早く寝てしまおう
誤字脱字がありましたら申し訳ございません。
ワインをグラスに注ぐ。
仕事のお供は赤ワインと決めている。
一口飲んでグラスを脇に置き、両方の人差し指でホームポジションの凸部分を触る。パソコンのブラインドタッチを練習し始めてからの癖。
元々、頼まれてお小遣い稼ぎ程度で始めた翻訳の仕事。
珍しいお菓子と厳しい締め切りという、まさにアメとムチを一緒に貰いながら続けていたが、今ではムチばっかり。
あんまり叩かれ過ぎたら、青痣だらけで仕事する気もなくなるのにね。
でも、お金貰ってるからには頑張ります。
「まだかかりそう?」
夫が歯ブラシを片手に訊いてきた。
「ごめんね、今日も先に寝てて」
私がベッドに入る際、先に寝ている夫を起こしてしまうため、同時に寝てしまうのが良いのだけど、今度の仕事は量が多い。ここ最近は毎晩夫は一度目を覚ましている。
朝から晩まで稼いでいる夫にはなるべく体を休めて欲しいから、私はリビングにでも布団を敷いて別々に眠るべきかもしれない。
溜息をひとつ。体内の空気を入れ換えて気合いを入れ直す。
辞書をめくりながら、単語の意味を浚っていく。文脈のニュアンスで言葉をあてても良いのだけれど、出来る限り曖昧な表現にはしたくない。著者の意図を日本語でも伝えられるようにしたい……自己満足だけど。
カタカタカターー
パソコンのキーの音だけが空気を震わせているよう。なので、全く気配には気付かなかった。
開いて置いていた辞書が閉じられる。
「え?」
画面から顔を上げると夫が立っていた。
「どうしたの?」
夫が仕事中の私に話しかけることはあっても、手をかけて来ることはない。
「例えばさ」
私には目線を合わせず、机上の閉じられた辞書の表紙を見ている。
「俺がおまえ宛に手紙を書いたとして、それを英語に訳して貰う」
「うん」
「それをフランス語に訳して、そしておまえが日本語に訳した時、同じ内容の手紙がおまえに届くのかな」
……それって
「私の仕事バカにしてるわけ?」
上目使いに相手を睨みつけると、苦笑しながら私の頭を軽く撫でる。
「違うよ。そうじゃなくて、どんなに頑張っても仕事はおまえを抱きしめてくれないけど、俺なら出来るってこと」
なんて分かりづらい言い回しをするのだこの男は。
「だから今日は一緒に寝ない?」