9町娘と王国の騎士
「私は、ジークハルト。ジークハルト・ブルメンタール。テオパルト王国で魔獣討伐隊の隊長を務めています」
役場の応接室に場を移し、ニナは男の名前を知った。
若草色の瞳が印象的だった。騎士のわりに体形は細身に見える。黄色みがかった薄灰の髪は、柔和な表情と相まって優し気な雰囲気を纏っており。ニナは必要以上に身構えずに済んだ。
カリーナやジュードと別れ、ニナは王国の紋章を胸に戴く騎士達とともに町に戻った。突然現れた騎士とそれに囲まれたニナを、街の皆は遠巻きに眺めていた。
当然だろうと思いながらも、ニナは聖女としての自分に戻ってしまった気がしていた。
聖モントローズでもそうだった。常に兵に囲まれている状態で、市民と触れ合ったことはほとんどなかった。
役場の応接室を借りると、彼は一人掛けの小さなソファを選び、ニナに広いソファを譲った。
ニナは初っ端からどぎまぎしてしまった。エドウィンと話をする時、ニナはソファどころか座ることも許されなかったのだ。
ジークハルトと名乗った彼の後ろには、騎士が一人佇んでいた。長身で立派な体格の騎士らしい佇まい。逆立った短い髪は艶のない銀色で、濃灰の瞳は研ぎ澄まされた鋼のようだった。
「こちらは、フリッツ。私の副官です」
「私は、ニナです……」
印象の通り、ジークハルトの物腰は柔らかく、言葉は丁寧だった。一方彼の副官からは、厳しい視線が注がれている。
一体どちらの態度を信用すればいいのか。ニナは迷いながらも、口を開いた。
「討伐隊って何ですか? それに、騎士様が、どうしてこの町に?」
「数年前から発生している黒い霧と獣の魔狂についての被害状況を調べています。さっき、あなたが消したものです」
ジークハルトは、ニナに詳しい説明を求めなかった。ニナはとりあえず、一つ息をこぼした。
「魔狂、という現象はご存じですか?」
「獣の体内に宿る魔力が暴走したり、均衡を崩して、本能を見失う現象、ですね」
この世界で魔力は、生きとし生けるものや自然に等しく宿る。生命力の一種でもある。
人の体に宿りて巡り、大地を奔りて海を満たす。
そう謳われる通り、人の体を、世界を循環しているともされている。
生まれつき内に宿る魔力を放出する器官を持つものだけが、魔力を制御し魔法として扱うことができるのだ。
「魔法が使える私達は、魔力を制御することができますが、 魔法を使えない者や動物はそうではない」
ジークハルトは続ける。
「体内の魔力が最適な状態を外れると、人は、魔力酔いや魔力欠乏症、魔力過多という病に似た症状を引き起こします。そして、それが動物になると……」
「本能を狂わせられ、狂暴化する。時に体は魔力を帯び、討伐も難しくなる……。それが、魔狂」
「流石。よくご存じです。そして、魔狂した獣のことを、特に魔獣と呼びます」
ジークハルトは、にこりと笑うが、ニナは褒められた心地がしなかった。
「あの黒い霧の魔獣は、二年ほど前から、この国に出現しました」
「二年、前……」
ニナは繰り返した。二年前というと、ニナが本格的に聖女としての行動を始めた頃だった。
召喚されて最初の二年、ニナはホーロック伯爵家で、この世界の文字や考え方、聖魔法の修行、淑女としての教養、ローズ教の教典を学ぶのに時間を費やしていた。
(聖モントローズ王国では、私が召喚される前から被害があったのに、テオバルトでは二年前なの?)
「通常の魔獣と異なり、黒い霧を纏う魔獣は周囲の獣を巻き込み、魔獣へと堕とす。さらに、霧が触れた範囲の動植物に影響を及ぼします。被害は広がり続け、わが国はこの問題に対処するために、騎士の中から私達、討伐隊が組織されました」
そこから先は、もはや不要な説明だった。
獣がまとう黒い霧は、獣だけでなく周囲の植物、近くにいた人間すら巻き込む。植物は枯れ、家畜は病に倒れる。魔獣から逃げれば人が直接害を受けないが、農業や畜産、林業に被害が出れば、間接人や国土は疲弊していくのだ。
「発生源はわかっていません。通常、魔獣は聖魔法で正気に戻すことができるのに、あの黒い霧の魔獣には効かない。巻き込まれた獣は討伐できても、霧を纏う魔獣そのものの討伐に成功したことはありません。調査を続けるうちに、わかったことが──」
ジークハルトの若草色の瞳が、ニナを射抜く。
「この国に出現する前から、聖モントローズ王国で同様の事象が確認されていたとか」
穏やかさに包まれた向こうに、隠されたものがある。それは、強い意志だった。ニナはどんどん自分の頭が下がっていくのが分かった。確信してしまう。逃げられない。誤魔化しきれない。
「我が国と聖モントローズ王国は公に国交を結んでいませんが、出入りが無いわけではない。行商人や教会関係者の噂程度の話を辿った結果、ローズ教と聖モントローズ王家が、異世界から聖女を召喚したという話がありました」
嫌な汗がにじんでくる。ニナは膝の上で手をぎゅっと握った。
「あなたは聖モントローズ王国から流れてきた修道女、でしたね」
できるなら、この先を聞きたくなかった。
ジークハルトの声と言葉が、あくまで穏やかなのが余計に苦しかった。威圧しまいとしてのことだろうが、逆にニナを追い詰めていることを、彼はわかっているのだろうか。
「聖女様、と呼ばれていたことは?」
「例えば──」
このまま黙っていれば肯定になるだろう。かといって、素直に頷けなかった。
せめて、もう少し上手に立ち回る術があればと、せめてもの時間稼ぎのつもりだった。
「例えば、私がそうだと言えば、どうなるんですか?」
エドウィンの道具でしかなかったニナに、自分より世慣れした年上相手に立ち回れるほどの技量はない。
ニナの回答は、自分が聖女であることの肯定でしかなかった。
「聖女ニナ、私たちは、あなたに力を貸してほしい」
「それは、つまり」
「一緒に王都へ来ていただきたい。それから魔獣の討伐に協力いただきたい」
予感はしていても、言葉で告げられると、こんなにも気持ちに響く。
もう、この街で暮らして行くことは出来ないのだ。
「少し……」
ニナは、一度唾を飲み込んだ。
「少し考えさせてください……」
言っておきながら、何を考えるのというのだろうとニナは思う。
選択肢なんて他にない。王国の後ろ盾を持つ彼らが、ニナ一人をどうこうできないはずはない。実質は決定事項でしかないのだ。
エドウィンのように、殴って従わせようとしないだけ、ましなのかもしれないが。
「そんな悠長なことを言っている場合か!」
ニナは頭上に雷が落ちたような心地がした。ぱっと顔を上げると、ジークハルトの副官であるフリッツが、ニナを睨みつけていた。鬼の形相とは、こんな顔のことを言うのだろう。
「フリッツ。構わないんです。突然のことなんですから」
「ジーク様! けれど、この女、まるで聖女としての自覚がない!」
ジークハルトの制止を、彼はものともしなかった。
「国に、人々に危機が迫っているのだぞ! 聖女たるもの、人民に尽くそうという気持ちはないのか」
あまりに一方的だった。
ニナは唖然としていたが、フリッツの言い分を聞くにつれて、怒りが湧き上がってくるのを感じた。
「フリッツ。よしなさい」
「それで聖女と名乗れたものだ!」
それがニナの怒りを爆発させる決定打になった。
「私は──!」
ニナはソファから立ち上がった。
どうして、何も知らない人にこんな風に言われなければいけないのだろう。
「この世界は、私の世界じゃない! お母さんもお父さんも、友達もいないの!」
この世界は、彼にとっては大事な故郷かもしれない。でも、ニナの故郷ではないのだ。
「この世界に来たくて、来たわけじゃない! それでも精一杯やってきた!」
努力してきた。努力して、耐えて、やっと手に入れたものまで捨てようとしている。
それなのに。
ニナは気持ちのままに声を荒げる。
ジークハルトはニナを丁寧に扱って、フリッツは後ろで手を組んだままだ。少なくとも、エドウィンのようにニナを殴りつけることはないだろう。そのことだけは、わかった。
「なのに、どうして私を責めるの!」
ニナは、肩で息をしながら、精一杯の力を込めて、狼狽えるフリッツを睨み返した。
ずっと、こんな風に言いたかった。でも、本当に言いたかった相手はフリッツではない。
そのことに気づき、ニナは泣きそうになる。実際、目の端から熱いものが零れ落ちるのを感じた。涙は一筋だけ。それ以上、ニナは自分に許さなかった。
ここで泣き崩れるわけにはいかない。この先が決まるまで、せめて強い態度でいなければ、流されてしまう気がする。
「聖女様、どうか落ち着いて……」
ジークハルトが、ニナの気を静めようと、抑えた声をかける。
「聖女になりたくてなったわけじゃないの……」
「そうでしょうとも」
ジークハルトは立ち上がり、ニナの傍に寄って来ると肩に柔らかく手を添えた。細身に見えるのに大きな手だった。
精一杯の同情が乗った声は、ニナをなだめるためだったのかもしれない。本心は違っているのかもしれない。
だが、ニナの気持ちに寄り添おうとしてくれようとしてくれているのが分かった。
だから、ニナはそれ以上、怒鳴るのをやめた。ジークハルトの手にぐっと力が加わる。その力に従って。ニナはソファに落ちるように座った。
「考えさせて……」
ニナは再度言う。
「気持ちがついていかないの……」
「もちろん」
ジークハルトは即答をする。
「ただ、私たちにも時間がない。長期滞在ができないことを、お許しいただきたい」
一方で、そうニナを急かす。
「私たちにもし同情していただけるのなら、力を貸していただきたい。あなたが聖モントローズ王国を救ったように、この国を救っていただきたいのです」




