10騎士の誓い
その夜、ジークハルト達の宿に泊まることになった。
王国騎士がニナを連れて歩いていたことは、すでに町の話題をさらっているらしい。
(みんな、大丈夫かな……)
騎士達と行動を共にしているニナに実感はなく、宿の部屋の窓辺に寄りかかりながら、ぼんやりと友人達に思いをはせた。
防犯のためと、ニナは中庭に面した部屋を割り当てられた。町の様子はほとんどわからなかった。
夜は更け、窓の下には、正方形の中庭にランタンが灯されているのが見えた。
ここは、ヒューシュフルツで一番大きな宿だった。中央広場のすぐそばにあり、見事な中庭を囲むような建物は、贅沢な広さの部屋を限られた数だけ配置している。
避暑の時期になると、都市からの観光客で満室になるのだそうだ。中庭は宿泊客であれば入ることができる。
(まだ、入れる、よね……)
ニナは窓から体を離した。
部屋で考え事をしていても、行き詰まるだけだ。閉ざされた中庭であれば、少し歩くぐらい問題ないのではないか。
そう思ってドアを開けると、廊下に兵が立っているのが見えた。よりによってフリッツだった。
顔が渋くなる。フリッツは、目ざとくニナの表情の変化をみると、こちらも不服そうな顔をした。
表情だけで、お互いがどんな感情をもっているのかわかるというものだ。
「外に出ても構いませんか」
ニナは気持ちを押し込めて、できるだけ平坦な声で聞いた。
「駄目だ」
即答だった。
「庭だけでいいんです。少し考え事をしたくて」
「自分の立場の自覚がないのか? 不用心にもほどがある」
睨み下ろされて、ニナはむすっとした。
食い下がることもできず、かといって引き下がりたくもない。
「私がエスコートしても構いませんか?」
「あ……」
廊下の先から、ジークハルトが歩いて来る。休憩なのか、防具をつけておらず、服装も紋章のない軽装になっていた。
フリッツは、居住まいを正した。緊張感が迸っているのがわかる。
フリッツとは対照的に、ジークハルト気負ったところがなかった。あくまで自然で、人を冗談めかして誘うように、ニナに手を差し出した。
「お手をどうぞ。聖女様」
軽やかな誘いだった。ニナは、促されるまま、ジークハルトの手を取った。
ニナはエスコートされるまま階段を下りる。中庭に続くガラス戸を開いて、夜の空気の中に出た瞬間、ニナは突然気恥ずかしくなる。
(どうして、ほとんど初対面の人にエスコートされてるんだろう……)
聖モントローズでは、常にエドウィンの後ろに控えているだけだった。彼はニナをエスコートなどしてくれなかった。
ジークハルトは自然な動作で、ニナの手を自分の軽く曲げた肘に誘った。
ニナは、頬が熱くなっているのがわかった。こんな風に、丁寧に淑女らしくエスコートされたことなんて、初めてだった。
「フリッツが失礼しました」
「え? いえ……」
「悪い男ではないんです。ただ、融通が利かないというか、真面目一筋というか……。フリッツは男爵家の出身で、彼の母が私の乳母をしていた関係で付き合いが長いんです。私は慣れているんですが」
唐突に、ジークハルトが話し出す。ニナは上手く返答ができなかった。
フリッツの行動を失礼だと、無遠慮だと思えども、ジークハルトに謝罪をされる理由がないように思えたし、彼からの謝罪で許す許さないを決めるものでもない気がした。
ニナが答えに困っていることに気づくと、ジークハルトは話題を変えた。
「ここは、とてもいい町ですね。私は初めて来たんですが、のどかで美しくて」
「そう! そうなんです。みんな優しくて」
ニナはこくこくと頷く。だから、ニナは守りたいと思った。できることなら、この町でもっと暮らしたかった。
ジークハルトは、ニナを少しばかり悲しそうな目で見ながら言った。
「あなたが犠牲を厭わないほど愛するのがわかる」
「え……?」
「修道女ひいては聖女であることが嫌になったのでしょう。そうでなければ、川に身投げなどしない」
ジークハルトはニナの事情をすっかり把握していた。
「これまでのことが無駄になるとわかって、それでも力を行使することを選んだ。気高い選択だと思います」
「私は……」
言葉が喉の奥につっかえて、上手く出てこなかった。
わかってもらえたことに、ほっとした。
何より、一方的に要求をぶつけるのではない。ニナの話を聞いて、事情を汲んでくれたことが、ありがたく思えた。
「聖女様について、聖モントローズ王国から正式な公表はありませんでした。ほとんど国交のない国なので、外交筋から問い合わせることもできず、遠回りですが我が国のローズ教会から聖モントローズのローズ教会に問い合わせたところ、こちらも返答もありませんでした」
流れるような説明を、一度区切り、ジークハルトは続ける。
「ただ──先日、聖モントローズ王国から、事故で川に転落した修道女を探したいので探索隊の入国許可を得たい、という連絡がありました。もし死亡しているのなら、弔いたいので遺体を引き渡してほしい、と」
「え?」
ニナは、聖モントローズ王国が自分を探しているという事実に顔色をなくした。
「その様子だと、やはりあなたがここに流れ着いたのは事故ではなかったのですね」
「脅し……ですか? 言うことを聞かなければ、聖モントローズに引き渡すということですか?」
ニナは声を低くした。
「いいえ。まさか。聖女様を引き渡しては、こちらの国が倒れます。私は事故なのか、そうでないのかを知りたかっただけです」
ジークハルトは、ニナを落ち着かせるように声を穏やかにした。
「決して、脅しているつもりはないんです。聖モントローズでは聖女を務めながらも、命を捨てる覚悟でここに来た。その心の底にあるものは何なのですか?」
怖いものなんて、決まっている。
聖モントローズ王国では、誰もニナを尊重してくれなかった。ニナはエドウィンが民を救ったという実績を作るための道具でしかなかった。馬鹿にされて、何もかもを強制されて、取り上げられるような日々に戻りたくない。
「何が、不安なのか、打ち明けてはもらえませんか? どうして、聖女として生きることを躊躇うのかも」
ニナは口を堅く引き結んだ。
(言いたくない)
聖モントローズ王国で自分がどんな風に扱われていたかを知られれば、同じように扱われるのではないか。そう扱っていい人間だと思われるのではないか。
そう思うと、言えなかった。
「では、何か望みはありますか? 願いは?」
「え?」
ジークハルトは、ニナの手をそっと包み込み、向き合った。
改めて向き合うと、確かに、ジークハルトは他の騎士と比べれば線の細く感じられたが、ニナよりも頭一つ分は背が高かった。
「力を貸してください。聖女様。あなたが慕った町を奪う埋め合わせになるかはわかりませんが、できるだけ希望に沿うようにいたします」
若草色の瞳に見つめられて、ニナはその視線を受け止めきれず目を伏せた。
「例えば……お金で解決できることであれば、ある程度は。宝石とかドレスとか、家とか、土地とか」
「そういうのが、欲しいわけじゃないんです。ただ……」
ニナの脳裏に母の声がよみがえる。
幸せに。
この町で手に入ると思った。絹のドレスも輝く宝石も、広い土地も必要ない。豊かでなくても構わない。
「──ただ、幸せになりたいんです」
「幸せに、ですか」
きょとんとした声、ニナははっと口をつぐんだ。抽象的な話だ。夢見がちな少女のような。
「なかなか難しいですね。あなたが何に幸せを感じるのか、何をもって満足のいく幸せなのか、私にはわからない」
馬鹿にされるかもしれない、と身構えたニナに、ジークハルトはあくまで真摯に向き合ってくれる。
「だから、教えてください」
「え?」
「力を尽くしますよ。幸せだと感じてもらる瞬間を、一つでも多く、作るために」
ニナは恐る恐る顔を上げた。
そこには、穏やかな笑みを浮かべたままのジークハルトがいた。ニナを軽蔑したり、馬鹿にする様子もない。
ニナは、呆けたようにその顔を見つめていた。
きれいな瞳だな、と初めて思う。春に芽吹く命の輝きのような──。
「花は好きですか?」
「え、あ、はい」
ニナは、無遠慮に彼の顔を見つめていたことに気が付き、慌てて目を逸らした。
「色形が美しいもの? 匂いがよいもの? どんなものがお好みですか?」
「どんなもの……」
改めて聞かれると、ニナははっきり答えられなかった。美しいものも、可愛いものも愛でていれば幸せな気分になれる。その程度の「好き」なのだ。
「まずはこれを」
ジークハルトは、片手の掌を上向けた。ニナはそこに力が渦巻いていくのを感じた。目に見えない力が、形を取り始める。若草が息吹き、花がこぼれる。
数秒の間に、彼の手には小さな花束が握られていた。それを手に、彼はニナの前に膝をついた。
「聖女ニナ。私に、あなたが幸せになる方法を一緒に探すことを、お許しいただきたい」
真面目で大げさな仕草。まるでプロポーズのような。
「どうぞ、受けるとおっしゃってください」
求める返答まで、もはやまるでそうではないか。思うのに不思議と照れ臭く感じなかった。
「そうすれば、私は旧き友人のように支えます。大切にします。聖女ニナ」
「聖女はやめてください」
ニナは、言う。そして、改めて自分の気持ちに向き合う。
怖い、のは変わらない。それでも、信じてみたいと思った。
漠然とした願を受け止めて、力になると言ってくれた。ニナがこの場所を離れることを、悲しいことだと理解してくれた。
聖女たれと、強いることもない。
そのやさしさを、信じて、受け止めてみたい。
「ニナです。ただのニナ」
「では、ただのニナ。私のこともどうぞ、ジークと。友人はみんなそう呼びます」
「わかり、ました……ジーク」
「気安くしてくださって結構ですよ。私を怒鳴りつけた時のように」
ニナの頬に朱が走る。この人たちに、敵のような目を向けて、怒りで我を失う醜態をさらしたことをあてこすられたのだ。
たまらなく恥ずかしかった。
「これからよろしくお願いできますか? ニナ」
改め問いかけられて、ニナは、一度手のひらをぎゅっと握った。
それだけで、かすかな震えが止まった。
胸沸き立つほどの気持ちがあるわけではない。むしろ不安の方が大きい。
でも。
「──喜んでお受けします。ジーク」
この人を信じてみたいと思ったのは、間違いなく、ニナにとって喜びだった。
花束からは澄んだ水のようなにおいがした。




