◆第4話「リド村からの便り」
テオドールに品種改良の依頼はしたものの、その成果が出るのはまだ先の話だ。今、陰鬱な雲の下、官舎の執務室で蓮は頭を抱えていた。机の上には、各地から届いた報告書が山積みになっている。どれも同じ内容だ。
「ジャガイモ疫病、拡大中」
「収穫量、前年比八割減」
「種芋の確保、困難」
ジャガイモの疫病は、王都周辺の農地をほぼ壊滅させていた。葉が黒く変色し、茎が腐り、芋そのものも使い物にならなくなる。
「藤村殿……」
エリシアが新しい報告書を持って入ってきた。その表情は沈んでいる。
「北部の農地も、ダメでした。この状況での春の作付けは……」
「無理、ですね」
蓮は深く息を吐いた。ジャガイモがこの国に根付いて、まだ何年も経っていない。それなのに、主要な産地がほぼ全滅。フリーズドライの研究も、スプレードライの開発も、すべて原料がなければ始まらない。
(白サツマイモで凌ぐことができるが、デンプンの質が違うから、加工条件の調整をやり直さなければならない……)
コンコン。
扉がノックされる音がして、門番が顔を覗かせた。
「藤村殿、エリシア殿宛ての手紙が届いております」
「私に?」
エリシアが受け取った封書は、旅の汚れで薄汚れていた。封蝋も簡素で、高価な羊皮紙ではなく、粗末な紙に書かれている。だが、その差出人を見た瞬間、エリシアの目が見開かれた。
「……リド村……?」
◆
エリシアは震える手で封を切った。中には、不慣れな文字でびっしりと書かれた手紙が入っている。蓮も覗き込んだ。
『エリシア様
お元気でおられますか。リド村の者たちは、皆様のおかげで今年の冬も無事に越すことができました。
王都で病が流行っていると、行商人から聞きました。ジャガイモの病だと。私たちの村でも心配して、畑を見回りましたが、幸いなことに、今のところ病の兆しはありません。
山に囲まれた遠い村であることが、初めて幸運に思えました。
エリシア様。あの時、私たちは疑い、拒み、恩知らずにも冷たい態度を取りました。それなのに、あなた様は泣いて謝ってくださった。あの芋を置いていってくださった。
あれから私たちは、教えていただいた通りに芋を育ててきました。種芋を残し、春と秋に植え、夏と冬の前に収穫する。今では、村の誰もが「ジャガイモがなければ冬は越せない」と言うほどです。
だから、恩返しをさせてください。
この手紙が届く頃には、馬車一台分のジャガイモを王都へ送っているはずです。種芋としても、食料としても使ってください。
私たちは、もう騙されることを恐れません。あなた様が示してくださった「正直な作物」を信じて、育て続けます。
どうか、王都の皆様もお健やかに。
リド村 村長 ハンズ』
手紙を読み終えたエリシアの目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
「……村長……みんな……」
蓮も胸が熱くなるのを感じた。あの飢えと絶望に沈んでいた村が、今では他者を助けられるまでに回復しているのだから。
「藤村殿……」
エリシアは涙声で言った。
「私たちが蒔いた種が、こうして……」
「ええ。帰ってきましたね」
◆
それから三日後、官舎の前に見慣れない馬車が到着した。荷台には、麻袋がぎっしりと積まれている。
「リド村から参りました。エリシア様はおられますか?」
御者台に座っていたのは、あの時ポトフを一番最初に口にした少年――だった。顔つきはしっかりして、肩幅も広くなっている。
「……あなた、あの時の……!」
「覚えていてくださったんですか!」
彼は嬉しそうに笑った。
「村長が、『お前が届けてこい』って。俺、初めて王都に来たんです。すごいですね、こんなに大きな街……」
蓮が荷台の麻袋を開けると、中にはきれいに洗われたジャガイモが詰まっていた。形も揃っていて、病気の兆候は一切ない。
「これ、全部……?」
「はい。村のみんなで、少しずつ持ち寄りました。『エリシア様への恩返しだ』って」
その言葉に、エリシアはまた涙ぐんだ。蓮は一つ手に取り、冬の冷たさを残すその表面を撫でた。
(……これがあれば、工場の実験ができる)
量は多くない。だが、希望には十分だった。疫病に侵されていない、健全な種芋。それがここにある。
「ありがとう。本当に……ありがとう」
蓮は深く頭を下げた。
青年は照れくさそうに頭をかいた。
「俺たち、エリシア様に生きる道を教えてもらったんです。これくらい、当然ですよ」
◆
その夜、蓮とエリシアは麻袋に囲まれた倉庫で、これからの計画を練っていた。
「この芋を元手に、まずは種芋を増やします。疫病のない土地を探して……」
「それから、加工の実験を始めましょう。フリーズドライも、スプレードライも」
「ええ。リド村の人たちの期待に、応えないと」
エリシアは、ハンズからの手紙をもう一度読み返した。粗末な紙に書かれた不器用な文字。だが、そこには確かな感謝と、未来への希望が込められていた。
「藤村殿」
「はい?」
「私たちが始めたことは……間違っていなかったんですね」
蓮は頷いた。
「ええ。種を蒔けば、必ず芽が出る。遠く離れた場所でも」
窓の外では、冬の終わりを思わせる穏やかな風が吹いていた。疫病という試練は厳しい。だが、リド村という思わぬ場所から届いた希望の種が、新しい物語を動かし始めようとしていた。




