1 勇者がモンスターを食うんだが
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「刺身?」
俺の困惑した声に、彼は当然という表情で頷く。
「そう。そういう料理はこっちの世界にはないの?」
彼は「もったいない」と顔をしかめる。
この世界にモンスターを食す文化はない。モンスターは倒す。追い払う。あるいは素材として加工するか、売る。
食べるという悍ましい発想は一切ない。
「……生肉は少し、その、衛生面が問題なのでは……」
「大丈夫。そこで俺のスキルが役に立つじゃん。寄生虫は冷凍で対処できちゃうし、問題ないよ」
特殊スキル『無限冷凍庫』。
彼がこの世界に来たとき、女神から授かったスキルらしい。
それこそ俺に言わせれば「もったいねぇぇぇぇ」の一言に尽きる。
特殊スキルは召喚対象が自ら選べる唯一のスキルだ。なにを血迷ってか、勇者は冷たい異空間を欲しがったのだ。他にもっと素晴らしいスキルがなんでも手に入るのに。
火炎能力、瞬間移動、体力強化、飛行能力。もっと歴代のヤバめの勇者たちが要求したものだと、洗脳、傀儡、即死などもあった。そんなものを手に入れていれば、世界を救った後には誰も逆らえない圧倒的な権力と力が約束されるようなものなのに。
この男は。
勇者オグは。
なぜか無限冷凍庫。
単なる冷たい異空間である。確かに物凄く冷たいが、箱だ。サイズは変更可能だと嬉しそうに語るオグを見ても、その感動は共有できない。そもそも彼と出会うまでは「冷凍庫」の存在すら知らなかった。そのための小川だろうに。
――――マジで何を考えているんだ。いや、この男のことだ。もしかしたら何も考えていないのかもしれない
勇者が国王陛下と魔導師たちによってこの世界に召喚されて一週間。
勅令により、俺がこの男の護衛騎士をしてきて一週間。
旅に出て二日。
素晴らしい栄光あるポストなのに、俺は生まれて初めて心から護衛を辞めたいと思っている。
――――誰でもいい。このヤバい男の護衛を代わってくれ!
オグは空中でドアを撫でるように手を動かし、レバーハンドルを下ろす動作をする。ドアが開き始めると、俺の目にも彼の異空間が見えてくる。
彼はその霜の降りた空間に手を突っ込み、目的の固まったスライムを取り出す。
「昨日のスライム、いい感じで凍っている! 薄くスライスできそう。ちょっと待っていて」
――――悲しいかな、俺に拒否権はない
潰れた半透明の球体がまな板の上に置かれる。彼は鋭利なナイフでそれを薄く一枚ずつ削ぎ落としていく。そして皿に綺麗に並べていく。
――――頼むから……そんなに大量に切らないでくれ……
皿に乗せられた薄っすらと白青いスライムの断面は、太陽光で溶けていき、徐々に半透明な色合いから透明度の高いプルンプルンと揺れる質感へ変化する。オグは最後に酸味のある果汁を絞ってかける。
「はい、どうぞ」
――――うげぇ……マジで食べなきゃいけないのか……。マヌフェイス、戻って来られなかったらすまん……
王都で待つ愛犬のことを考え、深い溜息をつく。
彼の用意した細い二本の棒でなんとかそのモンスターのスライス肉を掴み、目の前まで持ち上げる。瑞々しいが、どうしてもスライムだと思うと口に入れる最後の勇気が沸かない。
だが勇者が一番初めに試すのはあり得ない。もし毒やら得体の知れない効果やらで勇者が死んでしまったら、この世界は破滅する。
彼の顔を見るとわくわくした視線が俺を見つめ返す。俺と違うことを考えているのが手に取るように分かる視線だ。というか、全く何も考えていなさそうな視線である。
――――えぇい、どうとでもなれ!
覚悟を決め、その薄いモンスターの生肉を口内に投げ込む。目をきつく閉じ合わせて機械的に顎を動かして咀嚼する。
――――これは新種の果肉。これは果肉なんだよ
モキュ モギュ モギュ
ぷるついた食感は歯ではなかなか噛みにくい。しかも歯が沈み込むとき、ギュッとした感触が奥歯に伝わる。
だが味は意外にも悪くない。モンスター特有の生臭さはなく、むしろ爽やかな果汁がアクセントとなってスライムの瑞々しさを引き立てる。
ゴクン
なかなか噛み切れないが、ついに一口飲み込む。つるんとした食感が喉を滑らかに滑り降りていく。
「どうだった? 美味しかった? 俺ももう食べていい?」
「……悪くなかった。だが、まだ駄目だ。半刻だけ待て。そのときに俺が無事だったら食っていいから」
「半刻ってどれくらいか分からんもん。いいなぁ……なんか水ようかんみたいで美味しそう」
水ようかんとは何か分からないが、勇者は不服そうに呟く。本当にスライムを早く食べたいらしく、鼻先が皿にくっつきそうなくらい近づけてはしきりに匂いを嗅いでいる。
「半刻は一刻の半分だ。この時期に太陽が昇っている時間は大体六刻。夜も六刻くらいだ」
彼は真っ黒な髪の毛をワシャワシャと音が立つ強さで描き回し、独り言を漏らす。
「考えるの苦手なんだよ。えっと? ……十二刻で一日。六刻で半日。半日は十二時間だから、一刻は約二時間くらい? ……え、半刻って一時間じゃない! 長すぎるよ!」
そんなキレ気味に怒鳴られても、食の安全を確認するには時間がかかる。だがもしここで俺が「完全に安全確認するために丸一日かけよう」と言ったら、モンスター食は諦めてくれるのだろうか。
――――……いや、こいつは絶対に諦めないな。俺が理不尽に責められるだけだ。
再び溜息をつき、彼が淹れたお茶という飲み物を啜る。正直にいえば、この飲みものは気に入った。自然をほのかに凝縮したような清楚感を感じる。
「あぁあ、もう! 俺の護衛ってなんでこんな堅物なんだ! もっと融通を利かせないと人生窮屈だよ⁉」
こんなちゃらんぽらんな男にそう言われると無性に腹立つ。
俺は眉を顰めて低く唸る。
「なんでオグに人生論を指導されなくてはならないんだ」
彼の本名はオグマ=ススムというらしい。『悪魔、進む』に聞こえるからやめてくれと頼み、今は勇者オグで通している。少し不服そうではあったが。
「ユーイって堅物すぎて色々と人生損しているだろ」
「全然しとらん。君と出会うまでは満喫していた」
「嘘つけ」
オグは鼻で笑うと草に寝転がる。小さく「一時間かぁ」とまた呟いている。諦めの悪い男だから、女神様に勇者任命をされたのだろうか。徹底的なモンスター討伐などをしてくれる期待で。
「ユーイは堅物だから護衛やっているの?」
「だから俺は堅物じゃねえって! 護衛騎士は国王陛下が任命するしきたりなんだよ!」
勇者の護衛騎士。
騎士にとってはこの上ない栄職である。
つい一週間前までは、俺は国王陛下の護衛騎士だった。俺にとっては最高の職であったし、国王陛下は尊敬できるお方だ。そして何より、もし任務で死ぬことがあればそれを誇りに思えるような役割だった。
だが国王陛下から任命された勇者の護衛騎士役。異世界から召喚される勇者には、新しい世界での規則や情報や移動などで困らないよう、護衛を一人だけ付けられることになっている。護衛騎士は勇者自身が求めたときにのみ手を貸すことが許され、基本は影で勇者を黙って補助する。
護衛騎士は勇者の決断に干渉してはならぬ。
止めてはならぬ。
勇者の要望を聞き、彼を護り、彼の駒となってこの世界に秩序を取り戻す栄職だ。
そう。
栄職なのだ。
本来は。
召喚後、国王陛下や大使様が彼を召喚した理由や勇者の役割を説明している最中に、オグは物凄い爆弾発言をかました。
『世界の秩序のためにモンスター退治をお願い申す』
『モンスターって……え? 本当にそんな生き物いるの?』
その瞬間、国王陛下の部屋には重い沈黙が降りた。
『……勇者殿。つかぬことをお聞きするが、モンスター退治は……』
『やったことない。日本にモンスターなんかいなかったし。というか俺、ニートなんだけど。いいの?』
その後の様々な反応を思い出すと胃がキリキリと痛む。彼が召喚されてからはストレスが止まらない。
――――いや、この胃のキリキリはストレスか? それとも先程のスライムに当たったのか?
腹を強く押さえる。
ぐにゅん、と胃の奥で何かが蠢いた気がした。




