国際裁判前日
国際冒険者裁判所の面会室。
裁判を明日に控えた僕の前に、弁護人のジューダスがにこにこと優しい笑顔で現れた。
「お待たせアキラ君。昨夜は良く眠れたかい?」
「あんまり眠れませんでした。檻の中だし」
明け方近くまで眠れなかったし、鏡を見てないけどクマでもできてそうだよ。
「それはいけないね。今からしっかりと本番に備えて英気を養っておくのも裁判では重要さ。さっそくだが、いいニュースと悪いニュース、どちらから先に聞きたいかな」
こういう時に僕が選ぶのは決まっている。
「じゃあいい方でお願いします」
僕の返事に緑色の髪を揺らして頷くジューダス。
「おめでとうアキラ君。西園寺氏は君を告訴しないそうだ」
えっ、誰だそれ?
ジューダスの言葉に思わずポカンとしてしまった。
「あの、西園寺って誰ですか? 全然心当たりがないんですけど……」
困り顔で尋ねる僕にジューダスは指を立てて答える。
「西園寺陽介。冒険者名ヨースケといえば分かるかな?」
「あいつか!」
忘れもしない、僕の冒険者デビューの日に酒場で絡んできた<新人殺し>と呼ばれてるガラの悪い善属性の僧侶。
僕自身は特に何もしてないんだけど、勝手な勘違いで色々と尾ひれが付いて、僕の悪評が広まる原因にもなったんだ。
「ネオトーキョーの西園寺財閥といえば世界でも有数の大富豪だからね。聖イグナシオ教会にも多額の寄付をしているんだよ。君を訴えたのが彼なのかどうか確かめておきたかったんだ。彼の父親に話を聞いたんだが、忍者恐怖症で引きこもった息子を心身ともに鍛え上げて一流の男にするために、"ロード・オブ・ハルバード"の異名を持つ世界最高のハルバード使いをノルウェーから招いて、直接の指導を受けさせているらしい。授業料もかなりの高額のはずだが、やっぱり大富豪ともなるとお金の使い方も派手で……おっと、話が脱線してしまったね。とにかく、世界有数の富豪を敵に回さずに済んでまずは一安心ってことさ。だが、そうなると何の容疑で誰に告訴されたのか気になるが……まあ心配いらないよ。何しろこの私が弁護をするんだからね」
そう言って自信満々にドンと胸を叩きウィンクするジューダスの姿がいやに頼もしく見える。
この人に任せておけばきっと僕の無罪を証明してくれる、そんな気がした。
「それで悪い方のニュースは何ですか?」
僕がそう尋ねるとジューダスはくせっ毛の髪をポリポリとかきながら口ごもった。
「裁判を前にこういうネガティブな話をするのはどうかとも思ったんだが。この情報が何に繋がるか私には判断が付かないから、きちんと話しておくよ」
ジューダスは真面目な顔で僕を見つめた。
えっ、何だか嫌に勿体ぶるな……というかガチで悪いニュースな予感がするぞ。
僕は不安に駆られつつジューダスの言葉を待った。
「アキラ君の仲間の戦士、サラ・カルボーネが『バタフライ・ナイツ』を脱退し、『イグナシオ・ワルツ』に加入してイタリアに帰国した。その理由なんだが、彼女の父が経営する会社『カルボーネコープ』が乗っ取られて破産したようだ。現在カルボーネ家は多額の借金を抱えて火の車らしい」
「そんな……サラが?」
まさか僕の逮捕だけでなくサラまでそんな不幸な目に遭っているだなんて。
立て続けにこうも不幸が重なるとは、どれほど幸運の神に見放されているんだよ。
僕とサラ、不幸と幸運……ダイス。
ダイス?
その単語が脳裏に浮かんだ瞬間、何か胸の奥で心がざわっとするような奇妙な感覚に陥った。
一体何だろうこの感覚は……。
何か大事なことを忘れているような、そんな気がする。
「大丈夫かいアキラ君? とにかく明日の裁判は私に全部任せてくれ。絶対に無罪を勝ち取ってみせるよ。そして一刻も早く彼女の元に駆け付けてあげるといい。エマニュエルから聞いたよ。君の大事な人なんだろう?」
ジューダスは人懐っこい笑顔を浮かべると親指を立てサムズアップした。
「よろしくお願いします、ジューダスさん!」
僕自身のため、そしてサラの力になるためにも明日は頑張るぞ!
僕はそう心に誓ったのだった。
欧州忍者ギルドは国連に認められた世界最高峰の忍者集団である。
その理事長を務めるのは、サスケ・カジモトという名の日系の血を引く忍者だ。
数百年に渡り先祖代々一族の者全員が忍びという、由緒正しい忍者の血を引くカジモトはその先祖たち同様、歴史の影に生きてきた。
55年前に『はじまりの迷宮』が出現した時には、自身の持つ常人を超えた忍びの力で迷宮攻略に挑もうかと考えもしたが、国連の認定した職業に忍者が含まれていないと知ると彼は急速にその興味を失い、また影に徹した。
だがその直後、国連がアイテムによるスペシャルパワーでの転職で隠し職業として忍者の存在を認め、忍者を上級職へと認定するとカジモトは速やかに動き、世界最初のスペシャルパワーを使わず一発で忍者に合格した冒険者となった。
今までの影の存在から一転表舞台で活躍するようになり、忍者として数々の偉業を成し遂げたカジモトは冒険者を引退後、自らの理想とする忍道の教えを若い冒険者たちに広めるため、欧州忍者ギルドを設立して理事長の座に就いたのだった。
カジモトの忍者にかけるプライドはただならぬものがあり、ギルドに所属する忍者たちは皆がそのカリスマに心酔しカジモトを『御屋形様』と呼んで崇め、日々の厳しい修行や任務をこなして忍びの道の精進に励んでいたのだ。
その日、スペインにある欧州忍者ギルドの本拠地、ギルドホール『八岐大蛇』のカジモトの部屋の前に、黒装束を着た一人の若い忍者が音もなく静かに現れた。
「御屋形様。風忍トキカゼ、ただいま戻りました」
「うむ。思ったよりも早い帰参であったな。入るがよい」
トキカゼと名乗る若い忍者がギルド長の許可を得て、匠の手による細工の施された和紙が貼られた障子を開けて室内へと入った。
柿渋を塗られた杉床の中心には風情のある囲炉裏、壁には古の侍が描いたとされる枯れ木の水墨画の掛け軸が飾られた、和のテイスト満載の趣ある部屋である。
囲炉裏の側に胡座をかいて座るのは、野性味あふれる獣毛のベストを着た猿を連想させる小柄な老人だ。
部屋の隅で畏まるトキカゼに対して欧州忍者ギルドの頂点に立つカジモトは、深く皺が刻まれた顔をゆっくりと動かした。
「例の『国際冒険者法』第五十五条違反容疑で明日裁判にかけられる少年の件だな。その様な不届き者が現れるとはまこと日本人の恥よ。仔細を申せ」
「ハッ。冒険者名アキラこと本名葉山旭。両親はおらず孤児。ネオトーキョーにて18歳で訓練所を卒業し悪の戦士として冒険者デビュー。パーティ『バタフライ・ナイツ』を結成し、一ヶ月も経たぬ内に日本最高難易度の未攻略迷宮『アングラデスの迷宮』を攻略。現在レベル22。忍者への転職条件を満たしている模様」
囲炉裏にかけられた鉄鍋がグツグツと茹で上がる音が響くと、カジモトは木蓋を開けて箸でつつき満足そうな顔をした。
「あそこはただの未熟者らの遊び場よ。それに付けても全職業の中でも俊敏にして一撃必殺、静にして動、動にして静、悪属性のみに許された最強上級職、忍者にならず未だ戦士のままとは愚かな……何を考えておるのだその坊主は。他に特筆すべき点はあるか」
「アングラデスの三層に潜伏していたオーク四天王『芸術王オルイゼ』の討伐に成功。迷宮外ではネオトーキョーに出現したトリプルGやグレーターデーモンを討伐と、活躍も多岐に渡っている様子」
その言葉を受けてカジモトは若い忍者にチラリと視線を向けた。
「ほう。オルイゼを倒したのは褒めてやりたいところだが、所詮は忍びでもないただの小童。儂が気にかける程の者ではあるまいて」
大して興味もなさげな口ぶりのギルド長にトキカゼは言葉を続ける。
「明日の裁判では『無敗のジューダス』が弁護をするとのこと。このままでは陪審員として出廷する御屋形様の投票結果に関わらず、恐らくアキラの無罪は間違いないかと思われます」
「その様な小僧の一人や二人、有罪になろうが無罪になろうがどうでもよいわ。本来ならば欧州忍者ギルドの代表たるこの儂がわざわざ陪審に赴くに値せぬ、くだらぬ案件よ。まこと立場というものは人を縛る不自由な鎖よな」
完全に興味を失った様子で鉄鍋に箸を伸ばしたカジモトの前に、トキカゼは懐から何かを取り出して進み出た。
「実は……証拠品として国際冒険者裁判所に押収されたアキラの所持品を密かに検めた折、この様な物が見つかったため急ぎ戻った次第です」
そう言ってトキカゼはギルド長に一枚の紙を恐れ入りながらも手渡す。
そこには、ある水準を超えた忍び『ニンジャマスター』が用いる独特の字体でこう書かれていた。
『アキラ殿 あなたは類稀なる才能を発揮し、見事な活躍をしたことをここに認めます 服部』
一見ただの表彰状の類に思える何気ない文面だが、それは見る者によっては特別な意味があったのだ。
それを見たカジモトは激しく動揺し、よろめき、鉄鍋をひっくり返し、驚愕から一転怒りの形相を浮かべた。
「ば、馬鹿な……あやつが生きていて、み、認めたと言うのか? 忍者でもない、ただの訓練所上がりの青二才を!? ……くくっ、よかろう。ならばあやつが嘆き苦しむ様、その餓鬼にとくと地獄を見せてくれるわ! 霧忍を呼べい!!」
トキカゼが速やかに立ち去ると、カジモトは鬼気迫る表情でぎりぎりと奥歯を噛み締め、掴んだ箸をシュッと投げて貴重な水墨画ごと背後の壁を貫通させた。
「認めてなるものか、邪道の忍びなど……。あやつの系譜を継ぐ者などこの世界には不要。最強の忍びに相応しいのは、この儂が手塩にかけて育てた弟子たちよ!」
カジモトはアキラが訓練所のオジサンから貰った紙を忌々しげに握りつぶすと囲炉裏の火へと焚べた。