種族封印兵器オーブ
太陽系第9惑星『プラネットナイン』、地球の4倍近い大きさを誇る惑星である。
その星は単一の種族が支配する星ではなく、銀河の果てのありとあらゆる星からこの巨大な星を目指して辿り着いた『銀河移民』たちの子孫が、それぞれの種族ごとに平和に暮らす星であった。
少なくとも数千年の間は。
その広大な土地とありあまる資源、いくつもの異なる種族、長い平和が生んだ倦怠感、そして銀河の星々から持ち込まれたテクノロジーは、やがて大規模な戦争へと発展していったのだ。
『プラネットナイン』での戦争はそのテクノロジーゆえに高度化していき、ついには対立する敵の種族を殺すのではなく、星に存在する種族を丸ごと封印する禁断の兵器『オーブ』を生み出すに至った。
『オーブ』はとても小さな球状の物体で、その中には次元から切り離された別の空間が存在しており、封印したい種族の名を認証させるだけで惑星内にいるその種族全員を内部に時を止めたままの状態で閉じ込めることが可能、今までの兵器と違い殺人に対する忌避感や都市への被害もない。
ひとつ作るのにも莫大なエネルギーを必要としたが、どの種族も生き残りをかけて必死でこれを作った。
『オーブ』に封印した種族を解放するためには極めて複雑なプロセスが必要で、作ることができたこの星のテクノロジーでも一度封印されたら種族を再び解き放つことも、『オーブ』を破壊することもできなかったのだ。
そんな『オーブ』の登場はこの星の滅びの始まりでもあった。
次々と危険視された種族が封印の憂き目に遭い星から姿を消し、残る数種族のみとなった時にようやく暗黙の了解で休戦協定が結ばれ、戦争はひとまず終わりを迎える。
それは信頼や和平、戦争からの教訓などという生温いものではなく、大きなこの星の社会を回していくには一種族では無理という打算的な考えによる、危ういバランスの上に成り立っていた休戦であった。
いつでも敵種族を封印可能な究極の兵器を持ち、互いを信じられなくなっていたこの星の住人たちは、休戦から数十年後、その均衡も破ろうとする。
終わりを悟ったある種族の科学者は、自らの種族が持つ残る全ての『オーブ』と一緒に幼い我が子を冷凍睡眠させて救命艇で別の星へと送り出す。
その後、『プラネットナイン』は無人の惑星へと変わり果てた。
『プラネットナイン』唯一の生き残りとなったその子に科学者が付けた名は、ナイン・タイル・キア。
大型の獣への変身能力を持つ屈強な種族の女児であった。
地球に運良く辿り着き目覚めた彼女は、気の遠くなるほど長い冷凍睡眠の弊害で一切の記憶を失い、野生動物同然に山野で一人生活をする。
だが、その屈強種族の血は野にあっても埋もれることを許さず、やがて彼女は自らをより上位の存在へと高める術を見出し『神』と名乗る。
種族を増やさねばならないという使命感を本能として自覚しないままに感じたのか、彼女は一国を手中に収めると人々を快楽の虜にして支配した。
そのままならば、『魔王』出現を待たずして人類最大の敵となりえたかも知れなかったが、そんな彼女の運命を変える者が現れる。
東の小国よりやって来た『くりてかるぶれいどう』という不思議な技で太刀を振るう若者だ。
その技で若者に打ち負かされて改心した彼女は、人類を見守る存在として悠久の時を生きる選択肢を手に入れたのだった。
めでたしめでたし――。
では彼女と一緒にこの星に持ち込まれたはずの『オーブ』はどうなったのだろうか?
それからさらに1000年以上の長い時が経った。
アメリカと呼ばれた国の『地獄都市デビルシティ』にある『はじまりの迷宮』最深層、第十層の奥深く。
怒れるミノタウルスをもたちまち虜にするという魅力的な声でその人物は呟く。
「まだ来ないのか、冒険者と名乗る者たちは。一体いつまで余はこんな薄暗くてじめじめした場所で待てばよいのか」
その人物が玉座に座ったまま、従者である赤鼻の道化師が差し出した真っ赤な果実をかぷりと口にすると、血のような赤い汁がその手から滴り落ちる。
青い髪を頭の上で縛りそれを腰の高さまで伸ばした、純白のローブの上から半透明の羽衣を纏う、折れそうな程細く華奢な絶世の美少年と美少女、そのどちらにも見えるミステリアスな人物だ。
額には金色に輝く2本の角が突き出ており、人間ではないことを雄弁に物語る。
その人物こそ、地上を中世レベルの文明にまで後退させた『魔王イブリース』であった。
「いっそのこと、余自らが地上へまた出向いてやってもよいのだぞ?」
するとイブリースの側に、右目に銀の鎖付きの片眼鏡『次元モノクル』をかけ、左右の口髭を上向きに伸ばし立派なカイゼル髭を生やした、フリルのついた白いドレスシャツを着た清潔な身なりの中年の男が、ふわりと空中から舞い降りてぺらぺらと喋り始めた。
「駄目ざぁすよ坊っちゃん。魔界のしきたりでは地上にノコノコ出ていって戦うのは三流の魔王のやること、一流の魔王は迷宮の奥深くで勇者が来るのをひたすらじっと耐えて待つものざぁす。それを見事返り討ちにしてこそ、晴れて坊っちゃんの名声も魔界中に轟くというものざぁすよ。まあ冒険者ごときが何人束になろうと坊っちゃんの相手になるはずもないざぁすが、これもしきたりだから耐えるしかないざぁす。それに、忘れたざぁすか? 前に地上に出て坊っちゃんがお披露目の挨拶をした時も、人間たちの格好のネタにされたざぁしょ。坊っちゃん程の超絶美形となると人間も放って置かないざぁす。その姿を収めた世界中の機械は坊っちゃんの力で停止させたものの、こういう『黒歴史本』だけはどうにもならなかったざぁすよ」
中年の男が差し出した薄い本には、半裸の青い髪をした美少年が悩ましい顔で描かれており『ボクらの禁断の夏 イブリース様総受』との題名が書かれている。
それをパラパラとめくったイブリースの表情はたちまち凍りついた。
「……これは、まさか余か? 余がなぜオークや人間と…………今すぐ余は地上に出向くぞ。こんな真似をした者は、草の根分けても必ず探し出して、八つ裂きにしてくれる」
その様子にやれやれといった顔で、何故かずっと左目を閉じたままの中年の男はイブリースをたしなめる。
「そんなことをしたらまたネタが増えるだけざぁすよ。魔王たる者、どっしりと構えて多少の雑音は無視するぐらいの器も時には必要ざぁす。それにしても坊っちゃんが迷宮に居を構えてもう2年経つというのに、本当にだぁ~れもここまで来ないざぁすねぇ……。ヴァンパイア族にデーモン族、ジャイアント族にドラゴン種と、契約モンスターを奮発しすぎて迷宮の難易度がちょっと高すぎたざぁすか? い~や、これぐらいは乗り越えてもらわないと坊っちゃんの相手などとても務まらないざぁす」
イブリースは静かに中年の男の言葉に耳を傾け、赤鼻の道化師から差し出された水差しをグラスで受け取ると、冷たい水で喉を潤していつもの冷静さを取り戻した。
「やはり貔貅とか申した中国のモンスターが献上した宝珠で、あの三種族を封印したのは余の誤ちであった。力、知恵、運に極めて優れたあの種族の者たちが冒険者となれば、ここまで無為に待つこともなかっただろうに。人間は呆れる程に弱すぎる。そういえば三種族を封じたあの宝珠はどうしたのだ?」
青く長い髪を揺らしてイブリースが尋ねると、中年の男はピンと張った自慢のカイゼル髭をつまむ。
「ドラッケン伯爵が厳重に保管してるざぁすよ。近々絶対に冒険者が取りに行けない環境を作ってそこに置くつもりらしいざぁす。それじゃ久々に坊っちゃんの顔も見たことだし、わぁ~れはそろそろ魔界に帰るざぁす」
中年の男がばさりと黒いマントをどこかから取り出すと、イブリースが端正な顔を驚きの表情に変えて、少年のような声を出す。
「えっ? もう帰ってしまうのかクアトロ? しきたりでは、代々一流の吸血鬼と道化師が余のお供をするのだと言ったではないか」
拗ねるようなその態度を見て、吸血卿クアトロは曲がった鷲鼻を高々にニヤリと笑うとマントを翻した。
「わぁ~れの代わりは優秀なメスメロ伯爵がしっかり務めるから何も心配はいらないざぁす。次に会う時は冒険者を返り討ちにして魔界へ凱旋する時ざぁすよ。坊っちゃんそれじゃ、グッバ~イ」
陽気な言葉を残して、魔界最強ではないかと密かに噂されている吸血卿の姿は闇の中にかき消えてしまった。
赤鼻の道化師が心配そうに見守る中、イブリースは可哀想な程しょんぼりと肩を落として少女のように両手でグラスを抱えてまた水を飲んだ。
精神的に昂ぶったり不安で落ち着かない時はまず水を飲めと、イブリースは幼い頃から亡くなった父にそう教えられていた。
地上の全ての機械を不能にする程の絶大な魔力と優れた頭脳、魔王という高い地位とは裏腹に、イブリースはまだほんの子供であったのだ。
「人界では可愛い子には旅をさせよと言うらしいざぁすが、さしずめ魔界ならば可愛い魔王に迷宮のボスをさせよと言うところざぁすかね。あんな場所でいつ来るか分からない冒険者を待つのはさぞかしツライざぁしょが……頑張るざぁすよ、坊っちゃん」
魔界に帰ったクアトロは胸元から清潔な白いハンカチを取り出して涙を拭い、すぐに気分を変えて黒いマントをばさっと広げ、その奥に隠した数百冊の薄い本を確認し『次元モノクル』を光らせ、満足気に頷いた。
「これらの本からは坊っちゃんに対する『愛』がひしひしと伝わってくるざぁすから、わぁ~れの『二次元マント』の中のコレクションに加えておくざぁす。それにしても人間の中にも、思わず守ってあげたくなるような坊っちゃんの儚い美の理解者がいるんざぁすねぇ……特にこの病室で恋人が訪ねて来るのをいじらしく待つ、余命わずかの病弱な坊っちゃんの本は歴史に残る名作としか言いようがない、甘く切ないストーリーざぁすよ。続きは部屋でゆっくり楽しむとするざぁす」
マントの奥から取り出した『神様、もう一度だけ…… イブリース様病弱受』と題名が書かれた薄い本を手に、イブリース本人が聞いたら間違いなく激怒するであろうことを口走りながら、クアトロは嬉しそうに豪華な幻想宮殿の自室へと帰っていった。
この3年後、二刀流を使う侍クニハラが率いる人間、エルフ、ドワーフ、ノーム、ラウルフで構成されたパーティ『心剣同盟』により『魔王イブリース』は討伐される。
魔界一番の実力者となった吸血卿クアトロはやる気をなくし、『坊っちゃんのいない世界は主役のいないオペラのようで面白くないざぁす』と執事たちに告げ、イブリース復活のその時が来るまで幻想宮殿で眠りに就くことにした。
それから数十年の時が流れた。