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第三部◆第1話「苦くて貧相な泥団子と品種改良」

【これまでのあらすじ】

 異世界ソラニア王国に転移した藤村蓮は、『世界芋類大百科』という召喚能力を持つ書物と共に、この世界に「ジャガイモ」と「サツマイモ」をもたらした。当初は審問官ヴァレリオの監視下で三ヶ月の猶予を与えられただけの異邦人だったが、踏込温床による非魔法的な農業技術の実証に成功し、記録官エリシアと共に農業改革を推進していく。


 ジャガイモの普及は、神官ドミニクスとの宗教的対立、醸造ギルドとの経済摩擦を引き起こしたが、前者については「祝福の儀」を通過させ、後者については徴税官マルクスの協力により制度改革で乗り切った。また、紅サツマイモの高騰に対し白サツマイモを投入する二層戦略により、貧富の格差にも対応した。


 第二部では、豊作貧乏への対策として、蓮はフリーズドライとスプレードライの技術を開発。アカデミーを追放された「落ちこぼれ魔道士」たちを雇用し、分業システムによる魔法工場を確立した。即席ラーメンは軍の糧食として採用され、蓮の事業は急拡大する。


 一方で、工場労働の魅力により、貴族の屋敷を辞めたメイドたちが続々と転職。読書会や共済組合など、労働者の自主的な組織が芽生え始めた。しかし急激な産業化は、職人ギルドとの激しい対立を招き、ヴァレリオによる苛烈な弾圧が行われた。商人ファビアンは、貴族への劣等感と借金に追い詰められ、爵位購入のために児童労働という禁忌に手を染める。


 そして十一月、王国を「ジャガイモ疫病」が襲う。蓮が事前に収穫を完了させていた白サツマイモが飢饉を回避したが、根本的な解決には至っていない。物価高騰、パニック買い、デマの拡散――社会不安が渦巻く中、蓮は次なる一手として「品種改良」を決意する。


 塀の内と外。持つ者と持たざる者。その分断が深まる冬、新たな試練が王都を待ち受けていた――


◆ ◆ ◆


 ジャガイモの疫病の発生から数日後。サツマイモの緊急配給により、王都の食料パニックはどうにか鎮静化しつつあった。だが、官舎の執務室にある藤村蓮の表情は、鉛のように重かった。


「……サツマイモで、今年の冬は越せる。でも、それだけじゃダメだ」


 蓮は、机の上の鍵付き引き出しを開け、『世界芋類大百科』を取り出した。この本から異世界の種芋を取り出せる回数(数量)には限りがある。蓮は当初の予定では、事業が軌道に乗った後の「第二の矢」として、インカのめざめのような、高値で売れるブランド品種となる作物を召喚するつもりだった。


 だが、状況は変わった。ジャガイモが「全滅」するというリスクが顕在化してしまった以上、悠長に美食を追求している場合ではない。


 蓮はページをめくり、もっと地味で、誰も見向きもしないような学術ページで指を止めた。


『ソラナム・デミッサム(疫病抵抗性野生種の学名)』


 メキシコ高原の冷涼な土地に自生する、ジャガイモの原種の一つである。蓮は迷わず、このイモの召喚権を行使した。空間が歪み、淡い光と共に机の上に転がり出たのは――泥団子のように黒ずみ、親指の先ほどしかない貧相な塊茎かいけいが数個だけだった。


「……藤村殿、失敗ですか?」


 夜食の差し入れを持ってきたリオネルが、その小さな芋を見て目を丸くした。後ろに控えていたエリシアも、あからさまに怪訝な顔をする。「これが、切り札なのですか? とても食べられるようには見えませんが……。干からびた木の実のようです」


「食べてみる?」


 蓮はナイフで端を削り、少しかじってみせた。途端に、蓮の顔が歪む。舌がピリピリと痺れるような感覚。ジャガイモの毒のえぐみが口いっぱいに広がる。


「……うぐっ、ぺっ! 苦い、渋い、えぐい。最悪だ。そのままだと毒に近い」


「なっ、毒じゃないですか!」

 リオネルが慌てて水を差し出す。

「貴重な召喚力を使って、なぜそんなゴミを呼んだのですか!? サツマイモのように美味しくなければ、誰も育てませんし、売れませんよ!」


 蓮は水を飲んで口をゆすぐと、ニヤリと笑った。その目は、商人ではなく冷徹なエンジニアのそれだった。

「食べるためじゃないよ、リオネル。これは『工業原料マテリアル』の素材だ」

「工業原料……?」


「みんな、イモを『野菜』として見てるから失望するんだ。そのまま茹でて食卓に出すなら、味や見た目が必要だ。でも、うちの工場でデンプンにしてしまえば、味なんて関係ない。必要なのは『疫病で腐らず、安定して炭水化物を供給できる強さ』だけだ」


 リオネルとエリシアは顔を見合わせた。彼らにとって農業とは「美味しいものを作ること」であり、不味いものを作るという発想自体が異質だったのだ。


 蓮は、テーブルの上で小さな野生種を転がした。

「こいつは不味い。小さくて収穫もしにくい。農家からすればただの雑草だ。でも、こいつは疫病に対する絶対的な『抵抗性遺伝子』を持っている。畑のジャガイモが全滅する中でも、こいつの仲間だけは生き残ることができるんだ」


 蓮は拳を握りしめた。

「こいつと、今の美味しいけど弱いジャガイモを交配、つまり結婚させる。そうすれば数年後には、『味はまずいかも知れないが、病気に強くて、デンプンがたくさん取れる』最強の加工用イモが生まれる」


 リオネルが息を呑んだ。

「味を捨てて、機能スペックを取る……。農業を、工業の部品製造と同じように考えるのですか」

「そう。サツマイモは『今の飢え』を救う。でも、この不味いイモは、『未来の産業』を守る盾になる」


 蓮は立ち上がった。

「問題は、自然交配じゃ定着するのに10年はかかるってことだ。……そんなに待てない。できるだけ早く、この『盾』を量産できる形にしなきゃいけない」

「どうするのですか? 魔法で成長を早めるにしても、品種としての性質そのものの定着までは……」


「だから、プロに頼みに行く」

 蓮は野生種をハンカチに包み、懐に入れた。

「餅は餅屋だ。この泥団子の価値が分かる賢者に、頭を下げに行くよ」



 翌日。蓮が向かったのは、王立魔道士アカデミーの地下、第8研究室だった。部屋の主である老魔道士グレゴリウスは、蓮が持ち込んだ泥色の芋を魔道ルーペで覗き込み、興味深そうに髭を撫でた。


「……ほう。見てくれは悪いが、凄まじい生命力だ。既存の品種とは魔力波長の密度が違う。原初の荒々しさを残しておるな」

「分かりますか、先生」


「ふん。伊達に長生きはしておらん。工場設備の干渉対策に来た時と言い、貴様はいつも奇妙な難題を持ち込んでくる。……で? 貴様の望みは、この『野蛮な強さ』だけを抽出し、既存の『美味い品種』に定着させることか」

「はい。ハイブリッド種を作りたいんです。それも、可能な限り短期間で」


 蓮が頭を下げると、グレゴリウスは真面目な表情で、ルーペを置いた。

「残念だが断る」


 蓮の顔が強張る。

「……金なら払います。工場の設備も提供します。それでもダメですか? これは、この国の農業の未来がかかっているんです」


 グレゴリウスは椅子に深く座り直し、冷ややかな、しかし試すような視線を蓮に向けた。

「勘違いするな。私は嫌だと言っているのではない。『無理だ』と言っているのだ」

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