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社会人から結婚、そして異変が…

私が就職したのは、実家と同じ市内にある、社員100人ほどの家族経営のIT企業だった。

採用されたときの業務は「パソコン教室の先生候補」だったので、私は父に頼んで当時は割と高額だったパソコンを買ってもらい、入社日までに何とか使いこなせるよう練習した。

Windowsが何とか使えるようになった頃、勤務が始まったが、私は「パソコン教室の先生」ではなく、「システムエンジニア」として、システム開発の仕事を任された。

その頃はITバブル期で、IT業界は猫の手も借りたいほど忙しかったからだ。

私はほぼ何の研修もないまま、いきなりシステム開発会社の二次受けとして、客先常駐のシステムエンジニアになった。

そこはWindowsではなく、Unixという、また別の端末での作業があり、しかもシステム設計から任されるという、何から何まで私には初めての体験で、知識も全くなかった。

同じ会社に常駐していた社員は、管理職2人、中途採用者1人、新卒は私を含めて3人いた。

新卒の他の2人は、大学、専門学校でそれぞれ情報処理工学を学んでおり、全く知識がないのは私だけだった。

誰もが私は役に立たないだろうと考えたのは言うまでもない。

そんな中でただひとり、私をシステムエンジニアとして育てようとしてくれた人がいた。

客先のリーダーの友井さんだった。

友井さんは非常に厳しい人だったが、私の知識のなさをバカにするような人ではなかった。

知らないことは教えてくれた。考えればわかることは、考えるようにと言われた。致命的なミスは責任を取ってくれるが、私が気をつけていれば防ぐことができたはずのミスに対してはひどく怒られた。

私は、友井さんに育てられて急成長した。手探りで始めた仕事も、気がつけば楽しくなっていた。システムが完成、リリースしたときの達成感は今まで感じたことのないものだった。

ただ、仕事自体はハードワークで、残業、休日出勤は当たり前だった。納期を守るためには仕方のないことだったし、仕事とはそういうものなのだ、と私は納得していた。


しかし、私の親、特に父親は納得しなかった。

私の勤務先はたまたま22時までしか残業できない決まりがあり、22時に仕事は終わるが、それから家に帰ると家に着くのは0時近くなる。ごくたまにそれより早く仕事が終われば同僚と飲みに行ったりもしていたので、私が家に帰るのは、いつも深夜だった。

客先常駐になってから1ヶ月ほど経ったある日、いつものように深夜に帰宅した私を、父親が鬼の形相で待ち受けていた。


「こんな時間まで、何をやってるんだ!」


「何をって…仕事だけど…?」


「女の子をこんな時間まで働かせる会社なんて、あるわけないじゃないか!この嘘つきが!」


「…」


もう、殺意が沸きそうだった。

ただでさえ、毎日休みなく働いていて疲れているのに、少しでも睡眠時間を確保したいのに、仕事が終わって家に帰ると父親に怒鳴られる。


「毎日毎日こんな時間に帰ってきて、ご近所さんにどう思われるかわかってるのか!」


嘘じゃねーし!しかも結局体裁かよ!

お前一体何なんだよ!


しまいには会社に電話すると言い出した。

そんなことはやめてくれ、そんなことされたら仕事がなくなるではないか、私はこの仕事が好きなんだー

涙をこぼす私を見て、珍しく母が止めてくれた。


しかし、母も決して納得していたわけではない。

ある日母に言われた。


「あんたのせいで、毎日毎日家の中が暗くなる。もう出ていきなさいよ」と。


一人暮らしかー

家事はできないけど、どうせ家では寝るだけだし、お金もあるし、それでいいかも…

私は雑誌を買ってきて、家探しを始めた。

それを見た母が激怒した。


「あんたはなんで自分の行いを反省しようとしないの!なんでそんなに愚かなの!」


「…」


だから仕事だっつってんだろ!いい加減にしろ!


こんな毎日は3年続いた。3年後に弟が同じくIT企業に就職したのだ。弟は私より忙しかった。そして恐らく、女性も同じように遅くまで働いていると親に言ったのだろう。それから何も言われなくなった。


私は結局友井さんの元で2年働き、会社を辞めて派遣社員になった。理由は単純だった。会社という組織の中で、年功序列で偉そうにしている管理職や、何もしない上司、そんな人たちの尻拭いまでしなければいけないのが嫌だった。自分に組織は向いていない。一匹狼で仕事をして、自分の実力だけで評価されたかった。

父親は反対した。正社員じゃなければ、この先の収入が安定しないという理由だった。

それはある意味正しいかもしれないが、その頃は派遣社員でも仕事には困らなかったし、むしろいろいろな職場やシステム開発を体験したかった。システムエンジニアとして、経験を積みたかった。


私が派遣社員になってすぐに、父方のいとこで、1歳年下の女の子が結婚することになった。だから、結婚式に参加するよう父に言われた。

しかし、私は休日出勤しないと仕事が終わらない。だから新潟まで行くのは無理だと父に言った。


「いとこが結婚するのに、仕事のほうが大事なのか!」

また父に激怒された。


そりゃそうだろう。いとこと言っても10年以上会っていない。父は自分ひとりで毎年里帰りして、いとこの成長を見ていたんだろうが、私にとってはもはや他人だ。仕事を終わらせるほうが余程重要だ。

結局、母が私の名前で祝電を出したらしい。

大変ですね、体裁を守るって。


仕事のほうは、相変わらず順調だった。成功が信頼を作り、新しいチャンスが生まれる。チャンスを掴めばまたその先に未来がある。

楽しくて仕方なかった。私はどんどん仕事にのめり込んでいった。

職場で彼氏もできた。同業で、仕事にも理解があり、優しく穏やかな人だった。

この人なら、結婚しても仕事を続けられるし、お互いにいい影響を受け合えるパートナーになれるかも…初めて結婚を意識した。

その頃、たまたま以前一緒に働いていた人から、フリーランスの直接契約の話を持ち掛けられた。派遣会社にマージンを取られない分、待遇は格段に良かった。もちろん私はその話に乗った。

ここでも仕事は順調だった。フリーランスの立場でありながら、マネージメントを任されるようになった。

地球は私を中心に回っていた。


ーしかし、今考えると、この頃私は既に踏んでしまっていた。大学生のときに感じた心の地雷をー


異常行動はいくつかあった。

記憶がなくなるまで酒を飲む。

また、私には金銭感覚が全くなかった。

手に入るお金は全て酒と洋服に消えた。

貯金する、とか、そもそもそんな発想もなかった。

しかし、私は自分の異常に全く気づかなかった。

何故なら、生活に全く困らなかったからだ。


30手前になった頃、彼との結婚を決めた。

ただ、結婚となると、親に話さなければならない。

彼には、自分の親が変わっているとは話していたが、両親はどう反応するか…不安だったが、話してみた。


「私、結婚しようと思っていて、その人に会ってもらいたいんだけど…」


話を持ち掛けると、いきなり母が泣き出した。


「なんであんたはそんな大事なことを勝手に決めるの!大体、その人を家に連れてきたこともないじゃないの!」


…当たり前だ。あんたたちになんて会わせたくないんだから…


「いや、だから、近いうちに挨拶に来るから…」


「私は反対です」


母はそう言って自分の部屋に行ってしまった。


「お母さんはびっくりしただけだから…日にちを決めなさい」


かろうじて父にそう言ってもらえた。


そして彼を親に会わせる日ー

父と母は朝から怒鳴り合いの喧嘩をしていた。

どうやら店が決まらないらしい。


「だったらお前の勝手にしろ!」


「もういい、私は行かない!」


…最悪だ。彼が挨拶に来る日なのに行くとか行かないとか…

私の人生をどこまで邪魔するの…?


涙が溢れた。

私は家を飛び出した。

それを弟が追ってきた。


「姉ちゃん!」


私は黙って振り向いた。


「俺が何とかするから!連絡するから、彼氏のとこ行ってな」


弟が仕切ってくれたおかげでなんとか挨拶できることになった。


言われた時間に店に行くと、父母弟はもう着いていて、父と母は普通に会話していた。


2時間程食事をしながら会話した。

私はいつおかしなことになるかとハラハラしながら時間が過ぎるのを待った。


しかし、取り立てて問題もなく食事会は終わった。


「今日はありがとう。ごめんね、気遣ったでしょう?」


彼氏に言うと、


「お前が変わってるっていつも言ってたから、どんなご両親かと思ってたけど、いいお父さんとお母さんじゃないか。俺は好きだよ。今まで育ててもらったんだし、結婚したら一緒にいろいろ親孝行しような」


そう言ってくれた。


ーそうか、やっぱり育ててくれたんだから親孝行すべきだよね。彼と一緒ならできるかもしれないー


「うん」


彼で良かったー

本当にそう思った。


その数日後、今度は私が彼の両親に挨拶をした。


彼の両親を一目見ただけでわかった。

この人たちは、いわゆる「普通」の両親だ。

優しくて温かくてー

何より彼を愛している。

特に、彼の母にとって彼は自慢の息子だった。


正直、私は不安になった。

この人たちと上手くやっていけるだろうかー

問題は、彼の両親ではなく、温かい家族を知らない私のほうだった。


結婚式はハワイで挙げた。

私はフリーランスで仕事をしていたし、彼も人事異動になったばかりで職場の上司に出席してもらうのは申し訳ないという理由と、家族で海外に行く機会なんて滅多にないのだから、これも親孝行になるんじゃないか、と考えたからだった。

私は父が飛行機関係の仕事をしていたので、何度か家族で海外旅行に行っていた。

一方、彼の父もまた、海外のあちこちで何年も仕事をしており、いつか家族を海外に連れて行きたいという夢があった。

彼の家族もまた、大変喜んでくれた。


皆に祝福され、喜ばれ、私は改めてやっぱり親孝行しようと思った。


しかし、恐れていた問題はすぐに起こった。

私の親戚への挨拶のための食事会のときだった。

両親の実家がある新潟で、父と母の身内が集まり、私たちは挨拶に行った。

初孫の私を誰よりも可愛がってくれた母方の祖母は、既に歩くのも難しい状態になっていたにも関わらず、叔母さんたちに支えられ、食事会に来てくれた。


「ゆきちゃん。綺麗になって…」

祖母はしばらく私を見つめ、やがて彼のほうを向いた。

「どうか、どうか、ゆきちゃんをよろしくお願いします」

そう言いながら、何度も何度も頭を下げた。


私は涙が溢れた。

何年も会いに来なかった私をずっと思い続けてくれたおばあちゃん…

おばあちゃん、ごめんね。私も本当はずっと会いたかったのー


一方、父方の祖母は足が悪いから、ということで、食事会には姿を見せなかった。

そのため、食事会が終わった後、父に言われた。


「うちのばあちゃんは食事会には来れなかったから、実家のほうに挨拶に来てほしい」


私たちは父に連れられて父の実家に行った。

おばあちゃんに挨拶して終わりかと思ったが、そこで宴会が始まった。

父の実家は好きじゃない。しかし、こうなってはどうしようもない。結局帰りの新幹線の時間ギリギリまで付き合わされた。


親戚に送ってもらい、駅に着くと、母方の祖母と叔母さんたちが駅で待っていた。

びっくりして駆け寄ると、

「おばあちゃんが、どうしてもゆきちゃんたちを見送りたいって…」


「おばあちゃん…」

一体どれくらいの時間待っていてくれたんだろう…


「ゆきちゃん。いつでも遊びにおいで」

立っているのも辛いはずなのに、おばあちゃんは笑顔だった。

そして、改めて彼、いや、旦那に


「ゆきちゃんをよろしくお願いします。よろしくお願いします」

そう言って頭を下げた。


ー知っていればもっと早く来たのにー

母方の親戚が集まる中、何故か母の姿はなかった。


ギリギリの時間に新幹線に乗ると、既に母は座っていた。


「お母さん」


声を掛けたが返事がない。


「お母さん!」


母が怒って無視していることに気づいた。


ーよりによってこんなときにー


私は諦めて旦那の隣に座ったが、ガタガタと身体が震えていた。


「お前、どうした?お義母さんも、なんか様子がおかしいけど…」


旦那が心配している。

私は何も言えなかった。


新幹線で地元に戻ると、父に夕食に誘われた。

私は今すぐ帰りたかったが、旦那は快く承諾した。


食事中も、母は私のほうも旦那のほうも見ない。

もちろん、言葉も掛けてこない。

ただただ弟と話していた。


針の莚のような食事が終わり、


「今日はありがとうございました。それではまた」

旦那が両親に挨拶した。


「さようなら。お元気で」

母が言った。


びっくりしている旦那の腕を掴んで、私は帰りのホームに向かった。泣いていた。


「おい、あの挨拶は普通なのか?なんでお義母さんは話してくれないんだ?おい、なんでお前は泣いてるんだ?俺何かしたか?」


私は泣きながら、


「お母さん、怒っちゃったんだよ。当分会えないよ…」


「なんで怒ってるんだ?当分て?」


「私たちがずっと嘉木(父の実家)にいたから…3ヶ月か、半年か…」


「それはおばあちゃんが来れなかったからからだろ?それに半年って…なんなんだ?俺が悪いのか?」


「違う。違うよ…もうやだ…」


泣き続ける私を見て、旦那もこれ以上何も言わなかった。


家に着いて冷静さを取り戻した私は、旦那に理由を話した。

父方の実家と母は仲が悪いこと。

母は怒ると無視したり、暴言を吐いたりすること。

そして、1度その状態になると、しばらく続くこと。


「そうか…初めから聞いてれば対処もできたけど…とりあえず謝るか」


「無理だよ。電話したって出ないし」


「うーん…じゃあ、どうすればいいんだ?」


「母の機嫌が直るまで待つしかない」


「そうか…」


旦那に申し訳ない気持ちと、恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。

こんな風にして私たちの結婚生活は始まった。


一緒に生活するなかで、旦那はいろいろ違和感を感じていたと思う。

1番は金銭感覚だろう。


「貯金していこうな」

旦那に言われた。


「なんで?」


「なんでって…家だって欲しいし、子どもだって欲しいし、将来いろいろお金がかかるだろ?」


「そんな先のことなんて考えても仕方なくない?」


「…」


更に、結婚してすぐにセックスレスになった。

私にとって旦那は、一生共に生きたいと思うパートナーではあったが、セックスには興味がなかった。普段仕事で忙しいんだし、夜はゆっくり眠りたかった。


家事は元々共働きだから、できるほうができるときにやろうと約束していた。結婚当初は努力したが、すぐにやらなくなった。


私は本来の「妻」という役割をほとんど果たしていなかった。

それは「家庭」というより、働き手2人の同居生活のようだった。


親戚への御披露目会から3ヶ月くらいした頃、弟から母の機嫌が直ったと連絡がきた。

私たちは恐る恐る実家に顔を出した。

夕食を食べに行くから、と伝えたのだが、母は上機嫌で、食卓には食べきれないほどの料理が並んでいた。母は料理が得意だった。

この前とはうって変わった明るい食卓に、旦那も安心したらしく、


「お義母さんの機嫌を損ねないようにすればいいんだな。なら、できるだけ実家に顔を出そう」


あくまで私の実家と上手く付き合う努力をしてくれた。

隔週くらいで実家に顔を出した。

母が買い物に行きたいと言えば買い物に行き、海外旅行がしたいと言えば、休みを取って海外に行き、田舎に帰りたいと言えば、母を田舎に連れて行った。

それが親孝行だと思っていた。


しかし、この落ち着いた生活は長くは続かなかった。


結婚して2年が過ぎた頃、私が働いていた会社が他社に吸収合併されることになり、新会社の決まりにより、非正規雇用ではマネージャーの仕事ができなくなった。

だからといって、給与が減るわけではなかったが、元々仕事が好きで、常にキャリアアップを目指して働いていた私にとって、これは痛手だった。仕事にモチベーションが持てなくなった。

それでも、待遇はいいのだからと思い働いていたが、ある日身体症状が表れた。


夕食を作り、旦那と食べていたのだが、味がしない。


「あれ?私、味付け忘れた?」


「は?普通に旨いけど?」


「…なんだろう?味がしない。風邪でも引いたかな?」


些細な違和感だった。


しかし、それからわずか数日後、今度は眠れなくなった。

仕事で身体は疲れているのに眠れない。

朝方うとうとして仕事に行くが、集中できない。

そしてまた眠れない。

次第に朝起きれなくなり、会社を休むようになった。

仕事に行けないショックと、身体に起こる症状への不安で、気分も塞ぐようになった。

心配した旦那に精神科に連れて行かれ、とりあえず精神安定剤と睡眠導入剤を処方してもらった。


薬のおかげで眠れるようにはなったが、気分は晴れなかった。

ー仕事が変わったのが原因かもー

そう思った。

やりがいのある仕事に就けば、また楽しく仕事もできるだろう。それにー

セックスレスとはいえ、いつか子どもを作るときが来るかもしれない。それなら産休が取れる正社員になったほうがいいー

私は就職活動を始めた。

と言っても、私が受けたのは1社だけだ。

確実にキャリアアップができる会社ー

私が選んだのは、世界的に有名な超一流IT企業だった。

中途採用合格率3%の難関を突破して、私はこの会社から内定を取った。

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