奇妙な紳士とお茶を (3)
スコーンが焼けたらしくメイドのエルスペスが私を呼びにやって来た。アリステアの希望により書斎に茶菓の用意をするので来て欲しいとのことであった。
言われるがままに再び書斎を訪ねると、邸の主は何やら真剣な面持ちで小さな紙切れに目を走らせていた。だが、私の姿に気がつくや否や、ごく自然な素振りで笑いかけてきた。
「メイザー先生から聞いたのだが、君は作家だそうだね」
いつの間に叔父とそんな話をしたのだろう? 私はすぐさま居た堪れない気持ちになる。「しがない児童文学作家さ」
「子供たちに夢を与えることが出来る素敵な職業じゃないか。僕は文才が無いから物書きが羨ましいよ。手紙を書くときも『あの人』にとって誰よりも聡明でありたいと願うあまり、いつもつい真実から遠いことばかりを書き連ねてしまうんだ。この溢れる愛をどのように言葉にすればいいかわかりかねる時がある」
紅茶とバタースコーンを運びに執事のジェンキンスが部屋の中に入って来た。彼が書斎から立ち去ったのを見届けると、アリステアは興味津々な様子で尋ねてきた。
「どんな物語を書いてるんだい? ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』みたいなやつかな?」
「別にたいした話じゃないさ」
「もしかして、君は創作のインスピレーションを得るためにここへ来たのかい? メイザー先生からフォレスター卿の息子は変わり者だから会ってみろとでも言われた?」
それは皮肉を孕んでいるような口ぶりではなかったが、見当違いな見解と、言い当てられた気まずさの両者から、私はひどく居心地の悪い思いがした。
「もう何も書く気はないんだ」
一言だけ言い放ちスコーンを口に運ぶと、アリステアはそれ以上話題を追求することもなく、ただ静かに向かい合って紅茶を啜った。
もう何も書く気はない――。
違う。書く気がないのではなく、本当は何も書けなくなってしまったのだ。『エシラと妖精の王国』以外の物語も、あの瞬間から一文字だって筆を進めることが出来なくなってしまっていた。
それは私を焦らせると同時に苛立たせた。自分がひどく無能な空っぽの存在であるように感じられた。波のように突然襲い掛かってくる絶望感と喪失感の繰り返しから、確実に神経が蝕まれ始めているという自覚はあったが、自分ではどうにも止めようがなかった。
「スランプ中なら、ここで好きなだけ気分転換するといい」
アリステアがぽつりと言った。まるで心の中を見透かされたようだった。
「スランプだなんて一言も言っていない」
私が思わず気色ばんで言葉を返すと、アリステアはニヤと口端を上げて微笑んだ。彼はやおら立ち上がり、スコーンをひとつ皿の上に乗せ、大きく開け放たれた窓辺に置いた。それは紛れもなく、例の家付き妖精ブラウニーのために与えられたものに違いなかった。
「今日は僕のためによく働いてくれたので、ご褒美をやらないとね」
「おい、本気で言ってるのか? 妖精なんているはずな――」
だが、次の瞬間、皿の上にあったはずのスコーンが無くなっていた。私は目の錯覚かと思い、辺りを確認するべくすぐさま窓辺に駆け寄った。
驚くべきことに、そこには何者かの姿があった。先入観からブラウニーだと思い込み鳥肌が立ったが、誤解はすぐに解けた。落ち着いてよく見ると、そこにいたのは先程厨房そばの裏口を訪れた物乞いの少年だった。
煤に汚れた顔をしてスコーンを頬張っていた幼子は、私と目が合うと小動物のようなすばしっこさで通りの向こうに消えてしまった。
呆然と突っ立ったままの私の隣にアリステアがやって来て、通りの先を覗きながら微笑んだ。
「どうやら君にもブラウニーが見えたようだね」
家柄の良さを鼻にかけず、奢り高ぶって尊大に振舞うこともない。名利を求めることも富貴を望むことにも関心が無く、いわゆる俗事に恬淡なアリステアは、貧しい子供に施しを与えるための口実として、少年を妖精扱いしていた。
実際には、アリステアは頭がおかしい振りをしているだけで、かなりまともな種類の人間なのであったが、このときの私は彼が演じる側面の一端に触れたに過ぎず、まだそうした事実を知る由もなかったのである。