中学生
私は中学生になった。
私の住んでいた地域にある4つの小学校から生徒が集まった。
そのため、知らない生徒のほうが多かった。
しかし私は中学校になんて何の期待もしていなかった。
どうせ誰もわかってくれない。
そしてまた変人扱いされて無視されるのだろう。
何の希望もなかった。
中学校は小学校とは少し違う。
まず、先輩、後輩の上下関係がある。
先輩には礼儀正しく接しないとイジメより怖い思いをする。
あとは、授業の他に部活動がある。
新入生は何かしらの部活に入らなければならなかった。
私は部活は決めていた。
演劇部だ。
マンガで読んだ「ガラスの仮面」に影響を受けていた。
ほんのひとときでも、自分じゃない人生を生きられる。
それに憧れた。
私の中学校の演劇部は、定期的に公演を行い、観にくる生徒もそこそこいた。
演劇部の新入生は女子8人だった。
そして部員に男子はいなかった。
偶然集まったこの8人は、何故かすぐにものすごく仲良くなった。
誰も悪口を言わない、みんなが仲良しだった。
私は初めて「仲間」という関係を持ち、同じことが好きで、ひとつの目標に向かって挑戦することの楽しさを知り、ある種の感動があった。
一方クラスは相変わらずだった。
中学生になると、周りは音楽やお笑い番組の話が多くなったが、21時に寝る、という決まりがあった私の家ではその時間以降の音楽番組も観れないし、お笑い番組をくだらないと考えていた母は、チャンネルを変えてくれることはなかった。
1度担任が母に、「お嬢さんはお友だち同士の話についていけていません」と言ってくれたことがあったが、
「うちは21時に寝る決まりです」と、あっさり答えたそうだ。
周りが普通にする会話についていけない、それなのに勉強ができるー
またイジメの対象になった。
でも、小学生のときとは違う、私には部活の仲間がいた。
私がクラスで浮いた存在でも、部活の仲間は仲良くしてくれた。
それだけで十分だった。
更に、部活でもうひとつ出会いがあった。
ある公演の役を決めるオーディションで、娘が母親に抱きついて甘えるシーンがあった。
私は母親役の三年生の先輩に思いきり抱きついた。
それは、観ている子たちがびっくりするほどの熱演だったらしい。
オーディションは通らなかったが、その時母親役だった三年生の先輩に目をかけられた。
当時学校では、先輩がお気に入りの後輩と手紙や名前のバッチや校章の交換をするのが流行っていて、私はその先輩のお気に入りになった。
先輩は休み時間にちょくちょく私のクラスに来るようになった。
かわいい、かわいい、と私を贔屓してくれる先輩のことを私も大好きだった。
しかし、先輩が私のクラスに来ると、他の生徒がやけに静かになった。
更に、今まで私の悪口を言っていた生徒や、無視していた生徒が、まるで媚びるように私に話しかけてくるようになった。
なんだかわからないけど、そんな人とは関わりたくなかったので相手にせずにいたが、彼女たちは執拗だった。
ある日、部活の仲間が理由を教えてくれた。
その先輩は、学校一番の不良だったのだ。
言われてみると、やけに大きな制服、長いスカート、髪はショートヘアーだったがパーマがかかっている…ような気がする、そして、化粧…してる?
気にしていなかったので全然気づかなかった。
そして、それを知っても先輩を怖いとは思わなかったし、憧れで、大好きな先輩だった。
先輩はよく手紙に、「何か腹立つことがあったら言ってね、助けてあげるからね」と書いてくれていた。
実際、女子トイレに呼び出された後輩は何人かいたようだった。
私は誰かをチクったりしなかったし、する気もなかった。
ただ、周りの女子にしてみれば恐怖だったのだろう。
ー人に何も言わせない存在ー
そうか、そうすればいいんだ、自分がそうなればいいんだー
学校での処世術をひとつ学んだ。
二年生になって、私は多少悪ぶってるクラスメイトと好んで付き合うようになった。
彼女たちは大抵の場合、普通の子をどこかバカにしていて、変わっている私を割りとすんなり受け入れてくれた。
私は先輩から卒業するときにもらったダボダボのジャージを着て、体育や家庭科、体育祭、面倒なものは全てサボった。
いつしか部活仲間でも、マジメに学校生活を送っている子たちと話が合わなくなり、自然と部活に顔を出さなくなった。
一方で、家庭は相変わらずだった。
中学生になり、学校の成績やテストの点数が発表されるようになった。
私は親から勉強しろと言われたことはないが、やっぱり勉強は得意だった。
99点、学年1位の点数を取って母に見せたら
「なんで100点じゃないの?」
と言われた。
作文が学校代表に選ばれた、と言えば
「うちの家系には文才がある人なんていないのに、なんでかしらね」
と言われた。
書道で学校で銀賞を取った、と言えば
「3年も習ってその程度?」
と言われた。
とにかく、何があっても褒められることはなかった。
逆に何かというと、「あんたはなんでそんなに愚かなの…」と言われた。
この言葉は母の口癖で、もう何度言われたかも覚えていない。
「愚かって…」と思ってはいたけれど、母が言うのだから私は愚かな人間なんだろうと思っていた。
私は行き場のない思いをノートに書き綴るようになった。
親がおかしいなんて友だちには言えないし、でもどこかに吐き出したかった。
そしたら数日後、母に言われた。
「出て行ってほしいなら、いつだって出て行くわよ」と。
隠していたはずの私のノートを読んだのだ。
私はノートを破り捨てた。
更に、母の機嫌を損ねる要因になっていたのが「お弁当」だった。
母は料理が上手だったし、私もヘタな外食より母の手料理が好きだった。
しかし、子どもの頃の私は食が細く、食べるのが遅かったので、食べきれず残すことがたまにあった。
お弁当を残して帰ると、母は必ず不機嫌になった。
ひどいときは「食べないなら自分で作りなさい!」と言われて、お弁当を作ってもらえなくなったりした。
私は極力残した物をどこかに捨てて帰った。
喘息は小学生の頃よりはいくらかマシになり、昼間は発作を起こさなくなった。ただ、夜中の発作は続いていた。
水を飲んで吐いても楽にならない。
でも、明け方まで吸入はもらえない。
苦しさを少しでも紛らわせるために本を読んで夜が明けるのを待った。
中学二年のとき、いつものように夜中の発作で眠れず、一冊の本を手に取った。
それは父の会社の接客研修の教材だった。
そこには、母親と引き離された子どもの猿が自閉症になる話や、表情から人の心を読み、どう対応するのが適切かとか、そんなことが書いてあった。
それは今まで私が読んだことのないような内容で、わからない部分も多かったが、すごく刺激的だった。
夜中の発作はほぼ毎日だったので、私はひたすらその本を読んでいた。人間関係の築き方とか、何から何まで新鮮だった。
私がその本に夢中になっている様子を見て、ある日母が言った。
「そんなにその本が好きなら、大学で心理学を勉強したら?」
「心理学?」
「心理学っていう、人の心を勉強する学問があるわよ。高校にはその授業はないけど、大学に行けば勉強できるわよ」
父も母も高卒で、子どもは大学に行かせると決めていた。
しかしここは利害が一致した。
私は大学に行く。大学に行って心理学を学ぶ。
そして…そして、何がおかしいのか、何が正しいのか、突き止める!そしたらきっと幸せになれる!
私が未来に希望を持った瞬間だった。
大学生になるまで我慢すれば未来は変わる、そう思った。
そして中学三年生になった。
初めての受験となる高校受験に向けて、三者面談があった。
私の志望校は、偏差値のかなり低い高校だった。
担任は熱心に説得にかかった。
「お嬢さんは…確かに素行にはいささか問題がありますが、成績は優秀です。大学進学を考えているなら尚更、きちんと勉強する校風の高校に進んだほうが、友だちもできるでしょうし、勉強も進むと思いますが…」
「うちの娘は喘息です。家から一番近い高校に通わせます」
「そうですか…、お前はどうなんだ?」
担任に聞かれた。
「高校なんて、どこでもいい」
だって、私が行きたいのは大学だからー
こうして私は中学校を卒業した。