた種族で、雪男を祖とする説や異次元や宇宙からやって来たのだという説もありルーツが定かではない。
全身をくまなく覆い尽くす、コモンドールという犬種にも似た縄状のその体毛のおかげで極めて寒さに強いという特徴を持つ。
「うむ。お主らもこの國原館より冒険者として旅立つ日が来たか。我が國原一刀流の極意を学んだその腕ならば、必ずや優れた侍となれよう」
國原中弥斎が二人の若き弟子に餞の言葉を送る。
すると壁一面に飾られた数々の刀の中から、國原中弥斎は一振りの刀を手に取った。
「宮本六九四にはこの名刀マンプクマルを授けよう。持って行くがよい」
ずっしりと重く、長い刀をムークの男へと手渡す。
「わわ、いいんでありますか? 貴重な本物の刀をワガハイのような若輩者に。師匠、どうもありがとうございまーす」
日本刀を始めとする古い刀剣での攻撃が迷宮でのモンスターに有効だと発見されて以来、その価値は年々うなぎのぼり。
世界中の冒険者たちから求められ、莫大な価格で取り引きされるレア物となった。
今では本物の日本刀はほとんど市場には出回っておらず、さらにそれが名のある名刀ともなるともはや伝説級のアイテム扱いだ。
その価値を知るムークの男は、師匠から刀を受け取ると象牙色をした全身の毛をぶるぶると振るわせて大喜びではしゃぐ。
「むふふ、師匠から名刀マンプクマルを頂きましたぞ」
さっそく隣のフェルパーの男に刀を見せびらかして自慢するムークの男。
「おまん、まっことええ物もろうて。くぅー、羨ましいぜよ」
それを見てフェルパーの男が心底羨ましそうな声で自分の額をぴしゃりと打った。
「ふふ、慌てるでない。坂本豹馬にはこのハネトラの脇差を授けよう」
國原中弥斎が壁の刀の中から先ほどのマンプクマルよりもやや小ぶりで反りの少ない刀を選びフェルパーの男に手渡す。
「おぉ、ハネトラか。げにええ名前の刀ぜよ。師匠、ありがとう!」
フェルパーの男が感激して受け取ったハネトラをまじまじと眺めると、ムークの男が負けじと自分の刀を腰に差してみたり抜いてみたりを繰り返す。
國原中弥斎は満足気な笑みで自らの白い顎髭を撫でた。
「うむ。それでは二人とも達者でな」
別れの言葉を受け、意気揚々と二人の弟子は國原館を後にした。
「ただいまぁー」
それと入れ違いに、大きな弓を背負った袴姿の眼鏡をかけた少女が道場へと駆け込む。
「おじいちゃん、ムックとピューマはどこ? まさかもう行っちゃったとか言わないよね?」
眼鏡の位置を直してキョロキョロと辺りを窺う少女。
「これ、弓を置いて着替えてきなさい弥生。ちょうど入れ違いでな。あの二人ならもう旅立ったわい」
しれっと答える國原中弥斎に少女が一瞬にして顔色を変えた。
「なんでよぅ。わたしが帰って来るまでは絶対に待ってねって、あれほど言ったのにぃー!」
よっぽど腹立たしいのかその場で地団駄を踏む少女に道場の杉板がギシギシと音を鳴らす。
「まあそういうこともあるわい」
何か嫌な予感がしつつも、國原中弥斎はその白くなった顎髭をただ撫でるのみ。
その様子に怒り心頭に達したのか少女が大絶叫する。
「なにが『そういうこともあるわい』よ! コジローの時もそうだったじゃない! おじいちゃんなんてもう大っっっキライ! こんな家、もう出て行ってやるぅー!」
捨て台詞を残して矢のように道場を飛び出す少女。
「あっ……待った、わしが悪かった弥生。ついうっかり忘れておっただけなんじゃ。許しておくれ~」
その背に必死で呼びかけたが、もう少女に声は届いていない。
かつてと同じミスを再び繰り返してしまった國原中弥斎であった。