18身勝手に慈悲を乞う
怪我人が運ばれてきたのは、休憩が終わろうとする頃合いだった。
集会所の入口、庇の下に転がされた農夫らしき男の足は、あらぬ方向に曲がっていた。脇腹のあたりの服が裂けて血が流れていた。
「これは……魔獣か?」
フリッツが男を運んできた三人の農夫たちに聞いた。
「えぇ、はい。畑で出くわしたみたいです。角猪の」
角猪は、文字通り、額に一角がある猪だ。
これもまた、ニナが暮らしていた日本の猪よりも一匹一匹が大きい上、大きな群れで行動する。よく畑や果樹園に現れては作物を食い荒らす上、角を木にこすりつけて手入れをするものだから、果樹園では木そのものが駄目にされてしまうという厄介な害獣だ。
ただ、本来臆病な性格で、人を見れば逃げていくほどなのだが、魔獣と化せばその性質も変わるのだ。
「あの……あいつがいた」
怪我をした農夫が痛みで声を詰まらせながら言う。
「黒い霧の……変な角猪だ……」
ジークハルトが後ろに控えていたニナを振り向く。ニナは頷いて見せた。
──なら、ニナの役目だ。
「果樹園に行かないように伝えましたよね」
ジークハルトは呆れた様子だった。
「そのう、どうしても調子の悪い出来のがあって」
「それで、襲われてしまえば、元も子もないですね」
正論も正論だった。冷たいほどに。怪我をした農夫も、連れてきた男たちも悄然としている。
「医者はどうした? もう呼んでいるのか」
フリッツが尋ねた。
「いえ、この村に医者はいなくて……。医者にかかることがあれば、街に行くんで……。でも、この怪我だと馬車に乗るのはつらいだろうし」
馬車は揺れる。骨折している状態であれば、揺れるたびに傷むだろう。
「なら、医者を連れてくるしかありませんね」
「でも、今から迎えに行っても、日暮れまでには帰れないって出てきてもらえないことがあって……」
「では、今晩は痛め止めでごまかすしかないですね……。幸い、毒のある動物じゃない」
「ジーク様」
フリッツが、ジークに向き直る。その横顔には、緊迫感が漂っていた。
「まだこの辺りにいるはずです」
「このまま、討伐に出ましょう」
ジークハルトはすぐさま応じた。傍らに控えた騎士に声をかけた。
「至急集合するように! 討伐の準備を!」
「そのぅ……」
農夫が弱弱しい声で、騎士達の間に割って入る。フリッツを見上げるその目は、まるで何かをねだっているようにも見えた。
「部隊にお医者さんはおられませんか……」
「……生憎、医者は同行していない」
「それか、聖療師の方が同行されてませんか……せめて痛みだけでもましになれば」
角猪が出た報告が、彼らの目的ではなかったのだ。
医者に行くのがつらい、医者に来てもらえないかもしれない、明日まで待つのもつらい。
それで、ジークハルト達を頼ろうと思ったのだろう。
フリッツの視線が、露骨にニナを向く。農夫の視線もまた、釣られてニナへと向かう。
ジークが静かに注意した。
「フリッツ。よしなさい」
「しかし、ジーク様」
続く言葉を聞きたくなくて、ニナは彼らの視線からふいと逃げた。
きっとフリッツは思ったはずだ。
ここには、聖魔法を使えるものがいる。聖女の身分をいただいた人間なのだから、人に尽くすのは当たり前だ、と。
聖魔力が、魔力を元に事象を引き起こす他の属性の魔法と大きく異なるのは、魔力そのものに働きかける魔力属性であるということだ。
魔力は生命力の一種だ。
人や動物、植物に宿る魔力を活性化させることで成長を促すことができる。他属性の魔法を強化することもまた可能だ。
魔力が活発になれば、怪我や病が癒える速度が上がる。
怪我をすぐに回復させることはできないが、痛みを軽減させることぐらいならできる。健康な者に処置を施すと、体力等身体能力が向上することがある。
同様に、鎮静化させることも可能で、魔力酔いや魔力欠乏症といった魔力由来の不調を癒すことができる。
そうした魔力にかかわる治療や処置を行う職業が、聖療師と呼ばれるのだ。
(結界ともっとすぐに治癒ができるとかなら良かったんだけど……。聖なる矢が出せるとか)
ニナはこの世界の聖魔法の使い道が、それしかないと知って、正直がっかりしたものだ。
(それなら、エドウィン殿下から頬を張られることもなかっただろうな……)
物理的な暴力の前では、耐える以外の選択肢がなくなるのが悔しかった。
聖魔力でなければ、とさえ思ったこともあった。
(きっと、ジークも言うんでしょうね。ニナお願いできますかって)
手元に使えるものがあれば、使うだけだ。彼らは王国の紋章を背負う騎士だ。王国は民あってのもの。国民の支持が下がるようなことや、悪評を招くことはしたくない。
たとえ、それが、国民を守ろうとした騎士の指示を聞かなかった結果招いた結果であっても。
ニナは、彼らに協力すると約束した。でも、魔獣の黒い霧を祓うだけだとは言っていない。
こうやって、なし崩し的に役目が増えていくのだろう。釈然としない思いがあった。
(やっぱり、私は聖女に向いてない……)
思いながらも、ニナは進み出た。
「いいよ。私が、やるから」
指示されてからやるのも、もっと気に食わない。
「ニナ……? ちょっと……!」
ニナはそのまま怪我をした農夫の傍らにしゃがみこんだ。
ジークハルトが制止しようとしていたが、ニナは聞かなかった。何を止めようとしているのかわからなかったのだ。
自らの中の魔力を練り上げる。体の中で魔力の流れが生まれるのがわかった。
ニナは怪我をした農夫に触れた。ニナの手から農夫の体へ。魔力が流れていくのがわかった。
農夫の体が耐えうるだけの魔力を流し込み、ニナは手を離した。
「聖療師の方だったんですね!」
心配そうにしていた男が、ニナに安堵の笑顔を見せた。
「い、痛みが引いた!」
「いやぁ! よかった! これで馬車に乗せれます!」
「急がないと! 今なら日暮れまでに戻ってこられるぞ!」
痛みが引いた興奮からか、農夫たちは声高に歓喜を叫ぶ。
馬車を手配しに行くもの、怪我人を担ぐもの──慌ただしさに、ニナに礼をいうことも忘れているようだった。
(別に期待したわけじゃないけど)
聖モントローズ王国でもずっとそうだった。賞賛と礼を浴びるのはエドウィンだった。きっと、国という大きなものが関わると、そうなってしまうのだろう。ニナは諦めの気持ちでそう思った。
(結局、ここでも同じなんだ──)
ニナを疑って、それでも役目は果たしてほしくて、奉仕されるのが当たり前で。
「ニナ」
呼びかけに振り仰ぐと、ジークハルトが複雑そうな顔でニナを見ていた。
それはまるで、ニナの勝手な行動を咎めているような表情にも思えた。




