表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

かびたパンを机の中に入れる妖怪のこと

作者: 草歌仙米汰

 人生に目的が見出せなくて暇な私は、夏休み、ぱんかびら観察ツアーというのに応募して、当選した。電車に乗って行ってみると、どうやら当選者は私一人のようだった。応募者が私だけだったのかもしれない。

 ぱんかびらとは今話題の冗談のような夏の妖怪である。カビで覆われた給食パンを、机やロッカー、運動部の部室の隅などに夜中のうちに置き去っていくという。ただの子供の悪戯なのではないかと、私はまず疑う。私が通っていた小学校にも、雨季の間、ずっと楽しげに無意味にも自分の机の中で保管していた馬鹿な男子がいた。

「そんな風に言う人もいますね。でも、これは確かにぱんかびらという妖怪によるものなんです」

 彼は主催者である若い民俗学者で、著書もあるとのことだが、書店で見たことのない無名の著名人のようだ。

 彼によると、かびらの故郷がここなのだそうだ。ここが廃校になったから、かびらは近隣の学校に現れるようになったという。

「僕がこの学校に通っていた頃、青々としたパンが出てきたのです。六月の話です。給食はなかったから、市販のパンでした。もちろん、かびらの仕業です。ここが教室です」

 汗ばんだ太い指が取っ手にかかり、立て付けの悪い木戸が、ガタン、バタンとぎこちなく開く。

 熱気と臭気が渾然一体となって激しく私の肌を刺した。

「ああー。もうこんなにおい……もう今日あたり集まるのかもしれません」

あのこうばしい小麦の香りがこの臭いに至るまでには、一体どれくらいの時間が必要だろうか。知りたくもない。

 油蝉の声が窓越しに聞こえた。整然と並ぶ机に手をつっこみ、袋に入ったナニカを私に見せつけた。

 灰色がかった水の中につかった石ころ、みたいに変貌したコッペパンを初めて見た。パンにこんなにも水分があったのかと驚く余裕もなく気色悪かった。鼻をつまんで呼吸を止めても、毛穴から入り込んでくる。

「ここにある全部の机に入っています。ああだめですよ、窓をあけたりなんかしちゃあ!!」

 私はヒステリックに、何故ですか、と返す。

「おそらく臭いからして今夜でしょうが、ここが廃校になったあと全国に散ったかびらどもが里帰りするんですよ。この臭いをたよりに。この地に残った残留かびらが用意したこの臭いが消えたら、彼らはどこに集まればいいかわからなくなってしまいます」

 かびらはこの臭いが大丈夫なのか。だったら、彼はかびらに違いない。鼻をつまむことなく、むしろ積極的に吸っている。

 その後、私は彼と一度別れて、旅館で待った。夜にもう一度集合してぱんかびらたちの宴会を見るのである。ちなみに私はかびらという妖怪は、小学生が冗談で作り出してしまった存在しない存在だと思っている。ツアー参加も単なる与太話聞きたさからだ。

 ――与太話をするためだけに、あの民俗学者はわざわざ机の数だけパンを用意し、あんなになるまで放置し続けたのだろうか。

 その姿を旅館の露天風呂につかって想像し、その無意味さを考えると笑えるほど哀しかった。そこから見えるみかん畑が絶景だった。



「かびらについて分からないことが唯一つあるのです」

 民俗学者は臭いを落とさず旅館まで迎えに来た。折角、ついていたカビの臭いを温泉に消してもらったのに、またあそこにいくのを考えると、彼のその親切ですらうざかった。

「それは彼らの目的です。最初僕はかびを餌にしているのだと思っていましたが、それでは、学校の机などに入れる理由の説明にならない。あなたはどう考えますか?」

 さっき思い浮かべたカビパン養殖の様子がフラッシュバックした。

「目的や理由なんて、ないんじゃないですか? すべての物事にそういうのがあるわけではないと思うし」

 と真面目くさって言ってみた。本心ではある。現に、今私の人生には目的がない。だからふらふらと、こんなツアーに参加しているのだ。

「なくても、いいんでしょうか?」

 いいに決まっている。退屈で暇なのは否めないが、人生を否定されるいわれはない。私はうなずいた。

「そう言ってもらえると、とても心が軽くなります」

 学校が見えた。使われていない教室に、灯りがともっていた。人工灯ではない、もっと柔らかい光。

「私の本を読んでくれる人は少ないです。ましてや、内容が作り話ではなく真実であると信じる人はもっといません。私の目的は達成されないのです。達成されないのなら、ないも同然です。しかし、なくてもいいのなら……」

 彼の足元を、緑っぽく光る小さな子供のようなのが、通り過ぎて行った。

「ほら、あれがぱんかびらですよ」

 カビの臭いが涼しげな風に乗って漂い、私はもはや彼の言っていることが真実であると認めざるをえなかった。子供のかびらは無心に駆けていった。

 妖怪がカビたパンを置いていく理由、彼が本を書く意味、そして私の人生の目的。それらは傍目には「ない」ように見えるが、実のところはよく分からない。

 ただ、臭う宴会は、使われなくなった教室で確かに行われている。


 



 人生の目的って何なんやろなぁ……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ