奇妙な紳士とお茶を (1)
ありもしないことを非難され、扉が閉ざされた後に訪れたのは、理解されぬ憤りとやるせなさと、救いようの無いみじめな思いだった。おまけに、時折襲われる底無しの虚無はロンドンの霧のように心の内に深く垂れ込め、一切の情動的な感情を鈍らせた。それでも、傷心の私が自らこの煤煙の都に滞在し続けた理由は、もしかしたら同化することで心理的安定を求めていたのかもしれない。だが、ロンドンでアリステアと暮らした日々は、地方貴族がウェスト・エンドを訪れるシーズンとほとんど同じくらいの期間でしかなかったのだ。
「診療ですか?」
我が叔父ジョージ・メイザーの眼鏡の反射に目を細め、私はごく控え目に尋ねた。別段、叔父の行動に大した興味はなかったが、彼の好意に甘え、このようにやっかいになっている身としては、挨拶がてら声をかけるのが礼儀だと思ったのである。
叔父はオックスフォードで医学博士を取得後、セント・トーマス病院の外科医を経て後に開業医となった。温厚な人柄で多くの人々に慕われていたが、妻に先立たれてからというもの、少し無口な老紳士になったように思う。
「気晴らしについて来るか? 亡きフォレスター卿の跡取りはちょっと変わった青年だから、きっと興味を持つに違いない」
「変わってるって、一体どんな風に?」
「来ればわかるさ」
叔父は帽子と外套を羽織りながら言葉を続けた。「いつまでも引き篭もってばかりいてはいけないよ、リオン。たまには外の空気を吸わなければ」
「産業革命がもたらす煙や煤をですか?」
ワイルドの小説に登場する快楽主義者のような返しをしてしまい、自分自身に嫌気が差した。ヘンリー卿の逆説的見識は悪徳以外の何者でもない。
叔父はそんな私の返答など聞こえなかったような素振りで――耳が遠いふりをするのは今に始まったことではない――「さあ、行こう」と古びた診療鞄を持ち上げた。私は断固行くまいとして肘掛け椅子に身を沈めたが、叔父が通りで辻馬車を呼び停めた音が聞こえると、仕方なしに山高帽を頭に乗せた。(結局のところ、私は良くも悪くも義理堅く実直な人間なのだ)
フォレスター邸はメイフェア地区のはずれにあった。一代貴族であるサー・フォレスターの息子は遺産だけを相続した無爵位のお坊ちゃまで、亡きサー・フォレスターと旧知の間柄であった我が叔父は、彼のことをアリステアと気軽に呼び捨てにしていた。
貴族であろうがジェントリであろうが、爵位があろうが無かろうが、金持ちというものは大抵利己的で我侭で俗物であるように思う。私がこのような偏見を抱く理由は、彼らから受けた傷がまだ癒えていない証拠に違いなかったが、兎にも角にも、アリステア・フォレスターなる人物がどのような種類の人間かということは、彼に会う前から私の中で勝手に形作られていたのであった。
召使いに案内され、書斎らしき場所へやって来ると、部屋の主と思われる青年が何やら考え事をしている風な素振りで部屋の中を行ったり来たりしていた。艶やかな灰栗色の巻き髪が美しい、稀に見る美青年だった。
「やあ、どうもメイザー先生。お加減はいかがですか?」
「それはこっちのセリフだよアリステア。お邪魔だったかね?」
「邪魔だなんてとんでもない。先生ならいつでも大歓迎ですよ。今『あの人』に手紙を書いていたところなのですが、今朝はどうにもうまい言葉が見つからなくてね」
言いながら、そこでようやく青年は叔父の背後に立つ私の存在に視線を移した。長い睫の下に隠れる勿忘草のようなブルーの瞳。感情の動きを読み取るみたいにじっとこちらを見つめながら、彼は片手を差し出した。
「初めまして、僕はアリステア・ジョン・フォレスターだ」
「リオン・ハートです」
我々は空気のように軽い握手を交わした。
羽織っていたビロードの襟つきガウンを衝立に引っ掛けながら、アリステアが言う。「リオン・ハート(獅子の心)とは、実に勇猛な名前だね」
ついうっかりいつもの癖でペンネームを名乗ってしまった。リオンは本名だが苗字は別にある。しかし、わざわざ言い直すこともあるまいと思い、訂正せずにおいた。
診察を受けるため寝椅子に横になったアリステアは、窓の隙間から入り込んできたサンザシの香りに酔いしれるように目を閉じた。陽とは無縁の生活を送る貴族の娘のように可憐で青白い顔をしている。別段体調が悪いようには見えないが、持病でも持っているのだろうか。
「無茶をしてはいないだろうね」
叔父がふいに発した一言に、アリステアは目を開けて微笑んだ。
「心配無用です。おとなしくしていますよ」
その会話は体のことについてではなく、第三者である私に理解の及ばぬ、何か二人に共通の話題について暗に話しているように思えた。書斎の壁一面を潰して造られた本棚を眺めながら、それとなく耳をそばだてようとしたところで、召使いが紅茶とビスケットを運んできた。
アリステアはビスケットを数枚つまみ、それを紙ナプキンの上に乗せて窓辺に置いた。
「リスでもいるのかい?」
何気なく尋ねると、彼は悪戯気に口端を上げた。
「ブラウニーにあげるのさ」
「ブラウニー?」
聞き間違えたのかと思い問い返すと、驚いたような顔をされた。
「もしかして、知らないの? 毛むくじゃらで茶色のボロを纏っている家つき妖精のブラウニーだよ。こうして部屋の片隅に食べ物を置いておくと、お礼に使用人たちの家事の手伝いをしてくれるんだ。天邪鬼だけど親切な良い奴だよ」
なるほど、叔父の言葉を訂正しよう。ちょっと変わっているどころの話ではない。この青年は明らかに頭がおかしいに違いなかった。