機械的感情
機械にだって感情はある――
物語りのお約束で、都合いい展開と台詞。
現実の機械には感情などなく、感情のあるロボットはフィクションの話だった。
しかし、近頃は科学が進歩し、機械に感情を入れているそうだ。
でも、機械に感情なんていらないと私は思う。
感情のある人間は疎ましく憎らしく等しく嫌であるからだ。
感情のない人間はほとんどいない、だから感情のない機械、ロボットやアンドロイドが好ましい。
けれど感情のない筈である機械のロボットやアンドロイドにあえて感情を入れる必要があるのか、機械は人が造ったものでその感情は物語りの奇跡とは違いそうなるように造ったというだけだ。
夢も希望もあったものじゃないし、いずれにせよいがみ合う相手は本物の人間だけでいい。
それなのに機械に感情を植え付けて何がしたいのだろう。
かつては人間の代わりが感情のなかったアンドロイド、利点は文句を言わず意見せず主に従う都合のいいヒトガタ。
そのヒトガタに感情を植え付けたなら人間と変わらないならアンドロイドなどいらないもしくは人間がいらなくなるのではないか