◆第48話「凍える冬と、五百束の交渉術」
王都を襲った「ジャガイモ疫病」の恐怖は、食料不足だけにとどまらなかった。人々のパニックはあらゆる物資への買いだめに走り、その余波は「冬の生命線」である燃料――薪や炭の価格にも及んでいた。
冷たい雪の降る、十二月のある日の午後。工場の休憩室は、凍てつくような寒さに包まれていた。本来なら暖炉に火が入っているはずだが、今は冷たい灰が積もっているだけだ。
「……寒い」
梱包班のミナが、薄いショールを肩に回して震えていた。
「薪の値段、また上がったの。昨日の三倍よ。これじゃあ、お給料をもらっても薪を買ったらパンが買えない……」
周囲の工員たちも暗い顔で頷く。
「うちもだ。昨日は家具を燃やして暖をとったよ」
「足元を見てやがるんだ、薪屋の連中。俺たちが工場勤めで金を持ってると思って、ふっかけてきやがる」
その言葉を聞いて、アンナの眉がピクリと動いた。元子爵家メイド長補佐としての、管理者の血が騒いだのだ。(……おかしいわ)アンナは手帳を開いた。屋敷にいた頃、薪の仕入れも彼女の仕事だった。
(今年の冬は早かったけれど、森の木が減ったわけじゃない。木こりたちの仕事量は例年通りのはず。なのに、なぜ市場価格だけが三倍になるの?)
答えは一つ。中間業者が「不安」に乗じて価格を吊り上げ、暴利を貪っているのだ。アンナは立ち上がり、パンパンと手を叩いて注目を集めた。
「皆さん。泣き寝入りをしていても暖かくはなりません。……私に、銀貨二枚ずつ預けてくれませんか?」
「え? アンナさん、何をする気だ?」
カイが驚いて尋ねる。
「買い物に行きます。……ただし、街の強欲な薪屋ではありません。もっと『根本』へ行きます」
アンナの瞳には、かつて屋敷の予算を守るために悪徳業者と渡り合った時の、冷徹な光が宿っていた。
◆
翌朝。アンナは工場の荷馬車を借り、御者役を買って出たカイと共に、王都から離れた山間部へと向かっていた。荷台の懐には、従業員有志五十人から集めた銀貨が詰まった革袋がある。向かった先は、王都へ薪を供給している「木こりの親方」の作業場だ。山積みにされた丸太の前で、頑固そうな髭面の親方が、斧を研ぎながら怪訝な顔を向けた。
「……工場のアマちゃんが、何の用だ。うちは小売はしねぇぞ。薪が欲しけりゃ、街の問屋に行きな」
親方は取り付く島もない。だが、アンナは一歩も引かずに、まっすぐに親方を見据えた。
「その問屋が、あなたの薪をいくらで買い取っているか存じていますか?」
「あ? ……一束あたり銅貨五枚だ。それ以上は出せねぇと言われてる」
「市場では今、それが銅貨二十枚で売られていますよ」
親方の手が止まった。
「二十枚だと? あの野郎ども、輸送費がかさむだの何だの言って、俺たちには買い叩いておいて……」
親方の顔に怒りの色が浮かぶ。アンナはそこを見逃さなかった。
「彼らは、この非常時に便乗して儲けているのです。あなたたちが汗水流して切った木でね」
アンナは懐から革袋を取り出し、ジャラリと音をさせた。
「私たちは、あなたから直接買いたいのです。五百束。今、ここで」
「ご、五百束だと?」
「はい。価格は一束あたり『銅貨八枚』でいかがでしょう?」
親方が目を見開いた。問屋への卸値より六割も高い。
「……本気か? まあそれでも、あんたたちにとっちゃ市場の半値以下だが」
「ええ。私たちは安く買えて嬉しい。あなたは高く売れて嬉しい。……そして何より」
アンナは革袋の口を開け、中身を見せた。
「ここにあるのは『現金』です。問屋のような月末の手形払いではありません。今すぐ、この場でお支払いします」
現金一括払い。その言葉の破壊力は凄まじかった。いつ現金化できるか分からない手形よりも、目の前の銀貨の方が、明日の食い扶持には確実に役に立つ。親方は斧を置き、ニヤリと笑った。
「……気に入った。お嬢ちゃん、肝が据わってるな。いいだろう、商談成立だ!」
◆
その日の夕方。工場の裏門に、山のような薪を積んだ荷馬車が到着した。
「おーい! 薪だ! 薪が来たぞー!」
カイの声に、休憩中の従業員たちがわっと集まってくる。
「すげぇ……! こんなに沢山!」
「一人十束ずつ配ります! これで一週間は凍えずに済みますよ!」
アンナの指示で、薪が次々と配られていく。正規の値段の半値以下で手に入った、乾燥した良質な薪だ。
「ありがとう、アンナさん! これで今夜は温かいスープが作れる!」
ミナが涙ぐみながら薪を抱きしめる。その光景を、工場の二階から蓮とエリシアが見下ろしていた。
「……驚きましたね」
エリシアが感嘆の声を漏らす。
「まさか、生産者から直接買い付けるなんて。ギルドの流通ルートを無視する行為ですよ」
「うん。でも、違法じゃない」
蓮は、満足げにコーヒーをすすった。
「アンナさんは気づいたんだよ。『数の力』にね。一人じゃカモにされる弱い消費者も、五十人集まれば『大口顧客』になる。そうなれば、価格決定権はこちら(買い手)に移る」
蓮は、指揮を執るアンナの背中を見つめた。
「これは『バイイング・パワー(購買力)』だ。彼女は今、無自覚だろうけど……資本主義に対抗する最強の武器を手に入れたんだよ」
下では、配給を終えたアンナが、カイとハイタッチを交わしていた。
「やったわね、カイ君」
「ああ! 親方のあの顔、見たかよ? 『また来てくれ』だってさ!」
アンナは自分の手を見つめた。インクや油で汚れた手。けれど、この手は今、仲間たちの生活を守ったのだ。(私たちでも、戦える……)
ただ嘆いて、高いと文句を言うだけじゃない。自分たちで知恵を絞り、団結すれば、理不尽な市場価格さえも覆せる。その小さな「勝利」の熱は、燃え上がる暖炉の火よりも熱く、アンナの胸を焦がした。
この冬の「薪の共同購入」の成功体験こそが、後に王都の商人たちを震え上がらせる巨大組織――『生活協同組合』の最初の種火となったのである。




