8 勇者、崖を登る
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幸せそうな表情で寝ているオグを見て、溜息をつく。
どうせまた食べ物の夢でも見ているのだろう。口が何かを噛むようにもごもごと動いている。顔の下は涎でべったりと濡れている。
――――完全にガキだな
結局、昨日のあのスライム板は危なくて持ち運べないということで冷凍庫にしまった。何かに使えるかもしれないとさらに九枚作製。そしてあの透明なスライム布も五枚作った。
立ち上がって腰を伸ばした瞬間、尻に激痛が走る。尾てい骨は折れていないようだが、どう考えてもひどい打ち身だ。
地平線はわずかに明るくなり始めている。鳥も飛び始め、遠くでは動物たちが起き出している音が聞こえる。
「茶ぁ、飲むか?」
声に振り向くと、俺よりもさらに早起きしたシアンがコップを差し出している。彼も昨日オグのお茶を飲んで感動していた。朝も一人で淹れて飲むほど気に入ったらしい。
「ああ、貰う。ありがとう」
俺は彼の横に座り、空を見上げる。二人で無言のまま、熱いお茶をすする。
「……お前、山賊だった時に色々ヤバい奴を見てきただろ。オグをどう思う?」
俺の問いに、シアンは両手で持ったお茶をゆらりと揺らす。二人とも爆睡している勇者をしばらく見つめる。
「……こいつは、やべぇ男だぞ。この世を一気に進化させちまう力も、ぶっ壊す力も生み出せる。なのに本人は、その力に無頓着だ。ああいうのは周りがほっとかねぇ。そしておめぇはそんな奴の護衛騎士。おめぇを少し気の毒に思うぜ」
「どこまで干渉していいのか分からないのが、困る」
「勇者の方針に干渉しちゃいけねぇんだっけ? ははは、確かに頭は悩ませそうだけどよぉ。今さらおめぇがドタバタしても、なるようになる。再生だろうが破壊だろうが、間近で見られて最高じゃねぇか」
「飽きるほどつまらない毎日でもいいから、もっと普通の勇者がよかった……」
――――あいつが何を考えているのか、どうしたいのか、さっぱり分からない。いや、あいつのことだ。本当に色々試食したいだけなのかもしれない
「お前はこれからどうするんだ?」
俺の質問に、元山賊は悪戯好きな顔を俺に向ける。
「もちろん、おめぇらと行くぜ。こんな最高に面白そうなこと逃すかよ」
そんな気はしていた。昨夜、ゴーレムリンの燻製を手持ちの荷物に大量に詰め込み、残りは大きなカバンやオグの冷凍庫に移していたからだ。
シアンは焚き火のすぐ横でなびく透明な布を見る。俺たちはそこに布があると分かっているから、かろうじて透明な縁が見える。だが何も知らない他人ならば完全に気づかないのかもしれない。
「……なぁ、あのスライム布って羽織ってるだけでも防御力上がらねぇか?」
「……打撃には強いだろうな。だが……風に触れただけや、ジャンプした時の衝撃で爆発したら意味ないだろ。かなり尻が痛かったぞ」
「いや、大丈夫じゃねぇ? 夜ずっと風で揺れてたけど爆発しなかったじゃねぇか」
――――それは確かにそうだが
二人でじっとその布を見つめていると、オグが起き上がってくる。
「……なんの話?」
まだ眠そうに目をこすっているオグに、俺はそのスライム布を指さす。
「夜ずっとなびいていたから、今触れたら爆発するかなって話だ」
「え、大丈夫だろう」
オグはまったく躊躇することなく、そのスライム布へ歩み寄って手を伸ばす。
「バカ、触んな!」
「おまっ、バカ野郎!」
俺とシアンが同時に飛び上がる。
オグへ駆け寄る前に、彼の手が布に触れる。
「オグ!」
するん
柔らかな布を掴み、彼が満開の笑顔で振り返る。
「ほら、ね?」
「『ほら、ね?』じゃねぇぇぇぇぇぇ!」
腹の底から響く怒声に、オグはびっくりした表情で思いっきり硬直する。
「えぇえ? なんでそこまで怒るんだよ!」
「普通に怒るだろぉが! てめぇはもっと頭使え!」
「使う頭ないから無理!」
「そんなことを自慢げに喚くな!」
オグは物凄く不満そうに、ぐるりと俺の周りを回って避け、焚火に戻る。
――――三歳児!
さっきまでシアンが座っていた場所を見ると彼がいない。少し辺りを見渡すと、遺跡の大きな壁の後ろにまで退避していた。
「シアンって反射神経がいいよね」
なぜか逃げたシアンを褒める勇者。
「実はおめぇも結構いいだろ。見ていたけどよ、オグも時々変な動きをするよな」
「ああ、凄く、変な動きをする」
俺はまだ苛々しながらも、火の前に戻る。日中は寒くないが、今はまだ早朝である。空気はまだ温まっていない上に、さっきの温かいお茶はオグの行動のせいでどこかへ吹っ飛んでいった。本当に恨めしい勇者だ。
「さっきシアンが言っていたが、その布って装備に使えないか?」
「装備?」
オグが頭をひねる。彼が発音すると、戦闘用語の『装備』という言葉さえ『ソウビィイ?』という、妙に間の抜けたいびつな響きに変わってしまっている。
「どうだろ? 使えるんじゃない?」
立って、とオグに手振りされて大人しく立つ。彼はその透明な布を俺の胴体に括りつけ、防具の胸当てと腹の真上で雑に結ぶ。
「どう? 落ちてくる?」
「……いや、落ちてはこないが……」
――――なんか、装備のイメージが違う……
布を結び終わったオグは満足そうに一歩引き、自分の手仕事を眺める。その背後にいるシアンは俺の混乱が理解できるのか爆笑している。
「オレにもやってくれ」
「任せて」
オグはシアンの腹の適当な位置で結び目を作っていく。
「おめぇっていつもはそんな声か?」
「あぁ。オグはお前と出会う前にアグアの実食べまくっていたからな」
「美味かったんだもん」
オグは笑いながら自分の喉をひと撫でする。
俺はその軽い布に触れる。ツルツルとした表面は確かにあのスライムの感触をそのまま残している。だが軽い。羽根より軽いんじゃなかろうか。
スライムは含水量が多かったせいか、そこまで軽くはない。そしてやはりこのストレッチ性は物凄く優秀だと思う。
あえてそれを使わず、適当に結び付けているのはもったいない。
オグはバカなのに、頭がいい。そしてやっぱりバカだ。
「ねぇ、この近くに街ってあるの?」
「シアン、近くにググリ町あったよな?」
「あぁ、ゆっくり歩いても一刻もかからねぇ」
「行ってみたい! 夢で美味しいスープ見てさ、すっごくお店で食べてみたくなっちゃった」
「お前はまた食い物か。胃袋どうなってやがる」
俺は火に砂をかけ、焚火を消す。
「いいぜ。昨日のあれで尾てい骨を痛めちまったらしい。少し塗り薬も買いたい」
シアンが噴き出す。
「だっせ! ケツ痛めたのかよ」
「あの衝撃は人間の力じゃどうにもならなかったんだよ!」
真っ赤になってシアンに怒鳴る。
――――気のせいか、オグと出会ってから俺の最高騎士としての威厳も尊厳も消えつつある気がする。何故だ
荷物をまとめ、俺たちは小川沿いの獣道を西へ向かう。
少しずつ生えていた木々が減り、高い崖が連なる景色へと変わっていく。うっすらと紅色をした岩は、あの遺跡と同じ石材だ。空気からも草花の香りが消え、徐々に砂の乾いた匂いへと変わっていく。
やがて小川は細くなり、地面の中へと消えていった。
カァアアアアアア カァア
近くでカラスの鳴き声が響き渡る。少し離れた場所を飛んでいるのだろうか。
「大っきい声。これ、モンスターだよね?」
「あぁ、カラスだ」
「カラス? カラスって……こっちだとモンスターなの?」
オグが非常に困惑した表情をする。
「地球と同じ名前で、違う生き物っていう可能性もあるかもな。カラスは大型で真っ黒の鳥型モンスターだ」
俺の説明に、さらに困惑したように眉を顰める。
「見たい」
「カラスをか? 結構頭のいいモンスターだから気をつけろよ。あいつらは高いところが好きだから……そうだな。この崖の上とかにいるんじゃねぇのか?」
「ちょっと見てくる」
「は?」
オグは岩崖を見上げる。崖はほぼ垂直で、かなり高い。紅石の隙間や小さな穴がところどころある以外は、ほぼ真っ平らな石壁だ。
彼は一度屈伸すると、軽くジャンプし、小さな穴の一つに手を引っかける。
そして登る。
登る。
登る。
膝を曲げ、穴から穴へと次々に手を掛けていく。足はほとんど使っていない。それなのに物凄いスピードで登っていく。
「すげぇ! おぉ、マジですげぇ!」
シアンは初めて見るオグの異様な動きに興奮している。そしてその興奮に突き動かされたのだろうか。同じ崖を登り始める。
シアンは普通の登り方だ。手を穴に掛け、足を別の穴で固定し、体を持ち上げて上へ進む。
俺も登るなら同じ登り方だ。
だがオグは飛んでいるようなスピードで登る。足や胴体が無駄にぶら下がることもなく、次々と上へ進んでいく。まるで上からロープで引っ張られているようだ。
俺は……登るのは得意じゃない。体が重い。
オグを心配そうに下から眺めていると上に辿り着いた彼が視界から消える。
そして不穏なセリフが降ってくる。
「最高の眺めじゃん! 町見えた! あと……なんかでかい巣!」




