14騎士の噂話
謁見の間を出て、ニナはジークハルトと別れることになった。別の用があるというのだ。
ジークハルトのエスコートに従って、先ほどとは別の部屋に入った。そのままニナを置いて出ていこうとするものだから、ニナは、とっさに彼の服の袖を掴んでしまった。
知らない国の知らない王宮。そんなところで一人で置き去りにされては身の置き場がなくなる。
よほどの顔をしていたらしい。ジークハルトは苦笑しながら言った。
「そんな心細そうな顔をしないでください。フリッツがすぐに来ますから」
そして、フリッツが迎えに来るのを一緒に待ってくれた。
「すぐにまた会えますからね」
まるで子供に言い含めるような言葉。ニナはただこくりと頷いた。
テーブルを挟んでソファがある。応接室のようなしつらえだった。ソファに張られた布には金糸で手の込んだ刺繍が施されているし、黒いテーブルはまるで宝石のようにつやつやと輝いていた。
ソファに座れば絹の肌触り。座り心地をはしゃいで楽しむ気にはなれなかった。
「ジークって……公爵家の人だったんだね」
「だから言っただろうが。気安くしていい方ではないと」
フリッツがそれ見たことかと、ニナを見下ろす。
「あの方が身分を振りかざさない方だから良いものの。本来、俺も愛称で呼ぶこと等許されない方だ」
「男爵家でしょう?」
「新興の家だ。ジーク様は歴史ある公爵家の出身。格が違う」
「ジークのこと、何も知らなかったなぁ……」
少しばかり身分の高い人だとは思っていたが、公爵とまで高いとは想像していなかった。
ニナは自分の振る舞いがあまりにも無礼だったような気がしてきてしまう。こればかりはフリッツの言う通りだ。
ニナがまとう空気がどんどん重くなるのを感じてか、フリッツが面倒臭そうに語り始めた。
「ジーク様の家、ブルメンタール家はこの国では古い公爵家で、王国の西に領地を賜っている。この領地が地味豊で葡萄の栽培が特に盛んだ。数代前のご当主が葡萄酒の生産を促し、またひときわ豊かになった。安定した領地運営を行っている」
「フリッツ……」
ニナの気持ちを汲んで、教えてくれているのだ。ニナは感謝のまなざしでフリッツを見上げた。
だが、フリッツはじろりとニナを睨み下ろしただけだった。
「これ以上、ジーク様に無礼を働かないようにするためだ」
そんな相変わらずのことを言う。
「当代のご当主──ジーク様の父君が、陛下の妹君を娶られて、ジーク様がお生まれになった」
「──と言っても、陛下の妹君を降嫁されたのは、ブルメンタール家だけではないのですけれど」
突然割って入って来た声に、ニナとフリッツは口をつぐんだ。ジークハルトだ。
ドアをうっすらと開いて、こちらをうかがっている。
「私の噂話ですか? 外に少し聞こえていたので」
ノックもなしに扉を開けたことは礼に反するのだが、本人のいないところで噂話をしていた手前、それを責める立場になかった。
「構いませんよ。続けてください」
「ジーク様がいらっしゃるのに、俺が何を語ればいいんですか」
いち早く立ち直ったフリッツが、少し不貞腐れたような様子で言う。
「わ、私が知りたいって言ったの」
ニナは慌てた。この流れでフリッツが責められるのは哀れだ。
「ジークが公爵家の人って知らなかったから」
「──じゃあ、彼女、お前が王位継承権の三位ってことも知らないんじゃないのか?」
別の声が割り込んでくる。ジークハルトの後ろから、男がひょいと顔を見せた。
あまりにあっさりと告げられた事実に、ニナは眩暈がした。
王位継承権。つまり、ジークハルトはこの国の王子様に等しい人だったということなのか。
「おう、い……!」
「ニナ、何も身構える必要はないんですよ。この偏屈眼鏡にも王位継承権がありますから」
「正確には、あった、だけど」
男は二十代頭──ジークハルトと同じぐらいの年齢だろうか。
ひょろりとした体躯に繊細そうな顔立ちをしていた。肩あたりまで伸びた髪を無作為に束ねており、首元の釦を外して鎖骨が見えている。軽装を着崩したような恰好は正装したジークハルトと比べると、その飾らなさが悪目立ちしている。
「初めまして聖女様──ニナ様。俺はヨハン・ワルター。テオパルド王国魔法研究所の主席研究員を務めています」
ヨハンと名乗った男は笑いながら紳士の礼をした。
笑うと女性的な印象が際立つ。美少年がそのまま大人になったような人だった。ニナはヨハンの微笑みに見とれてしまった。慌てて、話題を戻す。
「その、王位継承権っていうのは……」
「我が国は男子が立太子するのが決まりなんです。ただ、先代の国王陛下は、子供が多いのに男の子は一人だけしか生まれなかった。その上、先代の陛下自身も男兄弟がいない。当時王太子だった今の陛下にも、まだ子供はいない状況だったんです」
ジークハルトはニナの向かいに腰を下ろしながら説明してくれる。
「そこで、妹君達を有力貴族に降嫁させて、男の子が生まれたら養子として王家に召し上げるということになりました。──まず、陛下に子が生まれまして、彼が今の王太子殿下になります。その次に、公爵家に嫁いだ母が私を生みました。なので、当時、王位継承権は二番目だったんです」
「その次に生まれた俺が三番目。我が国では王位継承権の三番目まで、事実上の王子として扱われる。なので、この慇懃無礼野郎も王子様になる。一応、俺も元王子様」
ジークハルトと彼は王太子殿下含めて従兄同士、ということなのか。
(だから、仲がよさそうなのね。悪口を言い合うぐらいに)
「元? 今は王子様じゃないの?」
「王太子殿下が成人され、大公家から妃殿下を娶り、子供が生まれました。一人目が男の子、二人目が女の子です」
「男の子が生まれた段階で、俺の王位継承権はなくなって、ジークが三番目になった、というわけ」
「妃殿下が今、またご懐妊中です。臨月で間もなく御子がお生まれになります。今度も男の子であれば私の王位継承権は消えます。なので、所詮私の血筋につっくいた厄介な肩書程度にすぎないんです」
ジークハルトはやわやわとした笑みを浮かべた。
「殿下が生まれれば、私の王位継承権は消えますから」
ニナは文字通り頭を抱えた。頭を抱えるようにして体を折る。視界いっぱいに映った刺繍の糸が流れる方向を見て、落ち着こうとする。
「ちょっと混乱してる……」
「別に難しい話じゃないだろ」
フリッツは、ニナが理解できていないと思っているのだ。
違う。
ニナはただ、ジークハルトがニナが想像するよりもずっと身分の高い人で、そんな人にぞんざいな口をきいたり、我がままじみたことを言っていたことに、混乱しているのだ。
「ジークに……」
ニナは頭を抱えていた手を解いて、ゆっくりと顔を上げた。
目の前に、ジークハルトがいる。いつもの優雅な微笑みを浮かべたまま、ニナを見ていた。
その微笑みが美しすぎて作り物時見ていると感じたのは、ニナの勘違いだろうか。まるで、自分に強いているように。
「すごく失礼なことをしてたんだね……」
「いいえ」
ジークハルトはきっぱりと言う。冷たささえもはらんだ声に、ニナは自分の言葉でジークハルトを傷つけてしまったのではないかと思った。
「失礼でも無礼でもないんですよ。ニナ。私がそうして欲しいと言ったのです」
ジークハルトは手を伸ばした。半端に宙を浮いたままのニナの手を掴んだ。つやつやと光テーブルの上に、つながれた手が反射している。
ニナはテーブルに映りこんだ自分の手を眺めていた。ジークハルトを直視できなかった。
なのに、ニナが下がった分、ジークハルトは足を踏み込むのだ。
「『ただのニナ』。あなたがそう言った時、それが許されるのなら、楽しいと思ったんです。だから、あなたの前にいるのは、『ただのジーク』なんです。」
正しい距離のわからないまま、手はつながれたまま、ニナはジークハルトと向き合っていた。




