高校生
私は高校に進学した。
私が進学した高校は偏差値だと地域のなかで下から3番目の公立の学校だった。
下の2つの高校は、簡単に言ってしまうと勉強が好きではない生徒が通う学校だったが、私の学校は少し違っていた。
私の高校は新設校で、私たちの世代は3期生、まだ卒業生は出ておらず、ようやく校舎が完成したところだった。
そのため、先生や職員は偏差値の底上げや、地域での印象を良くすべく、さまざまな取り組みをしていた。
それには、服装の規定を厳しくしたり、生徒同士の校内での競争力を高めるために積極的に成績を公表したり、普通科以外に英語特化クラス、理数系特化クラスを作ったりだとかがあった。
一方、入学してくる生徒は、勉強が好きではない子が半数、後は下の2校に行きたくないがために努力してきた子が半数、特化クラスに興味がある子がごくわずかいた。
私は自分で制服のスカートを短く縫い直し、服装規定に反した格好で入学式に臨んだが、半数がそんな生徒だったために、中学生のときのような差別化はできなかった。
こうなると歩が悪い。私は他の処世術は知らなかった。
更に、入学式後にクラス別になり、自己紹介をする場面で不運があった。
私が自己紹介をしたときだった。担任がニヤリと笑って言った。
「お前が、入試6位か」
一瞬クラスがざわついた。
私は舌打ちして席に座った。
6位って、前に5人もいるのに、わざわざ言うか?
クラスは全部で8クラスあり、私の他にそのようなことを言われる生徒はいなかったので、おそらくバラバラに配置されたのだろう。
初日から嫌がらせを受けた気分だった。
そして予想通り、勉強が好きではない生徒からはマジメ扱いされ、マジメな生徒からは嫉妬を買い、私に話しかけてくる生徒はいなかった。たまたま中学時代の同級生2人と同じクラスだったし、他のクラスにも中学時代の友だちがいたので、辛うじてひとりになることはなかった。
できれば高校で友だちを作りたかったけどー
私は中学時代によく、母に友だちの話をしていた。
その度に母に言われていたことがある。
「その人たちは本当にあんたの友だちなの?話を聞いていると、友だちとは思えないんだけど」
母は私の友だちが嫌いだった。
その度に、友だちってなんだろう?と考えたが、よくわからず、私が普段一緒にいる人は友だちではなく、一緒にいるだけで、私に友だちなんてできるわけないんだろうと思っていた。
元々高校になんてなんの期待もしていなかったし、あと3年監獄で過ごす覚悟は決めていたので、ひとりだろうが、何を言われようが、大して気にしなかった。
ただ、授業がやたらつまらないのは正直苦痛だった。
高校で教えるべき内容は国で決まっていて、どの高校で学ぼうが、内容は一緒だと思っていたけれど、どうやらそうではないらしい。
「勉強する学校に行ったほうが…」
そういえば中学の担任が言ってたな、なるほど…。
意味がわかった。
ひどい授業になると、テスト前にテストの回答を先生が配る。
教科書のどこを覚えればいいか先生が教えてくれる。
平均点の底上げをしたかったんだろうが、私はそんな先生たちの浅知恵に呆れ果てた。
そして、授業中は寝て過ごすようになった。
学校への私なりの反抗だった。
テスト前だけ必要なところを覚える。
それだけで常に学年トップクラスの成績だった。
成績さえ良ければ、服装規定に違反していても、授業中寝ていても何も言われなかった。
一方で、成績が良くない生徒に対しては先生は厳しかった。
素行が悪いのに、成績だけ良く、先生に贔屓されている私は当然のように他の生徒の反感を買った。
教室では私の悪口が堂々と飛び交っていた。
私はその全てに無関心だった。
母がぶつけてくる辛辣な言葉に比べれば、とるに足らないことだった。
私が高校生になったことで、家でも変化があった。
まず、寝る時間の決まりがなくなった。
そして、喘息の薬を自己管理させてもらえるようになった。
更に、門限が18時になった。
家での生活はいくらか楽になった。
不思議なことに、喘息の薬を持つようになってから発作も劇的に減った。
ただ、当時中学生になったばかりの弟も、同じ待遇になった。
私が中学生のときに強いられていたことは、弟の身には降りかからなかった。
不公平のような気がしたが、弟とは仲が良かったので、それはそれでいいと思った。
ただ、母への不信感は確実に強くなった。
母への不信感はそれだけではなかった。
私が進学した高校の偏差値が低いことで、近所の人にバカにされる、としょっちゅう怒っていた。
「なんで私がバカにされなきゃいけないの!」
母はよくそう言って私に八つ当たりした。
そもそもその高校に行け、と言ったのはあんただよ…
偏差値が低い高校なんだから、バカにされるのだって当たり前だよ…
いつまで私はこの人に付き合わなければならないんだろう…
もううんざりだった。
高校2年生になる頃、恐ろしい事件が起こった。
ひょんなことから、中学時代からの友だちに「ガマガエル」というあだ名を付けられた。
これには流石に困った。
何が困るって、母にこのあだ名がバレたら何を言い出すかわからない。
頼むからそれだけはやめてほしい、私は必死で友だちに頼んだ。
自分がそんなあだ名を付けられたら嫌ではないのか、と訴えた。
友だちはそんな私を笑うだけで、私は「ガマガエル」と呼ばれ続けた。打ち手はなかった。
そして、嫌な予感は的中した。
ある日、このあだ名が友だちの母を通じて私の母にバレてしまった。
友だちの母親は笑いながら私の母にその話をしたらしい。
母は激怒し、怒りの的になったのは私だった。
「なんであんたがそんなバカにされなきゃいけないの!」
「なんであんたはそんなこと言われてヘラヘラしてるの!」
「なんであんたはそんな人と付き合ってるの!」
そして、最終的には
「なんであんたはそんなに愚かなの!」
という話になった。
変なあだ名を付けられているのは私なのに、なんで私が怒られるのか…この人は、私が愚かだから変なあだ名を付けられる、と言っているのか…?
私は小学生のとき、クラスメイトをいじめている、と母から濡れ衣で怒られて以来、自分が学校でどういう扱いを受けているかを親に全く話さなかった。
いくらひとりで構わないとは言っても、やはり学校に話ができる相手はいたほうがありがたいし、確かに変なあだ名だとは思うが、むきになって彼女たちとケンカになれば、学校で生活しづらくなる。
つまらないプライドより、あと2年、この監獄で生き抜くことのほうがよほど重要だった。
でもそれをこの人に説明したところでわかってもらえないだろう。
「仕方がないの」
私はそれだけ言った。
「だからお母さんが言ったじゃない!あの人たちはあんたの友だちなんかじゃないのよ!」
「そうだね…」
…じゃあ、あなたは私のなんなの…?
昔、いじめているって怒ったよね?今度はいじめられてるって怒るの?
あなたは…だれ…?
それは考えてはいけないことだった。
ずっと心に閉じ込めていた。
考えたら生きていけない。
大学まで、大学に行くまで生きなきゃ。
私の人生は大学から始まるんだからー
こうして何も変わらないまま高校2年生を過ごし、年が明けてからいよいよ私は大学受験の準備を始めた。
心理学と一言で言っても、大学によって勉強する内容はさまざまだった。犯罪心理、障がい心理、動物心理…
何を選べばいいんだろう…?
また、当時は心理学科を設立している大学は少なく、定員も少なく、倍率も高かった。
とりあえず勉強しないと…
高校3年生になって、親に頼んで予備校に行かせてもらった。
そして行きたい大学を探した。
最初に行きたいと思った大学は関西にあった。
親に話したが、「東京に大学はいっぱいあるのに、なんで関西なんだ」と反対された。
確かに、大学は学費もかかるし、弟も大学に行くだろう。
生活費まで出してくれとは言えなかったし、自分で働きながら大学に行くのも難しいと思った。
父も母も、大学は気になるらしく、予備校からもらった大学と偏差値の一覧の冊子をよく眺めていた。
結局私はカウンセリングと精神病理を主軸にしているM学院大学を本命にした。
皮肉にもそこは、家から一番近い大学で、知名度、偏差値共に親の期待を裏切らない学校だった。
高校では4人の生徒が一般推薦入試で既に大学合格を決めており、一般受験するのは私だけだった。
朝も昼も夜も勉強した。
浪人はしたくなかった。
ただただ、早く大学生になりたかった。
周りがお洒落や恋愛をしている頃、私はひとりで勉強した。
その甲斐あってか運あってか、本命の大学に合格した。
努力は私を裏切らなかった。
それは、私にとって人生の扉が開いた瞬間だったー