11聖女(仮)の旅路
ニナは膝に乗せたバスケットを開いて、わぁ、と声をこぼした。
「なるほど、街の方からの心づくしですね」
ジークハルトの言葉に、ニナは無言で頷いた。バスケットの中にはカリーナの店のパンや、オットーの食堂の名物である川魚とじゃがいものフライ、瓶詰の牛乳が詰められていた。
夜が明けきらぬ時間に、ニナ達は町を発った。いつ発つのかわからないニナのために待ち続けてくれた人がいたのだった。
「ニナが助けてくれたのね。ありがとう」
「無事に帰ってくるんだよ。必ずね」
カリーナの抱擁を受けるニナの頬を、シシーが撫でる。
ニナが何のために発つのか、彼らはわかっていないのかもしれない。漠然とニナに大きな役目があるということだけは、察しているのだろう。
「これを持って行きな」
オットーがニナにバスケットを抱かせた。
「どうか無事に」
ジュードの言葉はそれだけだった。太陽のような笑顔は、今はない。ニナはとても残念だった。
ニナはただ頷くだけで答えた。その瞳をじっと見つめる。
もしかしたら、この先、この町で育ったかもしれない想いが、確かにあったのだ。
未だに眠りの中にいるような静かな町を出て、街道沿いを進み、ヒューシュフルツを囲む林を抜けた。昼前には芝生が広がる場所に出て、そこで休憩になった。
騎士達が芝生の上に広げてくれた敷布に腰を下ろし、ニナはやっと親しんだ人達からの心遣いを受け取ったのだった。
「ひとついただきますね」
「あ……!」
ジークハルトはバスケットからじゃがいものフライをつまみ上げた。制止する間もなかった。
「素朴でおいしいですね。これ、街の名物なんですか?」
「オットーの店の定番なんだけど……」
魚やジャガイモのフライは、酒場や食堂で一般的なメニューだ。
それを知らないのは、彼が生粋の貴族だからなのか、あまり庶民と交わってないからなのか。
身分が高いからといって、断りもなく食べてしまうのは、なんというか──。
ニナは無遠慮に手を付けられたバスケットを眺め、ぽつりとこぼした。
「意地汚い……」
「毒見だ。馬鹿者」
「え」
独り言に返事があった。フリッツだ。驚いて見上げれば、眉間の皺を深くしたフリッツがいた。
「聖女と知られたわけではないが、得体の知れぬ理由で王都の騎士に同行することを、悪く思う人間が出てもおかしくない。自分の立場の自覚がないのか?」
フリッツは、一転、丁寧な口調でジークハルトに言う。
「ジーク様。毒見はこちらにお任せください。隊長自らなさることではないでしょう」
「私は草魔法ですから。植物由来の毒なら、対処できます」
「毒が利かないの?」
フリッツに言い返そうと思ったが、ジークハルトの話が気になってしまった。
「効かないわけではありません。そもそも、騎士として出仕する際、毒の耐性の訓練はある程度するんです。その上で、私は草魔法で解毒の植物を作ることが可能です。毒物と植物の勉強はかなりしましたね」
へぇ、とニナは感心の声を漏らす。
「草魔法って、そんな使い方なんだ……」
自分の能力の練習はしたが、他の属性についての知識は本に書いてある通りのことしか知らなかった。
「後は、いざという時に食うに困らないのが良いですね。向日葵や南瓜の種は保存食に大変良い」
「ジーク様!」
フリッツが、ジークハルトの冗談を慌てて止める。
「自らの品位を落とすような冗談はおやめください! お前も──聖女と言えど、気安くして良い方ではないのだ」
そういわれても、ジークが気安くしていいと言ったのだから、改めるつもりはなかった。
ニナにとって、ジークハルトの第一印象は、紳士的で温厚というものだった。
フリッツが男爵家の出身なら、乳兄弟のジークハルトは少なくとも伯爵以上になる。それなのに、ニナに気安くするのを許し、自分は丁寧な言葉遣いと柔らかな物腰を保ったままだ。そうやってニナを立ててくれる。
聖モントローズ王国で、聖女と呼ばれながらも常に他の貴族から下に見られていたニナにとって、ジークハルトの振る舞いは新鮮で、くすぐったくもありがたいものだった。
しかし、その印象は、わずか数時間で別のものに変わりつつある。
(なんだか、軽い……)
言動がしばしば軽く、とらえどころがない。柔和に見えた微笑みは、本心が読めない仮面のように見える時があった。
例えば、こんなことがあった。
町を出立して昼休憩になる前に、水場の近くを通りかかり、小休憩を挟むことになったのだ。ジークハルトは自分の馬を部下に預けて、ニナの乗る馬車にやって来たのだった。
「次の休憩まで、ご一緒しても構いませんか?」と。
聖女だとしても庶民の出身のニナは、彼と馬車に同乗する身分ではないはずだ。
聖モントローズ王国でも、ニナはエドウィンと馬車を共にしたことがなかった。
その上、馬車が良くなかった。屋根付きとはいえ荷馬車だったのだ。席は設えてあったが、万が一の時に怪我人を運ぶためのものなのだそうだ。
元々、客人を乗せて帰るつもりはなかったのだろうから、仕方のないことだ。騎士達もさすがに申し訳なさそうにしていたぐらいだ。
筋金入りの庶民のニナは、気にしていなかったが、フリッツはジークハルトの行動を身分似合わないと渋い顔をしていた。
そんな荷馬車の中で、ジークハルトは、馬車の中でニナの話し相手になってくれた。
ニナの好きなものや楽しいと感じることをたくさん聞いてくれた。その時間は楽しかったのだが──。
(不思議な人……。変わった人?)
今も、荷物の片づけをしはじめて、周りの騎士を慌てさせていた。それも、きっと身分柄彼の仕事ではないのだろう。
(伯爵……? まさか侯爵とか……)
ニナは横目でジークハルトを追いながら、ヒューシュフルツ名物で埋め尽くされたランチを食べ進めた。
お腹が膨れた後、ニナはバスケットを片付け、敷布から出た。
芝生の中に、白いこんもりとした花が密集しているのが見えた。故郷の白詰草に似ていた。幼い頃、摘み取って花冠にして遊んだものだ。
(懐かしいなぁ)
聖モントローズ王国にいた頃は、こんな風に野の花を見て故郷に思いをはせることもなかった。
ニナはしゃがみこんで、引き付けられるように白い花の茎に手を伸ばした。
「おい、勝手な行動をとるな!」
大きな制止の声が飛んできて、ニナは手を止める。
第一印象と第二印象が変わらないのが、この男──フリッツである。
ニナに対して厳しいのは相変わらずだった。特にジークハルトに気安い態度をとったり、ニナが淑女として相応しくない行動をすると目つきが厳しくなる。
フリッツは、ニナが他愛もない野の花を摘もうとしたところを見咎めたのだった。
「聖女たるもの、みっともないと思わないのか」
「聖女って……」
反論が喉で渋滞を起こしていた。そもそも聖女になりたくてなったわけじゃない。聖女だと花を摘むことも許されないのか。
かといって、ニナはすぐに思った言葉を口にできなかった。
エドウィンの元、罰でもって口を封じられたような日々を思い出したからだ。
(でも……。このままは、嫌)
言われるがままに従い、俯くような日々はもうたくさんだった。
ニナは恐る恐る口を開いた。
「そのぅ、突然怒鳴りつけるのは、みともなくないんですか……?」
「な……!」
ニナの反論に、フリッツは言葉を失っていた。ニナが反論しないと思っていたのか、反論さえも彼が思う聖女とかけ離れているからなのか。ニナは、身構えたまま、フリッツが口を開くのを待った。
殴られはしないだろうが、怒鳴られる覚悟ぐらいはしていた。
「はは……!」
空気が軽くはじけるような音が聞こえた。ジークハルトだ。
「彼女が正論ですね。フリッツ。淑女を怒鳴りつけるのはいただけない」
「は!」
フリッツは、姿勢を正すと、従順な返事をする。
その変わり身の早さに、今度はニナが絶句した。
「何それ……」
独り言は、風にさらわれて消えていく。
「本当に、よくわからない……」
フリッツもジークハルトも。
ニナは、一瞬で上司と部下らしい緊張感を消し、古い友人のように談笑し始めた二人を見ながら思う。
話が一段落したところで、ジークハルトが、ニナを促した。
「行きましょうか。ニナ」
ニナは小走りで先を行く二人との距離を縮めようとした。
「聖女って、本当に?」
囁くような声がする。ちらりと視線だけ向けると、三人の騎士が、離れた場所で馬の面倒を見ていた。作業に集中するふりをしながら、時々ニナを見て噂話をしていた。
「さぁ、でも隊長が言うならそうなんだろ?」
「誰か見たか? あの人が獣の黒い霧を消すところ」
「いや、俺は討伐に集中してたから」
騎士はジークハルトを除いて十人。あの時あの場で、ニナが魔獣の黒い霧を消すのを目の当たりにしたのはジークハルトだけだ。他の騎士は、山狼の対処にかかりきりになっていて、その場を見ていない。
(疑うのは仕方がないんだろうけど……息苦しいなぁ)
今まで自分たちがどうにもできなかったものが、突然消えた。それもわけのわからない女が聖女だと言う。
戸惑い、疑うのも理解できる。
(でも……。そう──仕事。聖女は、仕事みたいなものだもの)
ニナが聖女としての務めを果たす。ジークハルトがニナを幸せにする手伝いをする。そんな仕事だ。
割り切ってみれば、少し気持ちが楽になった。
顔を上げ、何も気づいていな振りをして彼らの傍らを通り過ぎた。
「ニナ。どうぞ」
ジークハルトが振り返り、手を差し伸べる。
その手に自分の手を重ねようとして、ニナはジークハルトの長い指の隙間に、細い緑が息吹くのを見た。
白い小さな花が咲く。
(この人のことも、よくわからない、のだけれど……)
ニナはそっと一輪の野花に手を伸ばす。
一人ではない。ここには、はっきりとニナの味方をしてくれる人がいる。
ニナは幸せを探す手伝いをしてくれるという彼を、信じていたいのだ。




