表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
96/102

◆第4話「リド村からの便り」

 テオドールに品種改良の依頼はしたものの、その成果が出るのはまだ先の話だ。今、陰鬱な雲の下、官舎の執務室で蓮は頭を抱えていた。机の上には、各地から届いた報告書が山積みになっている。どれも同じ内容だ。


「ジャガイモ疫病、拡大中」

「収穫量、前年比八割減」

「種芋の確保、困難」


 ジャガイモの疫病は、王都周辺の農地をほぼ壊滅させていた。葉が黒く変色し、茎が腐り、芋そのものも使い物にならなくなる。


「藤村殿……」

 エリシアが新しい報告書を持って入ってきた。その表情は沈んでいる。

「北部の農地も、ダメでした。この状況での春の作付けは……」

「無理、ですね」

 蓮は深く息を吐いた。ジャガイモがこの国に根付いて、まだ何年も経っていない。それなのに、主要な産地がほぼ全滅。フリーズドライの研究も、スプレードライの開発も、すべて原料がなければ始まらない。

(白サツマイモで凌ぐことができるが、デンプンの質が違うから、加工条件の調整をやり直さなければならない……)


 コンコン。

 扉がノックされる音がして、門番が顔を覗かせた。

「藤村殿、エリシア殿宛ての手紙が届いております」

「私に?」


 エリシアが受け取った封書は、旅の汚れで薄汚れていた。封蝋も簡素で、高価な羊皮紙ではなく、粗末な紙に書かれている。だが、その差出人を見た瞬間、エリシアの目が見開かれた。

「……リド村……?」



 エリシアは震える手で封を切った。中には、不慣れな文字でびっしりと書かれた手紙が入っている。蓮も覗き込んだ。


『エリシア様

 お元気でおられますか。リド村の者たちは、皆様のおかげで今年の冬も無事に越すことができました。

 王都で病が流行っていると、行商人から聞きました。ジャガイモの病だと。私たちの村でも心配して、畑を見回りましたが、幸いなことに、今のところ病の兆しはありません。

 山に囲まれた遠い村であることが、初めて幸運に思えました。

 エリシア様。あの時、私たちは疑い、拒み、恩知らずにも冷たい態度を取りました。それなのに、あなた様は泣いて謝ってくださった。あの芋を置いていってくださった。

 あれから私たちは、教えていただいた通りに芋を育ててきました。種芋を残し、春と秋に植え、夏と冬の前に収穫する。今では、村の誰もが「ジャガイモがなければ冬は越せない」と言うほどです。

 だから、恩返しをさせてください。

 この手紙が届く頃には、馬車一台分のジャガイモを王都へ送っているはずです。種芋としても、食料としても使ってください。

 私たちは、もう騙されることを恐れません。あなた様が示してくださった「正直な作物」を信じて、育て続けます。

 どうか、王都の皆様もお健やかに。

リド村 村長 ハンズ』


 手紙を読み終えたエリシアの目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

「……村長……みんな……」

 蓮も胸が熱くなるのを感じた。あの飢えと絶望に沈んでいた村が、今では他者を助けられるまでに回復しているのだから。


「藤村殿……」

 エリシアは涙声で言った。

「私たちが蒔いた種が、こうして……」

「ええ。帰ってきましたね」



 それから三日後、官舎の前に見慣れない馬車が到着した。荷台には、麻袋がぎっしりと積まれている。

「リド村から参りました。エリシア様はおられますか?」


 御者台に座っていたのは、あの時ポトフを一番最初に口にした少年――だった。顔つきはしっかりして、肩幅も広くなっている。

「……あなた、あの時の……!」


「覚えていてくださったんですか!」

 彼は嬉しそうに笑った。

「村長が、『お前が届けてこい』って。俺、初めて王都に来たんです。すごいですね、こんなに大きな街……」


 蓮が荷台の麻袋を開けると、中にはきれいに洗われたジャガイモが詰まっていた。形も揃っていて、病気の兆候は一切ない。

「これ、全部……?」

「はい。村のみんなで、少しずつ持ち寄りました。『エリシア様への恩返しだ』って」


 その言葉に、エリシアはまた涙ぐんだ。蓮は一つ手に取り、冬の冷たさを残すその表面を撫でた。

(……これがあれば、工場の実験ができる)


 量は多くない。だが、希望には十分だった。疫病に侵されていない、健全な種芋。それがここにある。

「ありがとう。本当に……ありがとう」

 蓮は深く頭を下げた。

 青年は照れくさそうに頭をかいた。

「俺たち、エリシア様に生きる道を教えてもらったんです。これくらい、当然ですよ」



 その夜、蓮とエリシアは麻袋に囲まれた倉庫で、これからの計画を練っていた。

「この芋を元手に、まずは種芋を増やします。疫病のない土地を探して……」

「それから、加工の実験を始めましょう。フリーズドライも、スプレードライも」

「ええ。リド村の人たちの期待に、応えないと」


 エリシアは、ハンズからの手紙をもう一度読み返した。粗末な紙に書かれた不器用な文字。だが、そこには確かな感謝と、未来への希望が込められていた。

「藤村殿」

「はい?」

「私たちが始めたことは……間違っていなかったんですね」


 蓮は頷いた。

「ええ。種を蒔けば、必ず芽が出る。遠く離れた場所でも」


 窓の外では、冬の終わりを思わせる穏やかな風が吹いていた。疫病という試練は厳しい。だが、リド村という思わぬ場所から届いた希望の種が、新しい物語を動かし始めようとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ