◆第2話「土を愛する変人と加速する進化」
「無理だ、とは……?」
蓮の問いに、グレゴリウスは淡々と答えた。
「私は『魔力波長干渉』の専門家だ。物理現象の解析ならこの国で一番だが、植物の生理学や品種改良は専門外だ。……餅は餅屋、と言ったのは貴様だろう?」
蓮は言葉に詰まった。確かにそうだ。学者にも専門分野がある。どんなに優秀な物理学者でも、植物の品種改良はできないのと同じだ。蓮の知識も、あくまで現代日本の「概念」だけで、実際に品種改良を行う技術はない。ここで行き止まりか――そう思った時だった。
「――だが」
グレゴリウスは、部屋の奥にある通信用の水晶に手を伸ばした。
「この研究には価値がある。私の専門ではないが……私の知る限り、この国で唯一、この無理難題を可能にするであろう男がいる」
「誰ですか?」
「第4研究室の主、テオドールだ。アカデミーきっての変人だがな」
グレゴリウスはニヤリと笑った。
「あいつは『土魔法』の天才だ。……貴様も聞いたことがあるだろう? 『真の農学者は、土を支配する』とな」
蓮はハッとした。この世界に来たそのとき、蓮は土魔法の属性がないから農学士とは信じてもらえなかった。そしてあの時、農業ギルドの古い書物で読んだ一節にあった記述――植物とは、土から生まれ、土に還るもの。その根が張る「土壌」そのものの時間と栄養を魔力で最適化し、植物の進化を数倍速で促進させる技術。それが土魔法の極致だと。
「あいつなら、土壌の成分と魔力を操作し、数世代分の交配サイクルを数ヶ月に圧縮する『加速栽培』ができるかもしれん。……ただし、あいつは三度の飯より土いじりが好きでな。研究室は温室のジャングルのようになっているが、構わんか?」
「構いません! ぜひ紹介してください!」
「よかろう。それにしても、あいつは水晶の呼びかけに応じんのだな。おおかた土いじりをやっておるのだろうが」
◆
案内された第4研究室の扉を開けた瞬間、ムッとするような湿気と、濃厚な腐葉土の匂いが蓮を包んだ。そこは室内のはずなのに、鬱蒼とした森だった。床は見えず、一面が黒々とした土で覆われ、天井からは見たこともない蔦植物が垂れ下がっている。
「……ううむ、窒素のバランスが悪いか? いや、根の吸水圧が足りないのか……?」
植物の陰から、ブツブツと独り言を言いながら現れたのは、泥だらけの白衣を着た小柄な男だった。瓶底のような分厚い眼鏡をかけ、髪には枯れ葉が絡まっている。彼こそが、土魔法の天才テオドールだった。
「おい、テオドール。客だ
」グレゴリウスが声をかけると、彼はビクッとして振り返った。
「ひっ! ぐ、グレゴリウス先生!? す、すみません、今、古代豆の根粒菌と会話していたところで……」
「相変わらず気持ちの悪い奴だ。……ほら、これを見ろ」
グレゴリウスが、蓮から預かった野生種のイモを放り投げた。テオドールはおぼつかない手つきでそれを受け取ると、眼鏡の位置を直し、しげしげと見つめた。
「……なんですか、これ。ただの泥団子……いえ?」
瞬間、テオドールの目の色が変わった。怯えた小動物のような雰囲気から、獲物を見つけた猛禽類のそれに変わる。彼はイモに頬ずりし、匂いを嗅ぎ、爪で少しだけ表皮を傷つけて舌に乗せた。
「……すごい。すごく不味いけど、すごい!」
テオドールは興奮して早口でまくし立てた。
「この皮の厚さ! そして内包された魔力の荒々しさ! 普通のジャガイモが温室育ちの令嬢なら、こいつは戦場の傭兵だ! 土の中の病原菌を、根から出す酵素で焼き殺す気満々の構造をしている……!」
蓮は圧倒された。
「わ、分かりますか?」
「分かりますよ! 僕は土の声が聞こえるんですから! このイモは、痩せた冷たい土でも生き抜くために、自らを進化させた『最強の根』を持っています!」
テオドールは蓮に詰め寄った。泥だらけの手で蓮の手を握る。
「いったい、どこで手に入れたんですか!? こんな面白い素材、初めて見ました!」
「……これを、今のジャガイモと掛け合わせてほしいんです。病気に負けない品種を作るために。芋の味としては不味くてもいいんです」
蓮が頼むと、テオドールは子供のように目を輝かせた。
「やります! やらせてください! この『野獣』と『令嬢』を結婚させて、どんな子供が生まれるか……想像するだけでゾクゾクします!」
彼はすでに、蓮のことなど見ていなかった。近くの培養土が入った鉢に飛びつき、野生種を植え込みながら、高速で魔術式を唱え始めている。「
土壌硬度調整、魔力浸透率最大……よし、まずはこの子の『やる気』を引き出すところからだね……ふふふ……」
その背中は、マッドサイエンティストそのものだった。グレゴリウスが呆れたように肩をすくめる。「……言っただろう? 変人だと」
「ええ。でも……最高の人材です」
蓮は、テオドールの背中に向かって深々と頭を下げた。ジャガイモの疫病に対しては、サツマイモで代用する「対処療法」と、ジャガイモの品種改良による「根治治療」。二つの車輪が揃った。蓮の改革は、アカデミーの叡智(と変人たち)を巻き込み、次のステージへと進もうとしている。
「ところで……こちらは、どちらさまですか、グレゴリウス先生?」
テオドールが今さら気がついたように尋ねる。
「藤村蓮という、そうだな…… どう紹介すればいい?」
と、グレゴリウスが蓮の方を向いた。
「藤村蓮です。芋屋です」
「藤村蓮殿ですか。私はテオドールと申します。以後お見知りおきを…… って、ああ! 土魔法の属性のない農学士の藤村殿ですか!? ジャガイモを、サツマイモをこの世にもたらした方ですね。」
「ええ、その藤村です」
「なるほど、それで、こんな珍しい芋を持っておられたのですね。土魔法無しで農学士! 素晴らしい。さぞや苦労なさったことでしょう。植物との会話はどうやっているのです? 芋たちはどうやって手にいれたんです? この子はどうやって?」
グレゴリウスが制する。
「まあ待て。話をするなら、ここではなく研究室に行かないか」
「あ、いや、今は、もうちょっと、この子のことを調べたいので……」
「あいかわらずだな」
そういうわけで、蓮とグレゴリウスはテオドールの元を離れ、グレゴリウスの研究室に戻った。
「あいつにまかせておけば、大丈夫だろう。変人だがな」
「何となく他人の気がしません」
「おまえさんも、変人だからな」
蓮は何か言いたそうに苦笑したが、あえて何も言わなかった。




