19理想と崇拝
ジークハルトは準備を終えた騎士達と、魔狂した角猪が出たと言う果樹園へ向かった。
防具を身に着け、武器を携えた男達が、静かな森に似つかわしくない金属がこすれる音を引き連れながら進んで行く。
ニナもまたその後ろから、息を荒げながらついていくのだった。
「あれは……」
やがて、問題の果樹園が見えてくる。立派な幹の木が空を覆うばかりの青々とした枝を広げている様子を想像していたニナは、その変わり様に言葉を失った。
果樹の濃茶の皮には、いくつもの抉り取られたような傷があった。魔獣の角だろう。掘り返された根が地面から露出して、折れていた。茂っていたはずの葉は、その色を変え、大半を散らせてしまったものもある。枝は頼りなくうなだれていた。地に落ちた果物もまた、柔く崩れ果てていた。
「黒い霧の影響ですね。──それぞれ、三人ずつの組に分かれて、周囲を探索! 見つけ次第笛を鳴らせ!」
三人組に組織されなおした騎士達は、そのまま四方の畑や森へと分け入っていく。
その場にはジークハルトとニナ、フリッツだけが残った。
「民家が近い……。襲われたのがあの男だけだったのは幸運でしたね」
「本当に」
ジークハルトの言葉に、フリッツが同意する。
果樹園が景色の大半を占めていたが、その木々の合間にぽつんぽつんと民家が立っているのが見えた。作業小屋らしき小さな建物もある。ここはまだ、村人の生活範囲内なのだ。
「でも──あの果樹園は、今年はもう厳しいかもしれませんね」
ぽつりとつぶやくジークハルトに、ニナが聞いた。
「回復させればいいの?」
「いいえ? なぜ?」
「え?」
逆に問われて、ニナは返事が出来なかった。
「ニナは聖女と呼ばれることを嫌うのに、聖女の力をふるうことに躊躇いはないのですね。むしろ積極的だ」
そんなことはない。さっきだって散々渋っていたのに、ジークハルトにはそう見えたのだろうか。
「だ、だって、畑が弱ってて、私なら回復させられる、から、人だって……」
「回復させられるからと言って、ニナが必ずしなければならないことではないでしょう。さっきだって、多少不便があっても医者にかかる目途もついている。今すぐにを望むのは、彼らの都合です。忠告を聞かず、勝手をした上、慈悲を乞う彼らの都合がよすぎます」
フリッツも、とジークは傍らに控えた副官を見やった。
「慈悲深いのはよろしいのだけれど……。慈悲の使い方を間違えないように」
「申し訳……ございません」
でも、と言ったきり、ニナは口ごもった。
ジークハルトの言うことはわかるのだが、ニナは混乱していた。
「畑の件は、草魔法属性の私にもできます。なぜニナが自分でやるという発想になるのかがよくわからない」
それはまるで、やらなくていいと言っているようにも聞こえる。
「黒い霧の魔獣関連の被害に対する支援は、国が取りまとめて行っています。不作であれば税の軽減を、壊滅的であれば保障があります。ニナが、今ここの場だけを回復させるのは、むしろ不公平になりませんか」
「それは……、そうかも、だけど……」
「他もやってくれと言われたら、対応できますか?」
ジークハルトは、できません、という返事を期待しているのだろうが、ニナは対応していたのだ。
エドウィンはパフォーマンスのように、ニナに作物や家畜を回復させ、怪我人に聖魔法を使わせた。追加を請われれば、二つ返事で受けて、ニナを派遣していた。
遠征の期限ぎりぎりまで、それこそ夜に誰もいない畑にまで赴いてニナが働く一方、肝心のエドウィンは夜になるときっちり天幕で休んでいる、ということもよくあったのだ。
「しなくて、いいの?」
ニナは、肩透かしにあったような気持ちになる。
あの時、ジークはニナにやらなくていいと言おうとしたのか。むしろ、フリッツを止めようとしたのか。
ジークハルトは怪訝な顔をした。
「ニナ?」
「なん、でもない!」
思った以上に強い口調になってしまった。突き放すような声を受けて、ジークハルトは、目を瞬いた。
「だから! 態度を改めよと何度言えば……!」
気まずい沈黙に割って入ったのは、フリッツの唸るような声だった。
「いくら聖女と言えど、ジーク様に無礼を働くとは!」
「だから、私は聖女じゃないって……。なりたくてなったわけじゃないし……!」
「だとしても、その振る舞い! 身分ある淑女にあるまじきだぞ!」
「無礼だったのは、悪いと思うけど、思うんだけど……。もう聖女じゃないんだから身分なんてない!」
ジークハルトへの態度は申し訳なかったと思う。謝らなければと思う一方で、フリッツの決めつけのような言葉に、言い返さなければならないと気が急く。
「私は気にしてません。ニナの気に障ることを言ってしまったのでしょう」
すいませんと軽く頭を下げたジークハルトに、ニナとフリッツは慌てた。
「ちが、違う……! 私が、その、ごめんなさい」
「ジーク様が頭を下げることではありません!」
二人でジークハルトの頭を上げさせると、一時休戦は終了とばかりにニナとフリッツは向かい合った。
「だとしても、聖モントローズ王国で、聖女としての待遇を受けていたのだろう。地位や権力、財産を持つものは、相応の責任がある。ふさわしいふるまい一つ身に付かず、よく聖女を務められたものだ」
「責任、責任って……!」
ニナは頭が真っ赤になった。
望まぬ世界に連れて来られて、欲しくないものを押し付けられて、ニナに一体何の責任があるというのだろう。
「何もない」
強く言い返そうと思ったのに、するりとニナの口から滑り落ちてきたのか空っぽな言葉だった。
「私には何もなかったのに? 財産も権力も地位もない。聖女は道具でしかなかった。なのに、責任だけがあるの?」
勢いをそがれたフリッツが、言い返すために大きく開けた口を緩やかに閉じていく。
「道具?」
ジークハルトの声に、はっと手で口を押えた。言うはずのないことまで言ってしまった。
自分が聖モントローズ王国でどんな扱いをされていたかなんて、知られたくなかったのに。
「お姫様をいじめるな!」
「ぶ!」
子供の甲高い声と、どすんという音とともに、フリッツのつぶれた声が聞こえた。
ニナは目をしばたいた。フリッツはそのがっしりした体を曲げたりくねらせたりしながら何かを振り払おうとしている。
「アンネ……!」
フリッツの体に隠れて見えなかったが、アンネが真っ赤な顔をしてフリッツの腰にしがみついていたのだ。それどころか、ぽかぽかとフリッツの腰を両手で殴っている。
「こ、こら! やめないか! 一体どこから……!」
フリッツとて、無礼な相手だとしても、子供相手では、困り果てた様子だった。
「いいの、アンネ。いじめられていたわけじゃないから」
ニナは、力いっぱいフリッツにしがみついたアンネの手を、そっとはがした。
どうしてここにいるのだろう。
見渡すと、少し離れた一軒家の入口のドアがうっすら開いているのが見えた。アンネの家だろうか。
きっと、騒ぎを聞きつけて出てきてしまったのだ。
「困ってない? お姫様、大丈夫?」
「大丈夫よ。でも、ありがとうアンネ」
ニナは精一杯綺麗な微笑みを浮かべた。聖モントローズ王国での自分を思い出す笑い方だったが、この無邪気な女の子のためなら、苦痛だと思わなかった。
「お姫様ぁ?」
ニナに似合わない言葉だとフリッツが反応したのを、ジークハルトが足を踏んで黙らせた。
ニナはアンネをそっと自分の後ろに隠した。
「そ、そもそも、フリッツは聖女に拘り過ぎなんじゃないの? ローズ教じゃなく、聖女様教の信者なの?」
ニナはわざと、フリッツを煽るようなことを言った。
一刻でも早く、無理やりでも話を逸らして、ニナが言ったことを忘れてほしかった。
だが、フリッツはニナに食って掛かるどころか胸を張った。
「我が男爵家は、敬虔なローズ教の使徒。母は先代聖女様を敬愛しているからな」
「あ……そうなんだ」
そこまで堂々とされると、ニナは何も言えなくなる。
「フリッツ男爵家は、先代聖女の慈悲の精神に共感し、慈善事業を手広く行っているんです。悪い評判のきかない家です」
なるほど、とニナは納得した。
ローズ教の中でも、聖人に列される者への信仰を厚く持つ者がいる。聖人信仰と呼ばれるものだ。その中でも、先代の聖女を信仰する者は多い。
つまり、フリッツの中には三百年前の歴史を元にした確固たる聖女像が、出来上がっているわけだ。
それと比べれば、確かにニナは見劣りするだろう。
「だからって……勝手に期待して、勝手に期待外れにされるのも困るんだけど」
「期待外れどころか、失望ものだ」
今度はフリッツがニナを煽りにかかる。
「先代聖女様の顔に泥をぬるような女が聖女だなんて……」
嘆かわしいと言いたげの態度に、ニナはむっとしながら言い返した。
「先代って……三百年も前の話、実際のところなんてわからないじゃない」
「何だと? 侮辱するのか!」
「侮辱じゃなくって」
フリッツの気持ちも、少しわかる。
今の聖女であるニナは、自分勝手な理由で修道院を逃亡し、聖女であることを隠し、責任から逃げようと女給をして暮らしていた。理由をつけて、能力を使うことすら惜しんだり、嫌がったりしている。
でも、綺麗な理由だけで生きていけないのだ。
ニナは、三百年前に召喚されたという聖女に同情した。ひょっとしたらニナのように故郷を懐かしんで泣いた日もあったかもしれない。文化の違いに戸惑い、失敗したかもしれない。そのことが、無かったことにされているのだ。
「正直、美化しすぎなんじゃないのって思う」
「それが侮辱だと言っている!」
「どこが!? 先代の聖女様だって、事情があったかもしれないじゃない!」
言い合いは白熱していく。ニナもフリッツも引き下がる場所がわからなくなっていた。
「二人とも──」
ジークハルトが見かねて口を挟んだ時だった。
ピィィと甲高い笛の音が響いた。
「出たな」
フリッツの切り替えは見事だった。すぐさま敬虔は聖女信仰の使徒から獣討伐の騎士の顔になる。
「『聖女様のお役目』かと」
このあまりにも嫌味な言葉。癇に障る。
フリッツは、ニナの聖女として認めない。ニナとて認めてほしいわけではないが、彼の美学に反するからという理由だけで何もかもを否定されるのは気に食わなかった。
「行きましょう。お願いします。ニナ」
「わかってる」
先陣を切るフリッツに続き、ジークハルトとニナも駆け出す。
その裾を掴む手があった。
「え?」
「お姫様、怖いところに行くの?」
不安そうに見上げてくる小さな女の子がいた。
しまった、とニナは自分の失態に気づいた。フリッツとの言い合いに夢中になり、アンネが傍にいることがすっかり頭から抜けていた。
「アンネ。おうちに戻って。ここにいたら危ないから」
「お姫様なのに? お姫様は危なくないの?」
泣きそうな瞳に見つめられて、ニナは言葉に詰まる。
どうすればこの子を慰められるのかわからなかった。
「……お姫様じゃないの、私」
結果、ニナが言えたのは、アンネの夢を壊す言葉でしかなかった。
「そうなの? じゃあ、誰? 何?」
無垢な瞳で問い返されて、ニナは返事ができない。
わからない。ニナが一番わからない。
「誰だろうね」
それでも、ニナは行くと決めたのだ。
幸せを手に入れるために。手伝うと言ってくれた人と、約束をしたから。




