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許されない存在

私の就職を1番喜んだのは恐らく父だろう。

父は私の就職先を聞くと、親戚中に電話をかけて自慢した。

体裁の悪い娘は、ただ一流企業に就職しただけで自慢の娘になった。

私といえば、この頃既に病院でうつ病と診断されていて、安定剤、睡眠導入剤の他に抗うつ薬も処方されていた。

そのため、次の職場に変わる前に1ヶ月の休みを作った。

ちょっと休んで、やりがいのある仕事に就けば治るだろうー

全く危機感はなかった。

ちょうどこれと同じ時期に私たちは家を買った。

私たちに貯金はなかったが、お互いの両親が頭金を貸してくれたし、旦那も知名度のある会社の社員だったので、そこそこの家を買うことができた。

私は休みの間も、朝起きて、日中は本を読んだりして過ごし、仕事をしていたときと同じ時間に寝るという規則正しい生活をして、薬も処方通りに飲んだ。

ただ、次の仕事は決まっているのに気分は晴れない。

周りから見れば明らかに成功者なのに、何故か憂鬱だった。

1ヶ月はあっという間に過ぎた。


新しい職場も、やはり忙しかった。

しかし、今までよりも大きな仕事をすることができて、やりがいがある…はずだった。今までの自分なら。

私は正社員として働いていた時間が短いぶん、いろいろな現場、ポジションで即戦力として働くことが常に求められる状況だったので、職場適応力には自信があったし、経験値も積んできたつもりだった。

しかし、何故か仕事が楽しくない。

モチベーションが持てない。

馴染めない。

確かに、新しい職場との相性が良くなかった可能性は否定できないが、仮にそうだとしても、「常に最善を尽くす」という、私が心掛けてきたスタイルで働くことができなかった。

それまで「努力」して道を切り開いてきたのに、「努力」できない。

それが何故なのか、理由もわからない。

初めて自分自身に裏切られた気分だった。

私は徐々に出社できなくなり、薬を飲んでも眠れなくなり、いきなり泣き出してみたり、完全に自分をコントロールできなくなった。

新しい職場に移って僅か4ヶ月でドクターストップがかかった。


仕事ができないー


これは、仕事に生きがいや自分の存在意義を見出だしていた私にとって、もはや絶望でしかなかった。


死にたいー


希死念慮に取りつかれた。

この頃私は引っ越しのため、病院を新しい家の近くに変えていた。

旦那は平日仕事に行くので、家には私ひとりになる。

そうすると不安やパニックに襲われて、病院に電話したり、点滴治療を受けたりした。

そんなある日、医師に言われた。


「ご両親と一緒に病院に来てもらえませんか?」と。


「それは無理です。両親は私の病気を知りませんし…、ちょっと変わっているので…」


「だけども、あなたが元気だった頃を私は知らないので、元々どういう気質なのかを知りたいんです。あと、うつ病の治療にはご家族の協力が必要です。旦那さんだけでは仕事もあるでしょうし、大変でしょう」


「…」

反論できなかった。


仕方なく親に電話をすると、

「うつ病で休職中!?で、なんで俺たちが病院に行かなきゃならないんだ!!」


…予想通りの反応だった。


「なんか、治療に協力してほしいとかで…」


父は不満だったようだが、このときは母が心配してくれて、病院に一緒に行くと言ってくれた。

しかし、私は不安で仕方なかった。


そして両親と病院に行った。

医師は、両親向かって、


「お嬢さんはどんなお子さんでしたか?」

と聞いた。


父も母も

「いや、それはもう、ごくごく普通の子どもで…そんな特に気になることもなかったし…」

2人とも、ひたすら「普通」を繰り返した。


普通…?あれが普通?

…やっぱり呼ばなければ良かった…

そう思っていると、ふと母が言った。


「結婚してから変わったとしたらわかりませんけど…」


!?

旦那のせい!?


このとき私は全てを思い出した。

自分がどういう育てられ方をしたのか。

大学で学んだ人格障害、そして自分の未来…

仕事は確かに病気のきっかけにはなったかもしれない。

だけど…私の心に地雷を仕掛けたのは、今ここにいる2人だ…!


医師は両親から話を聞くのは諦めたようで、

うつ病の治療は時間がかかること、家族の協力が必要なことを説明して診察を終えた。


病院を出たとたん、父に怒鳴られた。


「なんでお前、仕事で疲れているって言わないんだ!これじゃ俺たちが悪いみたいじゃないか!!」


続いて母が言った。


「もう病院には行かない。なんで私たちが責められなきゃならないの…」


…それがうつ病の娘に掛ける言葉か…

今すぐ目の前で死にたいくらいだった。

その日の夜、私は初めて大量服薬をして家で倒れた。

たまたますぐに旦那が仕事から帰ってきて、大事には至らなかった。


目覚めた私は、旦那にその日のやり取りを説明した。


「そうか…、それなら俺からお義父さんに話をしてみるよ」


「ムダだと思う…」


「まあ、そう言うなよ」

旦那はまだ父を信用していた。


後日、父と旦那は話し合いの場を持った。

そのときの話の内容は、後になって旦那から聞いた。


父は旦那に対してこう言ったらしい。


「うちの娘がうつ病になんてなるわけないじゃないか!むしろ優秀な娘なんだ!仕事したくないだけだ!」と。


普段は温厚で、滅多に怒らない旦那も、このときはキレたという。


「自分の娘が、病気で苦しんでいるんですよ?仕事もできなくて、毎日不安で、眠れなくて…。ゆきは、病気なんです!わかってください!」


「眠れないなら起きていればいいじゃないか!人間なんだから、疲れれば眠れるんだ!何もしていないから眠れないんだろ!」


このとき旦那は理解した。

私の両親は、おかしいと。


一方で、私の希死念慮はますます強くなっていった。

度々大量服薬を繰り返すようになった。

意識がなくなるまで薬を飲み続ける。

倒れている私を旦那が見つける。

致死量の薬を飲むことはないだろうが、別の方法で死のうとしたら危ない。24時間誰かが傍にいる必要がある。

医師は旦那にそう告げた。

そうは言っても…

自分には仕事がある。やっぱり親しか頼れない。

むしろ、普段の私の様子を見れば、親も娘の病気に気づくかもしれない。旦那はそう考えた。

私は、旦那も一緒に私の実家に来てくれるならそれでいいと言った。

私の実家もまた、それで構わないと言って、私たちはしばらく実家で過ごすことになった。


しかし、何事もなかったのは、最初の数日だけだった。

旦那が家にいるときは親は何も言わない。

だが、旦那が仕事に行くと態度が変わる。


「部屋に閉じこもって何してるの!」

母に怒鳴られる。


「お前は何なんだ!いつもいつも不機嫌な顔して!」

父に怒鳴られる。


その度に薬を飲みたかったが、私の薬は全て旦那が管理していたので、飲めなかった。

寝る前になると旦那からその日の薬をもらう。


「何でそんなにたくさんの薬を…しかも、何で直樹くんが持ってるの?」

母に聞かれた。


「眠れなくて薬が増えて…私が持ってると飲み過ぎちゃうから…」

母はため息をついていた。


私は私の現状を両親に理解してもらいたかったし、旦那もまた、私の日々の態度は病気だからなのだと度々両親に話をしたが、理解どころか、私たちの存在は両親にとってストレスにしかならなかった。


「大体何で直樹くんは自分の実家に帰らないんだ!お前が引き留めているのか!!」

ある日父に怒鳴られた。


「うん…彼に面倒みてもらわないと不安で…」


「俺だってお母さんだっているじゃないか!何が不満なんだ!」


…もう無理だ…

無理なのは私だけじゃない。

毎日説明しても、一向に娘を理解しようとしない両親に旦那も疲れはてていたと思う。

私は旦那と医師に自殺しない約束をして、実家を離れた。

それと同時に、精神疾患のいい先生がいるからということで、紹介状を書いてもらい、病院を変えた。


私たちが自分の家に戻ってすぐにまた別の不幸があった。

旦那の両親が2人揃ってがんを発症した。

2人とも手術のため、入院した。

旦那は当然面倒をみたかったと思うが、仕事もあるし、私のこともある。

私は長男の嫁として、本来なら協力すべきだができない。

結局、旦那より8歳歳上の義姉が結婚して近くに住んでいたため、面倒をみることになった。

この話を私の両親にしたところ、

「直樹くんも親の傍にいたいだろうし、お前はしばらく実家で過ごしたらどうか」と言われた。

また、彼の両親からも、

「ゆきちゃんにはしばらく実家にいてもらうことはできないか」

と言われていた。

彼の両親には、私が病気であることは伝えていたが、それ以上の話はしていなかった。

私が実家に戻ったらどうなるかー

私と旦那からすると、それは恐ろしい話だった。

旦那はやむなく、私の両親について、自分の父、母、姉に話した。

その話に彼の母は激怒し、父は黙り込み、姉は驚いた。

「自分の娘が病気なのに面倒をみない!?苦しんでいるのに助けない!?」

理解されないことはわかっていた。

彼の家族には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

本当に死にたかったが、大量服薬すればまた旦那に負担がかかる。

離婚すれば旦那を解放できるが、そうなれば私は親元に連れ戻されるだろう。

それに、私にとって旦那は世界でただひとりの味方だった。

罪悪感と絶望、恥、不安、恐怖、ありとあらゆる感情が身体症状として表れた。不安発作、パニック、過呼吸、離人症…薬は異常なスピードで増えていった。

たまに彼に連れられて彼の両親の見舞いに行ったが、私が普通の状態でないことは誰から見ても明らかだっただろう。

私は、着替えることさえほぼできなかったし、話すこともできなかった。ただ、彼の両親を見ると涙が溢れ、黙って頭を下げ続けた。

幸い義母は命をとりとめたが、義父は助からなかった。

がんが見つかってから半年ももたなかった。

義父はどんな思いであっただろう。

どれだけ息子を心配したことだろう。

孫の顔を見せてあげることすらできなかった。

ごくごく普通の、小さな幸せを、私は義父になにひとつ送ることができなかった。

そしてそれは、もう決してできないことなのだ。

私は許されることはないだろう。

義父にも、そして、義母にも。


私にとっても辛い出来事だったが、旦那が受けた衝撃はそれ以上だった。

元々仕事が忙しい上に、私の面倒、私の両親との衝突、そして、父親の死ー

旦那も会社に行けなくなった。診断はうつ病だった。

旦那が休職して家にいるおかげで、私の自傷行為は治まったが、今度はお金に困った。

家のローンに車のローン、それに、元気だったときに遣ったクレジットカードの支払い…

旦那と私が休職して払える金額ではなかった。

旦那の母は年金暮らしで相談できない。

旦那は嫌がったが、お金に困っていない私の両親に頼むしかなかった。

…何もしてくれないんだから、お金くらい出してよ…

これが私の本音だった。

親に頼むと、何でそんなに金がないんだ、とか、身分不相応だとか、何に遣ったのか、とかそもそも父親が死んだくらいでうつ病とか弱すぎるとか、愚か者とか、ここぞとばかりに責められたが、それなりにまとまった金額を貸してくれた。

しかしそれでも、数ヵ月生活するのがやっとだった。

結局私たちは家を売ることにした。

幸い、買ったときよりも数百万高く売れたことと、旦那が仕事に復帰できたことで、私たちは別のマンションを買うことができた。

親からは、家に親を招待すらしないのか、とか、何でわざわざ遠くに引っ越すんだとか、土地を転がして生活する気か、とかいろいろ言われたが、説明してもしなくてもどうせ怒られるだけだし、放っておいた。

ただ、旦那の母には申し訳なかった。

私は結婚するときに、旦那の両親がいつかひとりになったら同居してほしいと言われていて、それを承諾していたが、旦那の母も高齢で、恐らくうつ病は理解できないだろうし、今は別々に暮らしているから同情されるが、一緒に生活して、家事もせず寝たきりの嫁を見れば許せなくなるだろうと思い、同居はしなかった。

旦那も同じ考えだった。

この頃の私は、また違う症状を見せ始めていた。引き込もってばかりの日々が続いていたのに、時々外に出たくなる。お金を遣いたかった。

着ていく場所もないのに、働いていたときのように洋服を買い漁った。お金を遣うと、気持ちがスッキリした。

復職したら返せるしーそれくらいにしか考えていなかった。

実際医師も、外出できるようになったことは快方に向かっていると判断していたし、これでいいと思っていた。


そして私は、休職期間ぎりぎりで復職した。


しかし、それは到底無理なことだった。

大量の薬を飲みながら働くことがそもそも無理だったし、集中力も体力もない。

たまに外出ができる程度なのに、働くことなどできるはずもなかった。

結局私は仕事を辞めた。

残ったものは多額のローンだった。


旦那は半年で復職できたのに、何で私はできないんだろう…

遣ったお金を支払うこともできない…

また絶望の日々が始まった。

お金については本当に困って、親に泣きついたが、

「金がないなら仕事しろ」と言われた。

でも働けないー私は再び大量服薬を繰り返すようになった。

集中治療室にも何度入ったかわからない。

病院で目覚めると旦那がいる。

「親は…?」

私が聞くと、

「連絡はしたんだけど…」

旦那が気まずそうに言った。


この頃私は医師に、親とは連絡を取らないよう言われていた。


「なぜですか?」

私は聞いた。


「ご両親と話すと、薬飲んじゃうでしょう?」

医師は言った。


私はずっと聞きたかったことを医師に聞いた。

「親って、無条件で子どもを愛してくれるものではないんですか?心配してくれるものではないんですか?」


医師は少し迷って、こう言った。


「世の中には、子どもを愛せない親もいるから…」

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