15研究員の興味
「友好を温めるのはこのあたりにして、本題に移りますか!」
ヨハンは、仕切り直しをするように手を打ち鳴らした。パン、という音が合図になって、ジークハルトの手が離れていく。
手の中にあった暖かさが、空気に紛れて消えていく。
ニナは少しでもその温度をとどめようと、きゅっと自分の手を握った。
「それでは、ニナ様」
ヨハンは、身を乗り出した。やっと順番が回って来た、と言わんばかりの態度だった。
「聖モントローズ王国で聖女としてご活躍だったとか! 聖魔法の訓練にはどのくらい? 特に得意な魔法は? 療養所で奉仕した経験は? 魔獣について──」
「あの、えぇっと……え?」
すらすらと淀みなく出てくる質問に次ぐ質問。ヨハンの目は爛々と輝き、鼻息すら荒かった。少年まがいの若々しい美貌が台無しだ。
「ヨハン、いい加減に。ニナが驚いています」
ジークハルトが慣れた口調で止めに入った。
「この国に協力してくれるのですから、今全ての疑問を解決しなければならないわけではないでしょう。──ニナ、すいません。これでも研究員なので、興味は尽きないようで……」
「だって、聖魔力の魔法師は、ローズ教にとられるか療養所にとられるかで、王宮の研究所には来ないんだ」
ヨハンはすねた様子で口を尖らせた。子供っぽい仕草だった。
「いえ、あの、またの機会に、一つずつ質問してもらえれば……」
「心から感謝です。聖女ニナ様」
「様は無くて大丈夫です。あと、敬語も……」
「では、ニナ。──ただ、人前では周りに示しがつかないので、ニナ様と呼ぶことはご理解ください」
しぶしぶ頷いたニナに一つ笑いかけて、ヨハンは続ける。
「本題になるけど──聖モントローズを襲い、今またこの国を蝕んでいる魔獣の被害について、どの程度把握しているのだろう?」
「どの程度……」
大雑把な問いかけだ。返答に迷うニナに、ヨハンは質問をかみ砕いた。
「ニナが、異世界から召喚されたことはこちらも把握している。その上で、聖モントローズ王国でどのように説明を受け、自分でどういったものと感じているか。いつから発生して、どうやって収束したまで、一連の流れがわかるなら、それも教えてほしい」
「聖モントローズ王国で、黒い霧が発生し始めたのは五年前だって聞いてて……。すぐに私が召喚されて、二年の修行期間をおいて、それから魔獣を討伐するために国中をまわり始めたの。それから二年と……半ぐらいだったかな、収束にかかったのは」
一年丸ごと討伐にかけられるわけではないので、それだけの時間がかかった。
社交シーズンは王宮が忙しくなるので中断され、ローズ教の聖降祭や主要な聖人の日となると教会で礼拝があり、ニナは王都を離れられなかった。
「魔獣の黒い霧については?」
「魔狂の状態に陥らせるもの」
「そもそも、魔獣が纏う黒い霧がどういうものか、聞かされてる?」
ヨハンの質問が意図した答えを返せていなかったらしい。微妙に意味を変えた問いかけに、ニナは一瞬口ごもった。
黒い霧が何か──。ニナは聖モントローズ王国でもあいまいな説明しかされていなかった。
「よくない魔力を含んだもので、聖女が扱う聖魔法でのみ消しさることができる。だから、黒い霧の魔獣は、魔狂と似て非なるものだって……」
ヨハンとジークハルトは真剣な表情で顔を見合わせた。ニナは胸に不穏がざわめきが広がっていくのを感じた。
この空気。まるで間違いを指摘するために確認をしているような──。
「半分正解で半分間違い」
「え?」
「理由はわかりませんが、聖モントローズ王国が、おそらく嘘半分、真実半分の説明をニナにしたのでしょう」
ジークハルトがそう断言する。
「調査の結果──。黒い霧は、高濃度の魔力そのものだと判明している」
「魔力、そのもの?」
「黒い霧の影響は、つまり魔力過多の症状。つまり魔狂そのものと同じってこと」
「それは──そうだけど、でも、そもそも黒い霧がよくない魔力だから、症状がひどくなるって──」
ニナはヨハンの説明が納得できなかった。ニナは聖モントローズ王国に騙されていたと簡単に認められなかったのだ。
「魔力そのものに良いも悪いもない。どんなものでも、過ぎれば毒になる」
ヨハンはきっぱりと言い切った。
ニナは混乱していた。聖モントローズ王国が自分に嘘をついた理由はわからない。ただ、あの国で使いつぶされる以上に自分が軽く扱われていたことがわかってしまったのだ。
「どうして、突然高濃度の魔力が出現したのかなど、わからないことは多い。ただ、魔力である以上、対処法は一つしかない」
「聖魔力?」
「そう。そこで聖女様の出番になる」
「あれ? でも、それなら──」
ニナは純粋に疑問として思った。
「聖魔力でいいのなら、聖女でなくてもいいんじゃないの?」
「理屈上はね」
ヨハンは一度は肯定するが、すぐに引っ込める。
「ただ、現実的には不可能だ」
そして、ニナに感嘆のまなざしを向けた。
「流石、聖女と呼ばれるだけあって、ニナは圧倒的に聖魔法の適正が高いんだろう。ニナは一人で黒い霧の対応をしていたけれど、同じことをしようと思うと、聖魔法を使う人間を何人集めればいいのかわからない。それが何か所にもなると──」
ヨハンは首を横に振った。
「ただでさえ、魔法を使える人間は十人に一人程度。さらに聖魔法が使える人間はどの属性よりも少ない。残念ながら、現実的に対応できるのはニナしかいない。──ニナ様は、まさしくこの危機に立ち向かうべきして呼ばれた方」
ヨハンはわざとらしくニナに様をつける。その仰々しい言葉が不快で、ニナは顔をしかめた。
「現在、この国では、魔獣の被害が大きくなっています。ニナ様には、被害が出ている地域に赴いて魔獣の排除をお願いしたい」
だが、すぐにその考えを改めた。ヨハンは、聖女としてのニナに向けて言っているのだ。
「わかってる」
ニナは背筋を伸ばして、神妙な面持ちで頷いた。
ヨハンはテーブルの上に地図を広げた。すでにいくつかの場所に印が打たれていた。ニナはその印を凝視した。もう、こんなに被害が出ているのか。
「こんなに?」
「今まで被害報告があった場所の一覧だから、被害が続いているか、魔獣が移動しているかの再調査が必要になる。再調査はこちらで進めるとして、まず直近で被害があった場所に行ってもらいたい。到着したばかりで申し訳ないけれど」
「これまで通り、私達討伐部隊が護衛に付きます。ニナに無理のないよう進めましょう」
ジークハルトが安心させるように微笑む。
「大丈夫」
ニナはしっかりと頷いた。魔獣の対処について、ニナは何も不安に思っていなかった。ニナには、聖モントローズ王国の聖女としての実績がある。
「今のところ、根本的な原因も対処法も何もわかっていない。聖モントローズ王国で解決したとたん、こちらに出現したのなら、何らかの関係はありそうだけれど」
ヨハンが独り言のようにつぶやく。
「先代の聖女様はどうしてたんだろうなぁ?」
「歴史書とかに、書いてないの?」
ニナはふと思いついて尋ねた。
前回の災厄について市井に伝わっている程のものだった。国が記録として残していてもおかしくない。
「この国では大した履歴は残ってない。聖女はローズ教会が召喚したから、ひょっとしたらローズ教会が資料を持っているかもしれないと思って、何度も問い合わせてるんだけど 」
ヨハンのしかめっ面に、ニナはローズ教の風土を思い出した。
末端こそ、市民に開かれている宗教だが、上に行けば行くほど閉鎖的になる。
「返答がないのね……」
ニナの脳裏にふと、聖モントローズ王国の記憶がよみがえる。
先代聖女は、ローズ教で召喚され、災厄を鎮めた後、教会に身を置きながら王家によく仕えた。
だから、聖モントローズ王国には聖女にまつわるものがいくつか国宝として保管されていた。
銀糸の刺繍のローブや、ローズ教教皇の祝福を受けた聖杖、それから──。
「聖女の手記があったと思う……聖モントローズ王国の国宝になってる」
ひょっとしたらあそこに、仔細が書かれているかもしれないと思ったが、ニナはすぐに首を横に振る。
「でも、駄目かも。国宝で、王家の血筋の者しか触れないって聞いてる。中身を読めるように、写しもいくつか作ってたみたいだけど……。こっちも、持ち出しも王家の許可が必要だったはず」
つまり、王が病に伏す今、エドウィンの許可が必要になるということだ。
「しかも、わが国と聖モントローズ王国には、正式な国交がない」
ヨハンは姿勢を正すと、今一度ニナに一度頭を下げた。
「なので、今は、聖女様におすがりするしかない」
「わかってる……。そういう約束だもの」
ヨハンが顔を上げる。ヨハンとフリッツ、ジークハルト。三者三様の表情でニナを見ている。心配と不安、そして少しの疑い。きっと、突然現れた聖女への国民の感情そのものでもあるのだろう。
「だから──私が、行きます」
それが、今のニナの仕事のようなものだ。




