13 召喚は誰のため
「……今夜どうする? 見張りでも立てるか?」
俺たちはオグにしがみついたまま離れないモンスターを凝視する。
「敵意はなさそうだから大丈夫じゃないの?」
オグの問いに、俺は頭を振った。
「夜中、お前にしがみついたままゲップでもされたら?」
「え、死にたくない」
モンスターはさらにぎゅっとしがみつき、あざとく震えながらオグを見上げる。
それを見ながらシアンは目を細めた。冷たい視線がモンスターを鋭く観察する。
「……よぉ、こいつ、実際に人語をどれくらい理解していやがるんだ?」
「全部分かっているといいなぁ」
「なんでだよ!」
俺とシアンの声が重なる。
オグは肩をすくめた。
「え、だって楽しそうじゃん。モンスターと会話できるんだよ?」
「会話が始まる前に、お前が燃やされる可能性も考慮しろ」
俺が吐き捨てると、オグは不満げに眉を寄せる。
「でもこの白い球体はなんなのか知りたいじゃん」
「知りたいが、人語を理解している方が恐ろしい」
「なんで?」
オグは本当に分からないというように訝しげに俺を見返す。
思わず俺の声が低くなる。
「……お前、ちゃんと分っているのか? モンスター討伐で召喚されたんだぞ? もしモンスター勢力が強くなりすぎたら、俺たちの人間文明は滅びる」
「あぁ……、それね……」
オグは妙に静かな声で呟き、自分にしがみつくモンスターへ視線を落とす。
なぜか胸の奥がざわつく。
シアンはオグに冷凍庫を開けてもらい、前日の果実酒を取り出す。それを三人分コップの縁までたっぷりと注いで渡してくれる。
氷のように冷たいそれは、少し興奮し始めた頭を落ち着かせる。
「おめぇはいきなり召喚されたんだよな。オレたちの世界のことなんざ何も知らねぇまま、いきなり攫われて、戦えって言われた。帰れねぇとも」
シアンの言葉が重くのしかかってくる。
焚火の枝が少し崩れ、暗くなった空に火の粉が舞い上がる。
「おめぇは、どう感じているんだ? これ全部。いきなり勇者だと言われてよぉ」
――――……俺、そんなこと、訊かなかったな……
異世界で似た言語を話し、身体能力が高く、生存本能が強い人間。
それが召喚される勇者の基本的な条件だ。
その条件と他の条件も合っていたから、オグは召喚された。
召喚されてすぐに言葉の認識確認をされ、世界情勢を叩き込まれ、権力者たちの前に引きずり回され、護衛だと言われた俺ともろくに話さないままいきなり城から放り出された。
たった一週間での出来事だ。
オグのいた世界には、戦争も、道端で見かける死体も、モンスターもいなかった。そんな平和な世界の人間が「殺せ」と命令された。
この世界を救うために。
そうしなければ人間は滅びる。お前も死ぬ、と。
――――なんてことだ……! 俺は……一度もオグの気持ちを聞いていない!
頭の芯が凍りつく。ぞわっとするほどの勢いで、顔から血の気が引いていく。
――――勝手に召喚して、勝手に背負わせて、勝手に勇者なら大丈夫だと決めつけた!
「分かってるよ」
オグは軽く返す。
それがあまりにも異様すぎて、息を詰めてしまう。
「分かってる。だけどそれを考えてしまうと、無理。だから今は目の前のことにだけ、全力で集中している」
冗談の軽さはない。
いつもみたいに笑って誤魔化しているわけでもない。
感情を押し殺した男の叫びだ。
返す言葉がない。
何も知らなかった。
気づかなかった。
オグは本当に能天気でバカなわけじゃない。
考えたら心が壊れるから、目を逸らしているだけだ。
こんな当たり前のことに気づけなかっただなんて。
呼吸困難になるほど体が重い。冷たい汗が背骨を伝い、脇の下がしっとりと汗ばむ。
オグはまた無言になり、自分にしがみつく歪なモンスターの頭を撫でる。黒い油みたいなぬるついた体液が指先に絡みついていくのを、気にしていない。
いや、今は気づいていないのかもしれない。
気持ち悪がらずに、静かな手つきで撫で続ける。
モンスターも少しずつ震えが落ち着いていく。オグの腹に強く張りついたまま、丸い頭を擦り寄せる。左右に振っている尻尾が、時折、慰めるように彼を撫でる。
焚火が音を立てて爆ぜる。
「……ねぇ」
オグが濡れた小さな毛玉を見たまま呟く。
「モンスターは……なんで殺さなきゃいけないの?」
その瞬間、周辺の気温が下がった気がする。
シアンは目を細めたまま、果実酒を煽る。視線はオグから一瞬も逸らしていない。
「なんでって、そりゃ、人間を襲っちまうからだ」
「うん。でもさ、」
オグは黒い体を撫で続ける。
果実酒は彼の横で忘れられたかのように手つかずだ。
「俺が召喚されたのって、『バランスを戻すため』なんだよね?」
「ああ」
「殺さないとバランスは戻らないの?」
真っ直ぐすぎる、質問。
綺麗事や逃げているわけでもなく、本当に分からないから訊いているだけ。だから非常に危険で、物凄く厄介な疑問だ。
「バランスは関係ねぇ。殺さねぇと、殺されるからだ」
シアンが低く言い切る。
「モンスターは人を食う。村を襲う。畑や家を壊す。放っとくと死人が増える。国も滅びる」
「……でも、『今まではそうしてきた』と『そうするしかない』って、違うよね?」
オグはシアンに答えながら、俺を見ている。いつもは豊かな表情と視線が、落ち着かないほどに静かで読めない。
「まだ何も悪いことしてないのに、こいつも殺したいの?」
モンスターが小さく跳ねる。
「まだ、な。だが明日は分からないだろ」
「うん。でも明日はどうなるか分からないから今の内に殺すって……まるで人間の方が化け物みたい」
「化け物って、おめぇな」
シアンが眉間を押さえながら目を閉じる。
「モンスターは敵だ。人を殺すんだぞ?」
「敵ねぇ……」
オグは指先でモンスターの背中をなぞり、長い尻尾を撫でる。
モンスターは嬉しそうに頭をすりつけ、オグの服を舐める。黒い唾液のシミが広がっていく。
「モンスターって敵だから殺さないといけないの?」
「危険だからだ」
俺は彼の問いに即答する。
「危険だから、全員殺したいの?」
「……モンスターが人を殺さないように、先にモンスターを殺す」
モンスターは危険だから。
それがこの世界の常識。
そうすることが普通なのだから。
オグにしがみついて震えるモンスターを見る。
俺たちの話を聞き、ある程度理解できているこいつは非常に危険だ。生まれた持ったその異様に強い力も危険。
なのにしがみついて震えているだけだ。
明日は分からない。俺たちを殺そうとするかもしれない。
だけど今は……。
「過去に凶悪なのがいた。だからモンスターは全員殺す。……それはやっぱり、なんか違う。別の選択肢くらいはあってもいいんじゃないかな」
オグは小さく呟き、俺と視線を合わせる。
「人間には親や上司や王様とか、自分よりも偉い人がいるじゃん。規則を決めて、指示を出す人」
「……ああ」
頭の中でオグに対して危険信号が鳴り出す。なぜかは分からない。だが、確実にその音が大きく育ち始める。
「モンスターにはそういうのがいないの?」
シアンは鼻で笑う。
「さぁな。そんなの聞いたことねぇ。強ぇ個体が縄張り持つとかはあるけど、人みてぇに家族だの国だのってぇのは聞いたことねぇ」
「ふぅん……」
オグはまた黙る。
頭の中の信号がうるさい。うるさすぎて、何も考えられない。
オグは焚火を見つめながら、その小さな赤ん坊をゆっくりと撫でる。暗闇の中、踊る灯りがその静かな横顔を照らす。
「……ああ、そっか。じゃあ、モンスターのまとめ役がいないんだったら、作ればいい」
「は?」
俺とシアンの声が再び重なる。
オグは俺たちの反応に心底びっくりしたように目を丸くする。
「別に変なことじゃないよ。人間には王様とか頂点の人がいて、みんなその規則に従う。だったらモンスターにもそういう頂点の奴がいた方が、話も早くない?」
「早いもクソもあるかよ。それ以前に言葉が通じねぇだろ」
シアンが呆れたように返す。
「大体どこのモンスターがそんな役やんだよ?」
オグは非常にびっくりした顔で俺たちを見る。
「え?」
やめろ、やめろ、やめろ。
そんな表情するな。嫌な予感しかしない。
「モンスターじゃなくて、俺がモンスターの王になればよくない?」




