5元聖女の求職活動
「時々、って言っても何年かに一度、修道女さんが流れてくるんだよ」
ニナを川辺で見つけた男は、オットーと名乗った。
「生きている時もあれば、まぁ、そうじゃない時もあるわな。修道院が嫌になったのかね」
ずぶぬれのニナに上着を貸し、自分が経営している宿で休めばいいと案内してくれた。
テオバルトの東の町ヒューシュフルツ。ニナが流れ着いた町だ。
「オットー、修道女さんじゃないか。どうしたの?」
オットーの宿までの道中、頭から足先まで濡れ鼠の修道女の姿は大変目立った。そんな風に何人もの町の人から声が掛けられた。
「川で拾った」
「生きた修道女さんじゃないか!」
「そりゃ死んでたら歩けないわな」
「無事でよかったねぇ」
「そうそう。最近山狼が近くで出るようになったしな」
オットーの宿は、三階建てで一階が食堂になっていた。開店前らしいくまだ人もおらず、椅子が机の上にあげられている状態だった。
オットーは、カウンターへニナを連れていくと、お仕着せだという給仕服を貸してくれた。
スカートには布がたっぷりと使われているのに、上半身は無駄がなくすっきりとしていた。この服を着て、この食堂を忙しそうに走り回る姿を想像して、ニナは胸を躍らせた。体をひねれば、スカートが見事に翻るに違いない。
なんて可愛らしいのだろう!
オットーは、着替え終わったニナに暖かい牛乳を差し出しながら、ぺらぺらと喋り出したのだった。
「しかし、いくら厳しいからって川に飛び込むのはどうなんだなぁ。俺が生まれてから三人ぐらい修道女さんが流れてきたんだわ。でも生きてたのは一人だけ。あ、今二人になったな」
オットーは四十歳前後に見える。それまでの間に、あのランデルの修道院からニナを含めて四人が脱走を企てて、半分が命を落としている。それを、多いと取ればいいのか少ない、と思えばいいのか。
「それとも、何か他にあるのかね? 女同士のあれこれ? 妬み嫉み?」
「さ、さぁ?」
オットーは興味津々だった。無神経なほどだったのだが、丸い顔の表情をくるくると変えながら喋っている様子に、不快に思う気持ちが消されてしまう。
「でも、厳しいのは確かです」
「修道女になるなら、厳しいのは覚悟の上だったろうに」
「望んで修道女になったわけじゃない人もいるかも、なので」
「お嬢ちゃんも?」
「そう、ですね」
「だから逃げてきたのかぁ。まぁ、生きて居たのなら、幸運だったな」
オットーは、縦にも横にも大きな体をゆすりながら、豪快に笑い飛ばす。
ニナは、細かいところまで深堀されなかったことに安心した。聖女であることも、異世界から来たことも、もはや語りたくなかった。
嫌々修道院に入れられて、幸運にも生きて逃げ出すことができた女の子。そういうことにしておきたかった。
「冷めるぞ」
促されて、ニナは慌てて湯気の減ったミルクに口をつけた。はちみつ入りだ。優しい甘さに頬が緩む。
「ちょうど聖モントローズ王国の川下にあたるからか、時々修道女さんが流れてくるんだが、不幸な場合なんぞ、敵わん」
オットーはため息をつきつつ言った。
「美しい川辺の街って名前に泥がついちまう」
「美しい……?」
「この街の名前の由来だよ。美しい川辺の街ヒューシュフルツ。作物を育てて、羊とか牛とか飼うぐらいしか産業はないけど、のんびりは出来るから。暑くなると西の方から水辺で休みたいってやつらが来る。まぁ、そういうの相手に商売してるんだけどね、俺は」
へぇ、とニナは新鮮な気持ちで話を聞いていた。
「俺が十の時に流れてきた修道女さんなんか、どこぞに引っかかってたのか、ひどい有様で──て!」
「あんた、また無神経に!」
ゴン、と大きな音。いつの間にやってきたのだろう。恰幅のいい女の人が、オットーの頭に拳骨を落としていた。
「だってよぉ」
「今までの修道女さんだって、死にたくて死んだわけじゃないだろうに! よりによって、これまた修道女さんの前で──。ごめんねぇ、この人ったらいつだって余計なことを言うもんだから!」
「シシー! だからって殴ることないだろう」
「殴りでもしなければ、わからないんだから! 連れ添ってからあたしが何度言い聞かせたと……」
やいのやいのと言い合いをする二人をニナは呆気に取られて見ていた。
「もう! 本当に仕方のない人!」
シシーと呼ばれた奥さんは、結局あれこれ言い訳をするオットーに、そう苦笑して口論をやめた。
ニナは懐かしさに襲われ、思わず涙ぐみそうになった。
ニナの両親は、共働きで忙しかったが仲が良かった。時々けんかをしたり、笑いあったりして──まるで、この二人のように。
「あの──!」
気が付いた時には、考えるよりも先に言葉が出ていた。
「ここで働かせてくれませんか!」
「えぇ!?」
驚いた様子なのは、オットーではなくシシーだった。オットーはむしろ、興味深そうにニナを見ていた。
「行く場所がもうないんです! 私、修道院に帰るつもりはなくって!」
「そりゃぁ、帰るつもりがあれば川に飛び込まないわな!」
オットーは、笑いながら話の腰を折る。ニナは、あえてオットーを無視した。
ここで、勢いをくじかれてはいけない。
「お願いします! 一生懸命働きます!」
「でも……人手はもう少し欲しいけど……」
ニナは勢いよく頭を下げた。
「お願いします!」
「そりゃ無理だ!」
どっと笑って答えたのはオットーだった。
「お嬢ちゃん、夜の食堂に行ったことないだろう?」
「えっと、はい……」
聖モントローズ王国で、ニナは貴族に預けられて暮らしていた。
黒い獣の討伐に向かうための遠征に出た時も、兵達に囲まれていたし、街で宿をとることがあっても食事を部屋に運んでくれるような上宿に泊めてもらえていた。食堂つきの宿に、泊まったことがない。町をお忍びで歩くこともなかった。
「夜の食堂っていうのは、うまい料理と酒と楽しい音楽、あとは眺めて楽しいお姉ちゃんが必要ってもんだ!」
オットーは、ニナを上から下まで眺めて、けたけた笑いながら手を振った。
「お嬢ちゃんには、肉が足りねぇな。こっちとこっちに」
オットーは自分のたっぷりとした胸をたたき、手を下げてもう一か所叩いた。カウンターで見えないが尻を叩いたのだとわかった。
ニナは思わず赤面して、言葉を失った。世間知らずのまま、出来そうもない仕事に飛び込もうとしていたことが恥ずかしかった。
接客業すらしたことがないのに、男の人を相手にするような仕事ができるはずもないのに。
「流れてきた人は、いったん市長さんに届けることになってる。一緒に役場へ行こうか」
「でも……」
取りなすように、シシーが穏やかに言う。ニナは不安になってシシーの顔を見上げた。
「市長さんがいいようにしてくださるよ。うちじゃなくても、この街には人手不足のところがあるんだから、そこで働くといいよ」
「そういえば、お嬢ちゃん、名前は?」
オットーに問われて、ニナは一瞬ためらった。
自分の名前が、聖モントローズ王国では発音しにくいと聞いていたが、この国ではどうだろう。
「ニナ、です」
「ニナ? ニーナじゃなく?」
少しがっかりして、少しむっとしてしまう。
「ニナです! 私は、ニナ!」
ニナは強く、はっきりとそう言い切った。
(絶対、この町で暮らす! 聖モントローズ王国には、二度と戻らない!)
聖女でも修道女でもない。ましてやニーナでもない。ニナはこの国で自分に戻るのだ。




