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第二部◆最終話「塀の外の飢えと、銀貨の祈り」

 蓮による「白サツマイモの飽和爆撃」と「定価販売」によって、王都の食料価格高騰はひとまず落ち着きを見せていた。転売屋は爆死し、市場には適正価格のイモが戻りつつある。だが、それはあくまで「金を持っている者」の話だ。


 冷たい雨が雪へと変わってしまった午後。蓮は工場の二階、執務室の窓から外を見下ろしていた。例年なら街のあちこちに冬至の祝、すなわち太陽の復活を喜ぶ焚き火の祝が準備される頃だが、今年は見かけない。工場の門前には、今日も配給を求める列ができている。そして、その少し離れた路地裏には、列に並ぶ気力さえ失った人々がうずくまっていた。彼らは職を失い、銅貨一枚すら持っていない。価格が下がろうが、ゼロでなければ買えない人々だ。


「……塀一枚隔てて、天国と地獄か」


 工場の煙突からは暖かな蒸気が上がり、食堂からはシチューの匂いがする。従業員たちは守られた。だが、塀の外には、かつてグランヴィル侯爵の囲い込みで土地を追われ、さらに今回の不況で日雇いの仕事さえ失った「棄民」たちが溢れている。


 エリシアが、温かい茶を盆に乗せて入ってきた。彼女の表情も暗い。

「藤村殿。……教会のドミニクス様から、使いが来ました。『救貧院のスープが、お湯のようになってしまった』と」


 教会は、寄付によって貧民への炊き出しを行っている。だが、不況で貴族や商人からの寄付が激減し、逆に助けを求める貧民は倍増していた。蓮は窓枠を強く掴んだ。

「……無視はできないな」


 それは人道的な理由だけではない。工場の周囲に飢えた人々が溢れれば、治安が悪化し、いずれ暴動が起きる。工場を守るためにも、周囲の社会を安定させなければならない。これは「慈善」ではなく「コスト」だ。蓮はそう自分に言い聞かせた。


「エリシアさん。倉庫の『規格外品』の在庫リストを出してくれ。それと、金庫から予備費を」



 一時間後、蓮は数台の荷車を引き連れて、王都の大聖堂前に到着した。そこは、この世の終わりのような光景だった。寒空の下、薄汚れた布を纏った数百人の人々が、虚ろな目で炊き出しの鍋を見つめている。だが、鍋の中身はほとんど具のない、薄い塩水のようなスープだった。


「これでは、体は温まっても命は繋げない」


 蓮が呟くと、奥からやつれた顔のドミニクスが現れた。かつての威厳ある態度はなりを潜め、疲労の色が濃い。「藤村殿か。見ての通りだ。神に祈っても、鍋の中身は増えんよ」


 蓮は無言で荷車の覆いを取った。現れたのは、ゴツゴツとした不格好な「白サツマイモ」の山だった。形が悪く、市場には出せない規格外品だが、栄養価は変わらない。さらに、即席麺の製造過程で出た「麺の切れ端(クラッシュ麺)」が入った袋も積まれている。


「これを、使ってください。売り物にはなりませんが、腹は膨れます」


 ドミニクスの目が大きく見開かれた。

「……これを、寄進するというのか? タダで?」

「工場の廃棄ロスを減らすためですよ。処分するにも金がかかりますからね」


 蓮はうそぶき、さらに懐から革袋を取り出した。ジャラリ、と重い音がする。中には金貨が詰まっていた。「それと、これは燃料代と、他の食材……肉や野菜を買う足しにしてください。イモだけじゃ栄養が偏ります」


 ドミニクスは震える手で革袋を受け取った。それは、教会が数ヶ月かけて集める寄付金よりも多かった。

「商売人というのは、時に神よりも気まぐれで、慈悲深いな」

「慈悲じゃありません。先行投資です。彼らが生き延びて、いつか僕の工場の客になってもらわないと困りますから」

「この不正直者め。偽悪者もたいがいにしろ」



 すぐに炊き出しの鍋に火が入れ直された。白サツマイモが乱切りにされて放り込まれ、麺の切れ端が加えられる。寄進された金で買い集めたクズ肉や野菜も入り、鍋は瞬く間に濃厚な「具だくさん雑炊」へと変わった。


 立ち上る湯気。穀物の甘い香り。死人のようだった人々の目に、光が戻る。


「並べ! 順に配る! 子供と病人が先だ!」

 神官たちの声に、人々が列を作る。椀に盛られた熱々の雑炊を受け取り、震える手で口に運ぶ。


「……うまい」

「イモだ……イモが入ってるぞ」

「あったかい……」


 あちこちですすり泣く声が聞こえる。それは、絶望の淵で拾い上げた、細い細い命綱だった。白サツマイモは、赤サツマイモほど甘くはない。だが、その素朴な味とボリュームは、飢えた胃袋を優しく満たしていく。


 その光景を見ながら、エリシアがそっと蓮に言った。

「……十分な量です。これで、多くの人が救われます」


 だが、蓮の表情は晴れなかった。彼は、列の最後尾に並ぶ、まだ幼い子供の細い腕を見つめていた。今日、彼らは腹を満たせる。だが、明日は? 来月は? 自分が持ち込んだ「白いサツマイモ」は、あくまで緊急避難的な作物だ。疫病に強いわけではない。たまたま科が違ったから生き残っただけだ。もし、サツマイモも枯れるような異常気象が来たら? あるいは、サツマイモを食い荒らす別の病気が流行ったら?


 その時、この国は完全に詰む。


「……藤村殿?」

 黙り込んだ蓮を、エリシアが心配そうに覗き込む。


 蓮は、空になった荷車と、それでも尽きない行列を見て、独り言のように呟いた。

「この冬は何とかなる。だが、根本的な対策が必要だ」

「根本的な……対策?」


「ああ。サツマイモという『逃げ道』だけじゃダメだ。王国の主食であるジャガイモそのものを、疫病に負けない『強い作物』に変えなきゃいけない」


 金や物資を配るだけでは、対処療法に過ぎない。病巣を断つには、農業そのものを進化させる必要がある。蓮の脳裏には、ある書物の記憶があった。『世界芋類大百科』の、誰も読まないような学術ページ。そこに載っていた、泥だらけで不格好な、しかし強靭な生命力を持つ「原種」の姿。


「……行くぞ、エリシアさん。工場に戻ったら、すぐに準備だ」

「準備、ですか?」

「ああ。また、アカデミーの頑固者たちに頭を下げに行くことになる」


 蓮は雑炊の湯気の向こうに、次なる戦いを見据えていた。慈善事業の限界を悟った実業家は、「品種改良」という名の生命操作へと、その手を伸ばそうとしている。


(第二部 完)

『異世界イモ政治経済学2』を読んでくださり、ありがとうございました。引き続き第三部、『異世界イモ政治経済学3 ~良かれと思ってイモ工場を職場改善したら~』をお楽しみください。

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